第二節の2 「スケバン刑事」(Ⅰ)の2

 さて、自分が何者でもない(と思っている)からこそ、「だがな、てめえらのように」というサキの純粋な怒りは、尊い物である。時には力みすぎて「てめえみたいに善人面した小悪党は見のがしちゃおけねぇんだ」という迷言も吐くが(そこで「小悪党」はないだろう)。

 サキは最初、母を人質に取られて無理矢理与えられた使命に関して、投げやり、というか一歩引いた立場をとっていた。この初期、一話から三話は、今見ても、やはりチープな印象は拭えない。それは映像云々よりも、サキのスタンスが確立されないからだ。「普通の女の子になる」と言って、無意味にニコニコ登校してみたり、アイドル売りをしよう、という商売上の目配せを感じてしまうのである。事件自体も小規模なもので、かろうじて、演出によるサキのヨーヨーの破壊力だけが、番組を成立させていた。

 だが、第四話、「白い炎に地獄を見た!」(脚本・海野朗*、監督・田中秀夫)で、そのスタンスは変わる。

 同級生の奈々美が、父親殺しの疑いで警察に引っ張られるが、実はそれは陰謀で、亡き父が遺した汚職の資料を手に入れるため、拉致されたのだった。娘を案じて狂乱する母親(左時枝)の姿に、サキは、自分の母親の姿を重ねる。「おふくろってもんを悲しませる奴は、許せない!」と言い放つのだ。

 少女ヒーローは、男性ヒーローが父と息子の関係を描くのに対し、母と娘の物語であることが多い。この事が明らかに提示されているのがこの回だ。

 そして、サキの私的な怒りが任務を超えたとき、サキは少女ヒーローになった。彼女の捜査で悪人(幸田宗丸*、黒部進*ら)の正体が明らかになると、暗闇司令との連絡役・神恭一郎(中康次*)は、任務は終わった、と告げる。相手は財界の大物、サキが立ち向かうには大きすぎる相手だからだ。だがサキは、「この事件は最後までやらせてよ!」と訴える。

「許せないんだ。自分の欲望だけで、他人の小さな幸せをめちゃめちゃにする奴は、……許せないんだ」

 その言葉に、神も、もはやサキを止めることができないと悟る。サキは、十字架の傷を持つ左手に、ヨーヨーを操るための手袋をはめる。この傷は、死刑になる母親が連行されるときに負ったもので、これまでにも出てきているが、ここで初めて、意味を持つ。即ち、この傷こそが、サキが戦う動機なのだ。

 この回は、サキが敵地に乗り込むシーンが長く印象的だが、「何者だ?」と悪人に問われたときの、サキのセリフがいい。

「何者だ? なめた口をきくんじゃねえ! 他人の命と真心を食い物にする、てめえらこそ何者だ!」

 サキの怒りは、桜の代紋の権威を超えてしまったのである。

 そして、ヨーヨーで逮捕した悪人に、サキは言う。

「せいぜい罰を受けるんだね。……だけど、もう、奈々美の父親は帰ってこない」

 彼女に出来るのは、悪人を逮捕することだけであって、起こった悲劇を修復する力はないのだ。無常観を味わいながら、サキは立ち去る。


 以降のサキは、「甘え」というものを憎み、怒る。五話では柔弱な教師に、六話ではわがままなアイドル歌手に怒りをぶつけるのだ。

 そして、シリーズ最高の回がやってくる。第七話「愛と憎しみのアーチェリー」だ。若い脚本家を重用しよう、という方針の下、スタッフに加わった脚本家・橋本以蔵の秀作である。

 名門高校の教師が次々に、アーチェリーで命を狙われる。「ガイ者が先公じゃ、乗り気しないね」と言うサキだが、命令で高校に乗り込む。この高校は厳しい管理教育を行っており、それに反対して、不良の子をアーチェリーで更生させている教師・門馬は追放されようとしている。顧問を務めるアーチェリー部も、廃部に追い込まれる。

 廃部に反対したユミ(財前直見*)は退学処分となり、現在は元の不良に戻っている。彼女にサキはタイマン勝負を挑み、お互いにその強さに感じて、友人となる。ユミは、「自分自身を好きになることを教えてくれた」初めての人、門馬を強く慕っていた。

 だが事件は続く。凶器がアーチェリーであることなどから犯人を悟ったユミは、自分で罪をかぶる。サキの追求に、あくまで自分が犯人だと言い張るユミ。サキは言う。

「ユミ。少年院の飯は、簡単には喉を通らないよ。死ぬほどつらい夜が待ってるんだ。あんたにそれが、耐えられるのかい」

 犯人は、門馬だった。学校を免職になる門馬は、自分の理想主義を理解せず、追いやる教師に、復讐していたのだ。門馬を捕らえようとするサキの前に立ちはだかるユミ。その隙に逃げようとする門馬にサキは激怒し、ユミに当て身を食らわせ、門馬の隠れたブロック塀をヨーヨーで撃つ。これまでも車のフロントグラスなどを壊したヨーヨーだが、ついにブロック塀を崩してしまう。サキの怒りの強さこそが、ヨーヨーの強さなのである。

「人を闇討ちするような教育の理想なんかあるもんか!」

「ひとりの教え子を救えない、ハンパな理想主義を振りかざして、人殺しに走るほど、あたしはなまっちゃいないんだ!」

 門馬はサキに捕らえられる。ユミも、門馬をかばった罪で捕まるだろう。

 だが、どうしてあくまで、学校に堂々と抵抗できなかったのか。いや、できないとしても、なぜ犯罪に走らねばならなかったのか。この結末に、サキは叫ぶ。

「弱い……門馬もユミも、みんなどうしてこう弱いんだ、神!」

 その問いに対して、サキを見守る神恭一郎は答える。

「時には人の弱さが罪な場合もある。弱きを憎め。それが、お前がスケバン刑事であり続けることの理由だ」

「弱きを憎め」、という、この独自の論理には、私はハッとしたのだった。それは、来るべき、いや、すでに来ていたとおぼしい、自分は弱い者であるから何をしてもいいんだ、という時代へのストレートな警鐘だったのだ。そして、私自身にも。

 麻宮サキが戦わねばならなかったのは、権力だけではない、日本の市民社会そのものが孕んでいる、悪へと傾きやすい危険だったのである。


 この情念の力によって好評を勝ち取った『Ⅰ』は、第二部で、原作にもある、海槌三姉妹との戦いに入る。

 残念ながら、ここでは、映像のチープさが災いした、と言っていいと思う。敵が、日本を揺るがすような悪人に見えないのである。高橋ひとみ、神山繁といった役者陣をもっても、いかんともしがたかった。原作では樹海に囲まれた要塞刑務所・地獄城がただの津田塾大学*だったりするし。

 何より問題なのは、この第二部で、斎藤由貴は、単なる親孝行で小市民的家庭を愛する娘になってしまっていることなのだ。

 ヒーローとしてのりりしさ、無常観はそこにはなく、斎藤由貴は、むしろ母性原理に突き動かされているように見える。また、最後に倒すべき敵の正体が、父親*神山繁と、その娘で真の悪・高橋ひとみとの間でぶれるのも、話を矮小にしている。原作でのクライマックス、少女ヒーロー作品でなければ描けない女と女のりりしい対決が、かすんでしまっているのだ。

 しかしながら、ともかく第一作は視聴率十パーセントを超える好評に終わり、私のようなマニアをも捉えた。


*海野朗──同作の遠野海彦と同じく、少女ヒーローものの有名な脚本家の別名。同時期に進んでいた別の会社の作品とかぶるのがまずいので、別名にしたとある。公表している、という根拠がないので、知りたい方は、ウィキペディアなどをご覧いただきたい。


*幸田宗丸──主にテレビで、時代劇、刑事もので活躍した名優。


*黒部進──『ウルトラマン』のハヤタ隊員。


*中康次──モデル出身の俳優。角川映画『戦国自衛隊』で注目された。


*財前直見──角川映画『天と地と』など、映画・テレビで活躍した女優。現在は九州在住。


*津田塾大学──広い中庭と、西洋風の建物に和風の瓦が乗った独特の建築で、七〇~八〇年代、よくロケに使われた。『ハウス』も、中庭から教室、廊下までが本校舎で撮られていて、更に裏庭にあるゲストハウスも、おばちゃまの家に一部使われている。


*父親が神山繁──もちろん、サキの動きを封じるための方便に過ぎない。


(この項、おわり)

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