第三節の2 映画『ねらわれた学園 THE MESSIAH FROM THE FUTURE』
●三節の二/映画『ねらわれた学園 THE MESSIAH FROM THE FUTURE』(九七年三月)ギャガ、円谷映像
(ご注意・村田和美、佐伯日菜子出演の映画『ねらわれた学園』の結末に触れています)
『ねらわれた学園』を、私は主演女優で識別しているのだが、村田和美主演の『ねらわれた学園』には映画とテレビ版があり、相棒の関耕児が柏原収史であることまで同じながら、ストーリーと設定がまったく違うので、ここでは「映画版」としておこう。
『1997年11月11日
我々、新人類が世界を支配し始める……。
その第一歩がこの学園である』
こんな文章が、パソコンのモニタに表わされる所から、話は始まる。そのことばに呼応するように、学園(私立飛鳥山学園高校)の中で、生徒たちが次々に、超能力に目醒める。トランプの札を当てたり、複雑な計算を難なくこなしたり、バスケットボールのゴールを連続して決めたり……。
一方、生徒会長に就任した高見沢みちる(佐伯日菜子)は、規律を守り、高校生らしい学園にする、と宣言していたが、すでにその行き過ぎた厳しさは問題になっている。生徒のひとり、杏子はハッとする。「(今のみちるは)高見沢さんじゃない!」
しかし、その杏子は校舎の屋上から落ち、病院に運ばれる。だが翌日になると、クラスの生徒たちは、杏子という生徒の存在そのものを、なかったことにしている。それだけではなく、見舞いに行ったクラスメイトのサツキは拉致され、和美が家へ訪ねていくと、親からそんな子はいない、と言われてしまう。
ひとつひとつの出来事が起きる度に、和美は「いやな感覚」を覚えるようになる。なぜか、事件が起きる度に、ノイズが聴こえるのだ。和美と耕児を初めとする生徒たちはノイズの源を探ろうとするが、次々と生徒会のパトロールにつかまり、消される。
講堂で、みちるは演説する。
「二〇八〇年代には、全人類の二〇%が新人類、という時代になります。そして、悲劇が始まります。その二〇%の新人類が、世界を支配し始めるのです」
残りの八〇%は家畜同然になる、とみちるは語る。その原因が、この学園にある、と。
和美は気づく。「あの人(みちる)、人間じゃないみたい。(中略)心がないの」
かくして、物語は、とびきり強い能力を持つらしい和美と、みちるとの対決になる。しかしそこで、思いがけないメサイア=救世主*が現われる。
七八分という短さと、おそらくはかなりの低予算を、脚本(映画『エコエコアザラク』の佐藤嗣麻子と監督の清水厚の共作)と監督は逆手に取り、人けのない校舎や、がらんとした講堂などを異様なものに映してみせた。また、無駄のない、引き締まった話にもなっている。
それにも増して好評だったのは、高見沢みちる役の佐伯日菜子である。ややこなれていないが、甘い所のない風貌で、主役を圧倒した。この映画が『エコエコアザラク』のミサ役につながる、ともされる。
たいへん気持ちのいい映画で、ぜひ見ていただきたいので、結末については、注にのみ記すことにした。この辺の線引きは判断が難しいのだが、原作とはまるで違った、納得のいく結末である。
*救世主――実は、関耕児は未来から来たタイム・パトロールで、みちるの過去改変を阻止し、事件をなかったことにするのだった。
(この節、つづく)
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