第二節の3 『スケバン刑事Ⅱ』


●二節の二/『スケバン刑事Ⅱ』(八五年一一月~八六年一〇月)東映、フジテレビ


 『Ⅰ』の成功により、南野陽子主演の『スケバン刑事Ⅱ』が作られた。プロデューサーは増員され、映像も、明るさや広さなどが贅沢になった。第一、学園に学生がいる。前作では、ほとんどガヤ*がいなかったのだ。

 このシリーズの勝利は、メインライター土屋斗紀雄と並び立った橋本以蔵の、女子高生に鉄仮面をかぶせる、というアイディアのインパクトにまず、ある、と思っている。何しろ主役・五代陽子こと二代目麻宮サキ(南野)は、幼女時代から鉄仮面をかぶせられ、「重いよー」と言って泣いたり、走っても仮面の重さで転んでしまうのだ。もちろん笑えるのだが、視聴者の心にひっかかるのは、こういう、一見馬鹿馬鹿しいような描写にある。絶対忘れないからだ。

 後にテレビ『花のあすか組!』でも、道の真ん中で茶会を開いている、といったすっ飛んだ描写はあったが、残念ながら怒濤の説得力は持ち得なかった。こういう描写を成立させることの難しさがうかがえる。

 また、その鉄仮面をかぶせられた理由として、「鎌倉の老人」なる「巨大な闇の力」が最初から提示され、それと関連する「謎の美少年」が、全国の高校を侵略しているらしいことも示され、物語のスケール感が出てきている。

 前作『Ⅰ』が、刑事ドラマであり、大人社会の醜さとの戦いであったのに対し、今回の二代目・麻宮サキは、学園での不良との戦いを主としている。学生対学生の対等な戦い、これがこのシリーズのポイントだろう。

 しかしながら、私はこのシリーズに、疑問を感じないわけではない。

 まず、二代目サキが戦う動機に、最初から「愛」という言葉が使われている。80年代、特にアニメを中心にして「愛のために戦う」という言葉が流行ったが、前にも言った通り愛とは何なのか、多くははっきりとは説明していない。このシリーズでも、母校愛など、いろいろな言葉は出てくるが、ワタクシ的には、あくまで抽象的で実体のない概念だと思うのだ。

 実際、『スケバン刑事』を仕切る岡正プロデューサーも、出版物で、この『Ⅱ』で扱う愛を、「弱者への愛、友への愛、父への愛、そして敵であっても同じ実力を持つ戦士への奇妙な愛」と、さまざまな例を挙げて説明してはいるが、かえって散漫になってしまった感は否めない。ずばっとひとことで切り込んで欲しかった。ヒーローと言えども、そんなにたくさんの愛は背負いきれないのではないか、というのが私見であるが、どうだろう。

 また、大きな闇の力という設定はあるものの、物語は「父の意志を継ぎ、悪を倒す」という、新味のないものになっている。「弱きを憎む」のような、斬新な概念、人間関係の見直しは、そこにはないのである。

 そして、何より気になるのは、『Ⅰ』が、「斎藤由貴を主演に据えた刑事ドラマ」だったのに対して、『Ⅱ』は、「南野陽子(たち)を見せるためのアイドルドラマ」であることだ。

 南野陽子は、前転すらできなかったことは、本人も明かしている。『大野剣友会伝』(風塵社)の引き写しになるが、番組に入る前、役者は擬斗担当の大野剣友会でトレーニングを受ける慣例だが、南野陽子に「前転をやってみろ」と言ったところできず、指導していた会員が切れてしまって罵倒し、プロデューサーが止めに入る、という一幕があったそうだ。

 そんな具合いであるから、初期の回では、戻ってきたヨーヨーをつかむことすらできていない。腕立て伏せをさせられるのに、ワイヤーで釣られている、という珍しい光景まで見られる。また、これも『大野剣友会伝』によるが、そういう具合いだから、アクションシーンはどアップか、超ロングにした吹き替えでしか絵が作れず、皮肉にもそれが、メリハリのある画面、と好評だった、という。

 断っておくが、南野陽子を責めているわけではない。できないのが分かっていて連れてきたのだから。あるいは、オーディションで運動神経をテストすべきだったのかもしれないが、言ってしまえば、主演女優は顔が命である。その顔、という点では、南野陽子は戦闘少女としての雰囲気を備えている。後は、現場が苦労するだけだ。

 ただ、その苦労が透けて見える、というか、ほとんどトリック撮影であることが、気になるのかもしれない。

 しかしそれ以上に、『Ⅱ』では、南野陽子の女の子っぽさが強調されている。ここには、問題を感じる。

 例えば、初めて鉄仮面が外されたとき、南野陽子の顔には風が当たる。カメラはそのアップを美しく撮る。それはいいが、そこで非常に軟弱な挿入歌(南野陽子の持ち歌)がかぶるのである。りりしさとは相反するものである。この挿入歌は、その後もしばしば、重要なシーンでかかり、その度に、結局はアイドルドラマなんだな、と私は我に返ってしまうのだった。フェミニンな要素は、少女ヒーロー作品とは別の所にある。

『Ⅰ』に比べて、私が乗れなかった理由は、このようなものである。


 しかし、このアイドルドラマとしての成熟、番組全体の明るさが、『Ⅱ』を成功させたことは言うまでもないだろう。

 この辺は東映特撮もののノウハウである。『仮面ライダー』も、最初は暗く重い話で始まっているが、シリーズが定着すると、陽性な話へと転じている。人気はこうしてふくらむのだ。

 もう一つの成功要因は、特に橋本以蔵が、このドラマを、少女ヒーロー作品の姿を借りて、任侠、あるいは不良の仁義で通そうとしたことにあるだろうと思われる。

 橋本以蔵は、後に五社英雄*の後継者をもって任じ、『陽炎Ⅱ』を監督として撮る、任侠が心に入った人である。そこで、特に相楽ハル子(現・晴子)扮するビー玉のお京に、初登場で渡世人の名乗りを挙げさせるなど、不良ぶりを前面に出した話を作っている。お京が学校で靴のかかとを履きつぶしているなど、演出も細かい。

 また、初期の回から、サキがヨーヨーに仕込んだ桜の代紋の意味を薄れさせているのも注目される。このシリーズは、不良であるサキ達と悪の不良達の戦いであり、権力を背負ったものではないのだ。従って、初代サキの無力感といったこととは無縁なのである。

『Ⅰ』が大人社会の醜さへの怒りであったのに対し、『Ⅱ』はアウトロー同士の対決なのだ。

 これはこれで、筋が通っていると言えるだろう。

 また、岡正プロデューサーは、「『スケバン刑事』がPTA協議会からワースト番組の第5位にランキングされ、暴力、セックス、悪ふざけをテーマとした下品な番組だ、とされた」ことに憤り、『ビークラブ・スペシャル スケバン刑事研究』で、以下のように述べている。

「他の人々のように「ワースト番組とは人気のバロメーターだから、むしろ喜ぶべきだ」とは私は決して思っていない。何故なら『スケバン刑事』ではセックスを売りものにしたエピソードなど一回も作っていない。パンチラシーンでさえ、出さないようにスタッフに言っている。アクションに関してもいわゆる不快感を覚えさせるような残酷なシーンは排除している。血を流すということすらも努めて避けている。つまり極度にストイックな作り方をしているのである」。

 この言い分は、極めてまっとうであり、しかも、それは実現されている。『スケバン刑事』シリーズを単なるアイドルドラマとして見ている人には分からない、美学である。

『スケバン刑事Ⅱ』については、先のビークラブ・スペシャル5『スケバン刑事研究』や、『スケバン刑事Ⅱ完全シナリオ集』など、古本とはいえ研究材料が揃っており、見ている人も多いので、本稿ではあまり踏みこんでは扱わないこととする。何より私の乗りがいまひとつだ。

 しかし、他の作品に比べて、『Ⅱ』については、語り足りないとのそしりを免れないだろう。私自身も、冷淡に感じないではない。

 そこで、秀逸な回を拾っておこう。

 例えば第一九話「海辺の死闘! サキvsサーファー軍団」(脚本・橋本以蔵、監督・田中秀夫)である。勝浦をしめているスケバン・平田たい子(吉田康子*)が命を狙われ、犯人捜しの結果、お京が疑われ、真相、即ち青狼会の用地買収を知ったサキも、命を狙われる。

 結局、たい子の命を狙ったのは、たい子の部下をたらしこんだ、青狼会の男によるものだった。部下の少女は言う。

「原宿へ行ったとき、あの人に誘われて。愛してるって言われて、夢中だった」。

 このことばを受けて、たい子は述懐する。

「サキ。女っていうのは、どうしてこうスカッとしねえんだろうな。男の甘いセリフひとつで、簡単に転びやがる。だからおいらは、みんなにナンパな真似を禁止したんだ」

 サキは答えて、

「けんどなあ、たい子さん。このうちだって、うつくしゅう着飾って街へ出て、素敵な恋を夢見ることもある。それがまた、おなごのかわいい所でもあるんやないやろか」

 一見、軟派な不良を肯定したように見えるが、このときのサキは(そしてもちろんたい子も)、自分たちが、そういう「かわいい」女にはなれないことを、完全に知っている。だからこそ、男に転ぶ女を、同情する権利があるのだ。

 この、吉田康子演じる平田たい子はスタッフが気に入ったのか、本編の三三~三六話、更に映画『スケバン刑事』にも出演している。


 あるいは最終話、四二話「少女鉄仮面伝説・完 さらば2代目サキ」(橋本以蔵、田中秀夫)で、ついに鎌倉の老人の居場所を突き止め、命をかけてその野望を阻止しようとする、サキと西脇(蟹江敬三)とのやりとりは、どうだろう。

「結局、人並みな幸せは知らんまま、死んでいかんのかも知れんちゃ(後略)」

「人並みの幸せより、もっと大切なものを、お前はつかんだはずだ」

「どういう意味じゃ」

「失われれば、二度と戻らぬたったひとつの命。だからこそ、ハンパに使い捨てちゃいかん。お前は精一杯生きた。お前の友人たちもだ。俺はうらやましいぞ」

「おまんは何のために闘うぞね」

「かつて、お前にそっくりの女性を愛した。(中略)だが俺は救えなかった。(中略)サキ、分かるか。愛することは、勇気だ。闘いだ、相手との。そして、己との」

(以上、ソフトより聴き取り)

 ここまで言われれば、愛の意味は明らかになってくる、とは思えないだろうか。橋本以蔵イズムには、ぶれがない。愛は勇気であり、闘いだ、と言うのなら、それは具体的に可視化できる。特に、己との闘い、という言葉は、重い。


 以上、『スケバン刑事Ⅱ』についての言及が少ない、と思ったので、メモから御披露しておく。個人的には、この2話だけでも充分なのだが、ここから先は、ほんとうに『Ⅱ』を愛する人に、語ってもらいたい。


*ガヤ――役のつかない、文字通りガヤガヤしている生徒や通行人。

*五社英雄──東映で時代劇、任侠物など、注目作を多数撮った名監督。代表作に『鬼龍院花子の生涯』。

*吉田康子──『三年B組金八先生』の生徒役で注目された。

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