番外編 『南くんの恋人』

番外編/二〇年目の三月二一日


(ご注意・高橋由美子、武田真治版の『南くんの恋人』の内容を、詳しく書いています)


 本書では、「ヒーロー」としての少女を描く映像を取り上げているが、友人であり、少女ヒーロー映像への造詣も深い、イラストレイターのTANKさんに、二〇一四年三月二一日(ブログ掲載時)は高橋由美子・武田真治の『南くんの恋人』が終わって二〇年目に当たるので取り上げるべき、というご意見をいただき、いい機会なので、番外編としてご紹介する。


 九四年に放映された『南くんの恋人』(原作・内田春菊、脚本・岡田恵和)は、「少女ヒーロー」ものとは正反対の構造を持っている。つまり、かよわい少女を少年が、人生を賭けて守る、という、「白馬の騎士もの」とでも言うべきものだ。

 この、(ことばは悪いが)ベタな骨格をいかにして成立させるか、は言うほど簡単なことではない。なぜなら、すでに「かよわい女子」という概念が、昔のものになっていたからだ。男女雇用機会均等法が執行されたのは、八六年四月のことだ。また、実写ドラマを特撮まで広げて考えても、八九年には『仮面ライダーBLACK RX』が終わっており、唯一、戦隊シリーズがあった他は、九六年の『ウルトラマンティガ』を待たねばならなかった。しかも『RX』は、平成のライダーから比べれば、まったくメジャーな作品ではない。

 そんな中で、八〇年代半ばからの少女ヒーローラッシュを経て、ドラマの中でも、少女はたくましく描かれるようになった。白馬の騎士は、普通の設定では成立しなかったのだ。

 そこで選ばれたのが、『南くんの恋人』である。普通の女子高生、堀切ちよみ(高橋由美子)が、ある日、身長一五センチになってしまう。「現実の世界」で、彼女がひとりで暮らしていけるわけがない。誰かが助けてやらねば、食事も風呂も、トイレにも行けないのだ。

 そんな少女だからこそ、これも普通の男子、幼なじみの南くんこと南浩之(武田真治)は、守ってやろうとする。原作では、性的な描写があるのだが、ドラマの中ではあくまで純愛となっており、実際、ふたりはキスが精一杯だ。

 DVD―BOXの武田真治インタビューによると、最初の二話、三話ぐらいまでは、コメディの要素を重視していたが、次第に純愛ものになった……とあるが、これはあくまで武田真治の見解だ、と私は思う。なぜなら、二話で、ちよみを部屋に匿っている南の部屋へ、姉の涼子(中村綾)が「元気づけに」行ってやろうとすると、父親の高田純次が、「よしなさい」、と強く言う。この台詞の思いがけないシリアスさは、いまの高田純次からは想像もつかないものであり(TBS系列の二時間サスペンス「窓際太郎の事件簿」や、土曜ワイド劇場の十津川警部シリーズの近作を見ている人には、あまり違和感はないと思う)、また三話では、南に近づいた野村リサコ(千葉麗子)が、ラブコメを超えたセリフを吐く。

「あの子(ちよみ)はね、女を武器にして男に甘えるのよ、いざとなるとね。自分で解決できないことが起こると、男を頼るの。そういう子なの。それをね、ちゃんと計算してるのよ(後略)」

 そう言われたとき、ちよみは南のポケットの中にいて、何も言い返せない酷薄な状況にある。ただのラブコメに、こんなセリフが出てくるだろうか。

 あるいは、同じ三話で、南の部屋にはちよみにサイズの合うリカちゃん人形の服があり、そのアリバイ作りのために、リカちゃん人形も置いてあるのだが、それを見つけた涼子は、南に言う。

「現実の女の子は思い通りにならないもんね。(中略)でもね、リカちゃん人形とは、ほんとうの恋愛をすることも、エッチすることもできないの」

 そのシーンは、確かにコミカルには描かれているのだが、いま、まさに人形と同じ立場にいるちよみには、残酷なセリフである。

 それを受けて、南は、最初はリサコとの間で揺れていたのが(武田真治も、そう語っている)、次第にちよみに優しくなり、それがかえって、ちよみを悩ませる。リサコとの三角関係も、リサコが言ったとおり、小さくなるのは「卑怯」であり(同じ立場にはなり得ないから)、元に戻って、ひとりの女の子として南に接したい、と強く願う気持ちになる。

 それだけなら、単なるラブストーリーと言えないこともないのだが、第七話のラストにおいて、南の部屋に上がり込んだリサコが、「隠れてないで出てきなさいよ!」と言われ、意を決したちよみは、リサコの前に現われる。

 秘密はばれてしまった。しかしリサコは、何も言わない。帰り際、「私、南くんのことが好きなんです」と、南の家族に告げて立ち去るリサコ。母・暁子(岡本麗)と涼子は無邪気に喜んでいるが、父、隆之(先に書いた高田純次)だけは、暗い表情をしている。この作品では、南の父、高田純次と、ちよみの父、堀切信太郎こと草刈正雄の熱演が、ドラマにリアリティを与えており、ふたりが信太郎の経営する喫茶店「ROUTE66」で語り合うシーンの、火花の散るような演技対決は、見直すと意外なほどに短いのだが、強いインパクトを与えてくれる。

 第八話で、南とちよみはカラオケへ行くが、そこで歌われるのは、高橋由美子の持ち歌ではなく、当時、同時期にアイドル歌手だった中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」(九二)である。また、ちよみを胸のポケットに隠した南がリサコと映画を観に行くシーンで上映されるのは、『もうひとつの原宿物語』(九〇)だが、これも出演者とは関係がない。すべてがタイアップになってしまう現在では、考えにくい演出である。

 その後、リサコは南(とちよみ)をラブホテルに誘うが、性的な意味はなく、ひとのじゃまが入らないで話せる所だからだ。ここで初めて、生生しいセリフが語られる。「セックスもできない人と暮らしていくわけ?」南は「そのために生きてるわけじゃないだろう」とフォローするが、リサコの毒舌は止まらない。「結婚しても出産もできない。南にそんな思いをさせて平気なの?」

 そこで、まだ多少揺れていた南は、はっきりと告げる。「いいんだよ。確かにいま(リサコが)言った通りかもしれない。でも、俺はそれでいいんだ。いつか元に戻るまで……たとえ戻らなくても、俺は、ちよみと一緒にいたいんだ」。

 このセリフに、リサコは敗北を悟る。九話で、ちよみと直接、電話で話したリサコは、南への思いを語り、初めての失恋だった、と告げる。しかし、その通話の内容を、南の父は聴いていた!(親子電話だから。このドラマでは、「できる女」のリサコの母・百合子(田島令子★注)だけが携帯を持っている)茫然とする父。夜になって、南の部屋を訪ねた父は、小学生のとき、彼女と駆け落ちした経験を、訥々と話す。駆け落ちはしたものの、うまく行くはずもなく、諦めた父は、彼女を連れて帰った。「彼女を最後まで、守ってやれなかった。あのとき、帰らなければな、って、いまでもときどき思うんだ」。

 そして、最終の一〇話では、……。


(注・以下、結末までのネタバレ)


 ちよみが小さくなったそもそもの原因、人けのない道でダンプカーにはねられて死んでいる、ショッキングなシーンから始まる。それはちよみの夢で、ふたりは卒業旅行で長崎に来ているのだが、ちよみのモノローグがある。

「ほんとうに、怖いぐらい幸せだった。私がずっと、心の中で願っていたことが、どんどん叶っていく」

 しかし、そこでちよみはふらつく。

「何だか不思議な感じがした。疲れたと言うより、体がふわっと軽くなるような、そんな……」。

 ちよみは南に言う。

「ねえ、南くん。うまく言えないんだけど、私はもう、死んでるんじゃないかな。あの事故のときに、ほんとはもう……」

 これが、ラスト二〇分にして語られる、「真相」である。南は何度も「やめろ!」と言うが、ちよみは自分が小さくなってからの二ヶ月ほど、幸せだったこと、心の中にあった願いが全部叶ったことを伝える。

「きっと、神さまか何かがね、このまま死んじゃうんじゃかわいそうだから、最後に、ちょっとだけ、おまけみたいなもんでさ、私の望みを、叶えてくれたんじゃないかな」

 南は反発する。

「俺はいやだからな。それより、他にやんなきゃいけないこと、いっぱいあるだろう。ルート66、一緒に行くぞ。それに、ほら、ガキの頃、約束したろう? おじさんとおばさんと同じ教会で、結婚するって。それに……」

 しかし、ちえみは微笑む。「ぜいたくすぎるよ」。南には、もう何も言えない。

 そして旅行の帰り、急速に元気をなくしたちよみは、子どもの頃、ジャングルジムから落ちた所を南に助けてもらった、思い出の公園へ立ち寄ってもらう。そこで、南は初めて言う。

「俺は、ずっと、ちよみが、堀切ちよみが大好きだ」。

「よかった」。

 そして、ちよみは、息絶える。

 信太郎に殴られる南。ちよみを無事に帰せなかったのだから、当然の罰だ。しかし信太郎は、自分のバイクのキーを、南に渡す。公園で、南はつぶやく。

「ちよみ、お前、俺のために、小さくなって一緒に生きてくれたんだよな。ちよみが好きだって、なかなか言えない俺のために」

 そして南は、アメリカへと旅立つ。空に、ちえみの笑顔が見える。南はつぶやく。「ちよみのバカ、そんなにでっかくなりやがって」。

 信太郎は、婚約者の朝倉真知子(響野夏子)に指輪を渡す。リサコは母親と共に、イギリスへ旅立つ。南の家族は平凡だが幸福な日常を送っている。

 こうして、純愛のドラマは完結する。語弊を招く言い方だが、ちよみが命を落とした以外のことでは、いや、ちよみも含めて、すべての人間が幸せをつかんでいる。


(★ネタバレ終わり)


 武田真治は、インタビューに答えて、言っている。

「一〇話のラストシーンは、言うまでもなく、かなり……角度を変えてみるとすごく残酷かもしれないんですけど、僕らは、……このドラマに携わったすべての人たちは、あれはハッピーエンドだ、と自信を持って言えます」

 一〇話の脚本打ち合わせには、高橋由美子、武田真治も参加したらしいのだが、いまの言い方で言えば、このラストは、ハッピーエンドではないかもしれないが、トゥルーエンドであることはまちがいない。

 ここに記したことは、このドラマの、ほんの一部でしかない。リサコの生い立ちと、そのせいで歪んだ人格の物語、ちよみを心から愛しているが、そのせいで空回りする竹原直人(岡田秀樹)の物語、信太郎と真知子の大人の愛の物語、中盤でちよみを助けてくれた女子大生、東山真理絵(西田ひかる)の物語……ドラマは幾重にも重なっている。いま気づいたが、ちよみと南の、幼児の頃のエピソードも拾えていない。

 しかし、いくら紙数を費やしても、語りきれない濃密な物語なのである。またCSなどでの放送があることを、祈ってやまない。


 しかし、この枠(テレビ朝日、月曜夜8時)は、子どもの視聴者が多かったのだそうで、その子どもたちから「かわいそうだ」、という声が多数寄せられたため、95年4月、「もうひとつの完結編」が二時間枠で放映された。

 率直に言うと、このドラマは、ハッピーエンドだ、ということ以外にあまり意味はない。即ち、天国から舞い戻ったちよみが、小さい体のままで南と結婚する、という物語で、主な登場人物が再登場してドタバタをくり広げるのだが、顔見せのドラマに過ぎない。

 ただ、本編の放送中、大人の私でも、泣いてしまうような切なさのドラマは、ある種の人にはトラウマに近い感情を持たせるものだったので、子どもたちには、このもうひとつの完結編は、必要なものだったかもしれない。

 この作品の、最初の最終話を初めて見たのは、当時、年に一度、かみさんと春休みに行っていた奥多摩渓谷の国民宿舎であり、そのときの川の音がまざまざと甦ってくる。それまで、旅先ではテレビを見なかった私たちは、最初の最終回を見て、しみじみと涙を流した。一九九〇年代、ドラマはまだ、視聴者の人生に寄り添っていた。

「南くんの恋人」は、この他に、石田ひかり版、深田恭子版があるが、ここでは、敢えて触れない。なぜならきょう*は、高橋由美子演じる堀切ちよみの没後二〇周年だからである。


*『もうひとつの原宿物語』――空木景の少女小説を原作にした映画。MOE文庫(MOEは「萌え~」ではなく、イラストレイター・永田萌を指す)刊。私が原稿を持ちこんだのが、この映画の前後であり、「映像化できるような小説を書く」ように言われた記憶がある。

*ルート66――アメリカのハイウェイ。

*きょう――『少女ヒーロー読本』は、二〇〇七年にe―novelsで発売された後、二〇一四年にブログで新しく書き直したが、そのブログの日付のこと。


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