第一節の3 「不良少女とよばれて」(1)

 1984年9月~95年4月 大映テレビ、TBS


 この物語は、民間舞楽の世界で活躍する原笙子の実話*を元にして、非行に走った少女が立ち直り、舞楽の世界に進むまでを描いたドラマである。

 しかし、原作者が非行に走ったのは、戦後の混乱と貧困が元だった。つまり一九四〇年代の話なのだ。その話を、大映テレビは平然と八四年現在の話として描く。そのため、見ていて唖然とするようなエピソードがあった。

 第三話「ビギン・ザ・ラブ」(脚本・江連卓*、大原清秀*、監督・山口和彦*)で、主人公・曽我笙子(伊藤麻衣子)は、貧乏ですさんだ宮司の家の娘で(ん?)、弟の給食費も払えないので(うーん?)、けなげにも自転車で昆布の行商に出る(うーーむ)。ところがそれを地回りに見とがめられ、自転車ごと海へたたき込まれる。

 この非現実感についていけるかが、大映テレビを楽しめるかどうかの分かれ目になるのだが、私は乗った。というのはこの話、息をもつかせず次のように展開するのだ。

 お金も稼げず、ずぶ濡れの笙子は、やっとの思いで家に帰ってくる。ところが、やはりすさんでしまった母・美也子(小林哲子*)は、がっかりしている笙子にいきなり当たり散らし、「お前なんか産むんじゃなかった」、とまで言うのである。さすがのけなげな笙子も、この言葉に絶望し(寒かったんだとも思う)、世をはかなんで、夜の雨の線路をあてどもなく歩いている。向こうから電車が走ってきて、通り過ぎる。轢かれた、と思った瞬間、列車が通り過ぎると、線路の向こう側に転がっていた笙子が起き上がった瞬間の目が、すでに不良の目なのだ。そして、息をもつかせず、黒バックに不良メイクの笙子が立ち上がるのである。

 そのデフォルメとメリハリに、私は参っちゃったんですね。

 この感覚は、ヒーロー物のそれだと思うのだ。実際この番組には、『仮面ライダー』や戦隊シリーズの基礎を作った名監督、竹本弘一*が入っている。また、先に名前を出したが、東映のプログラムピクチャーを量産し、『Gメン'75』も撮った山口和彦も参加した。もともと大映テレビ作品の常連である江崎実生も映画で不良物は得意だし、脚本の江連卓、大原清秀もヒーロー特撮を多く書いた人だ。ついでに音楽は特撮界の巨匠、菊地俊輔。こういう大映テレビと東映、いわゆる『人間ドラマ』*と特撮との接点に、この番組は成立したのかもしれない。

 伊藤麻衣子は、八三年にデビューしたアイドルだが、『不良少女とよばれて』のDVDを見ると、アイドルと呼ばれるのが大嫌いで、不良役を志願した、と言う。また、『高校聖夫婦』のとき共演した伊藤かずえ、比企理恵、そして同じく伊藤麻衣子主演の『少女が大人になる時 その細き道』の松村雄基などが、スタッフごと『不良少女とよばれて』になだれ込んでいる。

 前二作では清純そのものだった伊藤麻衣子だが、ここでは、相模悪竜会会長(すごいネーミング)を名乗り、カーリーヘアに今ならデーモン木暮閣下ぐらいしかしないようなメイクで、甘さのない不良を演じる。タイトルバックを見ても、乱闘シーンでの腰の入り方、凶器のふるい方は本物で、『微熱カナ』なんて歌を歌っていた女の子とは思えない。

 その伊藤麻衣子に真っ向から対決しているのが、伊藤かずえ・松村雄基の不良コンビだ。伊藤かずえ扮する葉子は、作品中で「カミソリマコ」、「モナリザ」、挙げ句の果てには「星の国から流れてきた女」(いくつニックネームがあるんだ)とまで呼ばれるし、松村雄基の朝男は「裏町のドブでくたばるワル」などと自嘲し、更生して刑務所から出たときのセリフは「俺は今、とっても素敵な気持ちだぜ!」である。「素敵」という語感がたまらない。受けて立つ大映テレビ生え抜きのカタギ・哲也の国広富之は、「人を愛するということは、その人の全人生に責任を持つことだ!」なんて言い放ってしまう。

 こういうセリフと世界に、役者としての生理を乗せるのには、ある種の覚悟がいるだろう。虚構の世界を生きる潔さ、まさにヒーロー番組の、それだ。

 たしかに放映当時、すれた二十代だった私も、笑っていた。「人を愛することは~」だって、そんなことできるかいな、という気分だったし。そういうまとめ方も可能だろう。

 だが、今世紀に入って、初めてこの番組を見た若い人に、こんなことを言われたのだ。

「こんなに熱く人生を語れるドラマは、今ないんじゃないでしょうか」

 正直、びっくりした。そうか。今、この世界をストレートに受け止める人がいるのか。

 それを再認識して、ビデオを見直してみた私は、うん、これは笑えるだけではない。むしろ、一つの理念を熱く、真っ向からぶつけた、ヒーロー番組なんだ、と素直に見直したのだった。この後に紹介するストーリーから、それをくみ取っていただければ幸いである。

 考えてみれば、愛する人の全人生に責任を持つ、というのも、たしかに無理だし、かなり暑苦しい考えでもある。だが、人生のある時期、そうした気負いや理念があってもいいんじゃないか。極論ではあるが、邪道ではない。血の通ったセリフだと思うのだ。

 おそらくは放映当時の私も、その他の笑って見ていた人たちも、この点に心のどこかでは気づいていたように思う。単に笑えるというだけでは、この番組の裏に入ったロス五輪を視聴率で抜く*、とされたほどの人気は出なかっただろう。

 さて、物語だが、前述の事情で親に見捨てられ、すさんだ非行の道に入った笙子は、ある日、笙の奏者である久樹哲也(国広富之)に出会い、笙に興味を見せる。そこで哲也は、雅楽によって彼女を立ち直らせようと決意する。だがそのため哲也は、葉山恭子(岡田奈々*)との婚約を解消し、失意の恭子は交通事故を起こし、不幸へと導かれていく。

 笙子は哲也の熱意に打たれ、不良を辞めようと自首して、少年院・相模女子愛育学園に入るのだが、東京流星会の会長・西村朝男(松村雄基)は笙子に惚れており、不良の世界へ引き戻そうと画策、手下の山吹麻里(比企理恵・朝男に惚れている設定)を送り込む。更に少年院には、白百合組影の総番長、長沢真琴こと久樹葉子(伊藤かずえ)が待ち受けていた。彼女は笙子と対立するだけではなく、実は哲也の腹違いの妹、愛人の子で、それ故に哲也に愛憎半ばする念を抱き、笙子を罠に陥れようとするのだった。

 かくして人物関係はぐちゃぐちゃに錯綜し、それぞれの愛憎は激突し合う。その中で笙子は次第に立ち直って行くのだが、絡み合った運命の糸は、簡単にはほぐれない。

 それが劇的に展開するのは、番組も終盤に入ってからである。


*実話──同題の自伝がちくま文庫から出た。原さんは、ドラマを見て絶句した、

とも伝えられる。

*江連卓──『宇宙鉄人きょーダイン』(七六)から、一連の特撮ドラマのヒット作でも知られる。その後、舞台脚本を書くようになった。

*大原清秀──その名も『女番長』(七三)辺りから頭角を現わし、『有言実行三姉妹シュシュトリアン』(九三)などではシュールな作品を書いた。

*竹本弘一 ──東映特撮の『仮面ライダー』や戦隊シリーズの基礎を作った名監督。当時のことをよく知る人に聴いたのでは、大映テレビではあまり厚遇されなかったということで、削除しようかと思ったが、名前を残したいのでそのままにする。

*山口和彦──東映の『ずべ公(女性に対する蔑称)番長』シリーズ(七〇~七一)を経て、『女必殺拳』シリーズ、『ウルフガイ 燃えろ狼男』(七五)などを撮る、いわゆるプログラム・ピクチャーの名手。

*小林哲子──『海底軍艦』のムウ帝国皇帝役で知られる。

*人間ドラマ──私はこの用語が好きではない。それが『カーズ』の車であれ、怪獣であれ、人間的メンタリティを持っていると思うからだ。メンタリティがないのは、光怪獣・プリズ魔を筆頭とするわずかな例ではないだろうか。プリズ魔が登場するのは、『帰ってきたウルトラマン』で、脚本は同作に助演をした岸田森だが、この人を語り出したら百科事典ができてしまうぐらいの、性格俳優の超名優。

*岡田奈々──アイドル歌手出身の女優。その後も大映テレビ作品で好演。言うまでもないが、AKB48の岡田奈々とはまったくの別人。


(この節、続く)

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