第一節の2 『テラ戦士Ψ BOY』
『テラ戦士Ψ BOY』(八五)東映
菊池桃子の主演作。『魍魎の匣』の監督・原田眞人が脚本を書き、青春映画の監督・石山昭信が監督した。
平凡な高校生・MOMOKO(ウィキペディアや「原作」の記述による表記)は、ある日、サイコキネシスに目醒める。ガラス器を、手に触れずに割ってしまうのだ。
同時に幼なじみのモトハルや、数人の少年にもそれぞれに能力が現われ、ついには彼らの許へ、BOYと名乗る存在から、SOSのメッセージが届く。BOYは宇宙からやってきた生命体で、謎の超能力者・フレイム(益岡徹)に囚われているのだ。
BOYを助けよう、と立ち上がるMOMOKOたちの活躍に、彼女が六歳のときの不思議な体験の謎がからみ、最後には、SF的にすべての事件が時間軸の一箇所に収束する。この快感は、日本のSF映画の中でもそれほどあるものではない。多くの「イヤボーン」作品は、力によって不幸になっていくことも多いが、この映画では、そういった影の部分を一切、描かない。それはそれで、ひとつのストーリーとして成り立っているのだ。
私は、根本的に情念の人間なので、コミカルな味を加えて爽やかに進むこの作品を、正直、そんなに買っているとは言いがたいのだが、そのストーリー性と映像美には、強い影響を受けている。また、特撮にはデン・フィルム・エフェクトの中野稔や『プルシアンブルーの肖像』などでも知られるカメラマン・大岡新一、ウルトラシリーズを手がけた美術の井口昭彦などが携わり、たいへん優れた映像表現を見せている。例えば『水』のイメージの美しさなど。
ところで、この作品には謎がある。マイク・スプリングレインという原作者がいて、原作も、作詞家の康珍化*が訳して学研から出ている。問題は、そのマイク・スプリングレインなる人物が、存在するかどうかだ。
序文でマイクは、「ミス・モモコ・キクチのスタッフが、ニューヨークの私のオフィスに現われたのは、1979年の春である。」とコメントしているが、映画になるまでに六年かかった、というのだろうか。というか、この程度の小説、というと失礼だが、ごくシンプルで内容も薄いストーリーをもらいに、日本ではまったく無名の作家に会いに、アメリカまで行ったのだろうか。
また、あとがきで康珍化は彼の略歴を紹介しているが、著作権表示は版元の学研のみだ。海外小説に必須の、権利関係の記述が一切ない。彼の著作には、『ワイルド・ジェシィ』シリーズというSFがあるそうだが、少なくとも日本では刊行されていない。
「原作」を読むと、アメリカの作家? と疑わしい箇所が見られる。
「野球部の田村先輩もひどかったわネェ。
末は大リーガー、最悪江川って言われてたのに、速球はおじぎ、カーブはそっぽ。新聞記者が来てたわよ。別に肩を負傷したわけじゃないのに、七不思議」(改行等は本のまま)
これは、少なくとも超訳*だろう。
私は、マイク・スプリングレインは実在しないと考えるが、確証はない。ただ、訳者の康珍化は、少年隊の『19』*の原作・脚本も手がけていることのみ記しておく。
*康珍化―― 作詞家。代表作に、岩崎良美『タッチ』郷ひろみ『GOLDFINGER '99』など多数。読みは「かん・ちんふぁ」。菊池桃子への楽曲提供では、名曲『もう逢えないかもしれない』がある。
*超訳── シドニィ・シェルダンの著作などで有名になった、原書を好き勝手に脚色して『翻訳』したもの。
*少年隊の『19』―― 少年隊の3人がタイムパトロールを演じる、時間SFものだが、凝ったわりに、ストーリーテリングが残念な作品。日本一遅いカーチェイスが見られる(うれしくはない)。
(この節、続く)
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