第二節の6 『少女コマンドーIZUMI』

『少女コマンドーIZUMI』(八七年一一月~八八年二月)


 最近の資料によると、当初『スケバン刑事Ⅲ』の後は、『スケバン刑事Ⅳ』が企画されていたが(ウィキペディアには、企画案が書かれている)、『Ⅲ』に激怒した和田慎二が了解しなかったため、作られなかった。このことは、メディアファクトリー版『スケバン刑事』のあとがきにも、和田慎二本人が描いておられる。

 そこで次は、まったくのオリジナル作品が作られた。それが八七年の『少女コマンドーIZUMI』である。

 と、ここで白状しなければならないことがある。私は、この作品のDVD-BOXを持っており、文中でもBOXの帯などに触れているため、DVDで見て語ったはずなのだが、今回、改めて見直すと、まるで映像と書籍で出たときの原稿とが違う。いや、一部は当たっているのだが、かなりの大嘘も書いてしまっているのだった。どうしてこんなことが起こったのか、見当もつかないが、完全なミスである。この場を借りて深くお詫び申し上げる。

 それはさておき、主人公、五条いづみを演じたのは、五十嵐いづみ。少女ヒーローにふさわしい、きりっ、としたルックスで、特に目の強さはこの章の冒頭に引用したように、アクション担当の大野剣友会をして、「あの子の目はヒーローの目だよ」と言わせた。五十嵐本人もアクションには乗り気を示し、ハードなアクションを随所で吹き替えなしにこなしたため、映像表現も豊かになった。

 また、監督の大井利夫、前嶋守男、脚本の我妻正義*、武上純希(他にワンポイントで柿崎明彦、神部一彦)と、殆どが『スケバン刑事』シリーズから流れ込んだ若いスタッフが揃い、なんだかんだ言っても『スケバン刑事』のアイドルドラマとしての限界に感じていたであろう(あくまで憶測に過ぎないが)鬱憤を晴らすが如く、ストイックな雰囲気と、アクションを前面に押し出した作品作りをやってのけている。

 そこまでは、いい、としよう。

 物語は一話の冒頭*から始まる。闇夜の夜、ある『組織』*の特殊訓練場から脱走するセーラー服姿のいづみが、監視の男たちを次々に倒す。物音ひとつ立てず、声も上げさせずに。そして、鉄条網までたどりついてひとこと。

「いつか必ずここへ戻ってくる。正面から戦いを挑むために」

 鉄条網を乗り越えたいづみを、装甲車のマシンガンが襲う。いづみは対戦車バズーカを肩にかつぎ、装甲車を撃つ。闇夜に爆発し、燃え上がる装甲車。この一連のシークエンスの中に、黒地に白のテロップが入る。

「彼女はアイスドール」

「彼女はホットハート」

「彼女はワンマンアーミー」

「彼女は最終兵器」

「彼女は」

 そして炎上する装甲車を振り返りもせず、いづみは歩み始める。そこへタイトル。

『少女コマンドーIZUMI』。

 こうして書いてみると、まあ、かっこいいですわなあ。映像のキレもいいし、スタイリッシュでもある。他に例を知らないような映像だ。

 しかし問題は、この一連のシークエンスが、約六分五十秒あるということだ。つまり第一話の四分の一ほど、台詞がほとんどないばかりか、『彼女』がいづみだ、ということさえ明示されていない。はっきり言うと、つかみが成立していない。

 ちょっと小難しく言おう。アクションシーンは、アクションとリアクションからなる。つまり、攻撃を受けた側の反応によって、アクションを起こした側の強さが決まってくる。時代劇をご存じの方なら、主人公より斬られる側の「斬られ方のうまさ」で主人公の強さが引き立つものだ、ということは容易にご理解できよう。

 このシークエンスには、それがない。夜中の脱走だから、いづみがひそかに、かつ素早く動くというのは理屈に合うが、二、三分見ていると、「そろそろいいんじゃない?」と言いたくなる。

 映像の魔術師・大林宣彦監督は、映画の編集について、「自分が好きな所から切れ」、ということばを遺している。思い入れのないシーンを切るのではなく、つい自己評価が甘くなってしまう、大好きなシーンに大ナタを振るうのが、編集の妙となるのだ、と。六分五十秒の中には、ドラマを入れて、最初のつかみを作り、いづみが脱走するシーンもせめてあと半分は切った方がいい──と書くと、スタッフと全国の『IZUMI』ファンと大沢在昌さん*に叱られそうだが、何せ結果が出てしまっているのでね……。

 訓練所を脱出してきたいづみは、架空の臨海都市・晴海市の廃ビルに寝泊まりし、無実の殺人罪に陥れられた過去を正すため、目撃者として警察に名乗り出た三枝佐織(桂川昌美)を探すが、闇の学生中央委員会会長・湯浅恵子(土田由美)に目を付けられ、対決を申し込まれる。

 勝負はあっという間に付き、佐織もあっさり偽証を認める。いづみは街を離れようとするが、恵子は「勝負はゆっくりつけようじゃないか」と、自らが通う晴海学園高等学校への編入届を渡す。

 私個人は、廃ビルにいたとき、それに、殆どの闘っているシーンでは、ノースリーブの白いシャツにレザージャケット、ジーンズ姿のいづみがかっこよくて好きなのだが、高校へ通うことになったいづみは、何のためらいも思い入れもなく、セーラー服に着替える。まあこのシリーズでは、セーラー服は戦闘服、という不文律があるのでしかたがないが──と言っていると、短い学園生活を堪能して、「あそこに戻って戦いを挑む以外、生き延びる意味はない」と、あっさりジャケットにジーンズ姿に戻ってしまう。

 この物語ではセーラー服にはこだわりがないのか、と思っていると、第一二話では、佐織を傷つけた(物理的に)組織に怒ったいづみは、バイクで走りながら心中でつぶやく。

「私は、私のためだけに闘うんじゃない。二度と私と同じ学生たちから青春の制服をはぎ取らせないためにも、私は闘う」。

 ん? ということは、セーラー服はいづみの奪われた青春のシンボルなのか? と思っていると、一四話のラスト、これから組織の中心だった石津(渡辺裕之)との闘いに赴くとき、いづみはわざわざセーラー服に着替えるのだ。

「闘い抜いてやる。それが私のすべてだから」

 しかも、最初にセーラー服を脱いだ後にも、いづみは恵子たちと、同じ生徒として試験勉強や軟式野球を一緒にやっていて、混乱が増すばかりだ。

 結局、この作品においては、セーラー服は青春のシンボル、ジャケットにジーンズ姿は闘いの象徴、と考えるしかないようだが、もう少し、整理して欲しかった。まあ、私のわがままかもしれないが。


 今、全話を見直して、書ける物、書くべき物はもっとたくさんあることに気づいたが、この作品は私が初めに思っていた弱点が、世間の評価と合ってしまったらしく、全一五話で事実上の打ち切りに(ただし物語は完結している)なってしまった。

 それにしては長い紹介文になっているので、この程度で許していただくとして、ひとつ、つけ加えるなら、このドラマの主題歌『JUST FOR LOVE』*を歌ったバンド、A-JARIは、ドラマ全体の音楽も担当しており、これが絶品だ、ということでファンの間では語り継がれ、その音楽集のCDは、ネットオークションで高値を付けられている。切れとテンポのいい、絶品である。



冒頭──正確には、夜の街を飛ぶヘリの中で、謎の声が「美しい街だ」とだけつぶやくカットが最初に入る。

我妻正義──後に橋本以藏の監督デビュー作『名門! 多古西応援団』の脚本を(共作で)書いている。

『組織』──作品中では、最後まで「組織」と呼ばれている。

大沢在昌さん──日本を代表するハードボイルド作家。DVD-BOXの帯に、推薦文を書いている。あまりにえらいひと過ぎて、呼び捨てにできない……(同じ推理作家協会の大先輩なのです)

『JUST FOR LOVE』──一〇話まで。一一話以降は五十嵐いづみの歌になる。


(この節、おわり)

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