第五節の1 「愛・旅立ち」と「TAN TANたぬき」

 八五年の『愛・旅立ち』は、中森明菜の初主演にして唯一の出演映画である。プロデューサーは、『ベルサイユのばら』*『太陽を盗んだ男』『あずみ』(第四章参照)の山本又一朗。

 ちなみに『映画秘宝』によれば、最初は、大友克洋のSF漫画の大傑作、『童夢』が企画されていたそうで、それも観たかったが、技術的に無理があったんじゃないだろうか。超能力表現が、当時の特撮技術では困難と思えた。ずっと後に観月ありさのデビュー作『超少女REIKO』(第三章参照)で、ちょっとだけ再現されている。

 さて、『愛・旅立ち』。根本的な骨格は、純愛アイドル映画だ。天涯孤独でバイトをしながら定時制高校に通うけなげな小泉ユキ(中森明菜)が、出てくるなり先天性の心臓病で倒れ、あと半年の命と開巻三分で分かる。ストーリーテリングの手際の良さが分かる。五代誠(近藤真彦)は粗暴だが純粋な車バカ。

 この二人が恋に落ちる。これだけで言えば、何十本あるか分からない難病ものではある。

 ただ、これこそひとことで語ってはいけない映画なのだ。

 病室でほとんど寝たきりのユキが、死の恐怖から神に祈ると、彼女が愛読していた耳なし芳一の霊が恩返しに現われ(実在の人物だ、と映画では言っている)、元気にしてくれて、一緒に街へ出かける。この耳なし芳一、特殊メイクをした子どもでめちゃめちゃ怖い。

 一方誠はすさんだ暮らしを送っていたが、『自由人』*の奈良力(丹波哲郎)と仲良くなり、死後の世界や霊魂について話しているうちに、見知らぬユキとの出会いを予知する。丹波哲郎の熱弁が、超常的力を与えたのだろう。

 ふたりは耳なし芳一の引き合わせで出会い、一日デートするのだが、ユキは発作で死に、幽体離脱した霊が死後の世界をさまよう。誠は彼女の死体を盗み出し、必死に心臓マッサージをする。その愛の力と、突如関東を襲ったマグニチュード五・六の大地震のショックで、ユキは生き返る。で、……半年後に病死する。

 全編、星空や夕焼けが合成だったり、二人がデュエットしたりと、『時をかける少女』を彷彿とさせるのだが、いったいなんでこんな話に……脚本・監督は、『ノストラダムスの大予言』などの舛田利雄。なるほど、と納得してはいけない。耳なし芳一の話を撮ろう、と持ちかけたのは、共同脚本の笠原和夫だ、というのだ。『仁義なき戦い』の名脚本家がなぜ、ってまあ人間、同じ物ばかり校いているわけではないが。

 ただ私、この映画には感動した。こういう話でも、スタッフもキャストも大真面目で、空回りしていない。驚くほど完成度が高いのだ。運命は変わらない、だからこそ人生は尊い、という結論も前向きだし、一二七分の中にアクションから特撮から詰め込んで、トーンが崩れない。中森明菜は何もそこまでというほど役に入れ込む人だが、ここでも耳なし芳一と本気の演技で対話するから、結果的に、その辺を歩き回る霊という存在が自然に見える。近藤真彦も、真面目。それらが、この映画を、作品として成立させているのだ。

 所詮、色物じゃないか、というツッコミはあるだろう。だが、敢えて言う。色物でどこが悪い? 映画そのものが見世物ではないか。

 信念に裏打ちされた見世物は、時として文芸大作を越えるのだ。


 チェッカーズの主演作『チェッカーズ IN TAN TAN たぬき』(八五)は、『竜二』や『野蛮人のように』で非常に評価された若手監督、川島透が撮った。フジテレビ製作。

 最初にはっきりさせておく。私はこの映画が嫌いだ。ビデオは二度目から*サーチで飛ばして観たが、その価値すらない。駄作とかの問題じゃない。作り手の心根が卑しすぎる。

 勝手に興奮しても何なので、ストーリーの紹介から。チェッカーズは音楽好きの狸で、山の中に五〇年代アメリカのようなドライブインを作り、狸仲間で五〇年代ファッションの人間に化けて、オールディーズを歌っていた……というのが冒頭。

 なぜ狸か、の推測だが、日本映画には戦前から狸もの、という娯楽映画の一ジャンルがある。市川雷蔵、エノケン、美空ひばりまで狸(が化けた人間)の役で主演してるぐらいだ。だからこの企画も通ったのかもしれない*。

 とにかくそこで楽しくやっていた所へ、アメリカの秘密組織が山狩りに来て、仲間はほとんどつかまってしまう。秘密組織の狙いは、狸の超能力の解明だった。で、逃げ延びたチェッカーズは、東京へ行ってバンドをやろうと決意し(意味不明)、SLの貨車に乗り込んで東京へ向かう。ここまでが、妙にシリアスに撮られている。

 で、タイトルが終わると、もう人気バンド、実際のチェッカーズになっている。そこで私は、引いた。なんで、ファンタジイを作っているのに、のっけから現実へ引き戻す?

 以下、彼らがファンに追っかけられて逃げる所がコミカルかつ執拗に描かれ、その間に秘密組織やらオカルト番組やらが絡んで……もう、ここから先は校く気がないのでやめた。

 狙いは憶測できないではない。要するにリチャード・レスターのビートルズ映画をやろうとしているのだろう。ただ一貫性がなく、入り込めない。コミカルにどたばたしたかと思うと、急にアメリカ青春映画になってみたり、特撮映画の画になってみたり。ついていけない。

 何より悪いのは、実在のチェッカーズをおちょくる表現が、随所に出てくるのだ。アイドルの戯画化をして、たまにシリアスにすればいいんでしょ、という……それは、失礼だ。

 パロディや引用も、多く出てくる。大林宣彦にも引用の多い作品がある。だが、大林監督のような、原典への敬愛が感じられない。利用しただけ、という冷たさが伝わってきてしまう。

(人の褌で相撲を取るようだが、監督の川島透がそういう感じでの引用のしかたを『野蛮人のように』(八五)でやっていることを、映画評論家の増淵健氏が指摘している*)

 私は、あらゆる意味で人を攻撃するのは好きではない(そのせいで日和見主義だ、と思われることもある)。評価できないことを校いても、読者の気分が悪くなるだけだ、と思っている。だが、せっかくの娯楽映画を冷たく撮られたことがどうしても許せないし、後世に伝えないと、『愛・旅立ち』のように真剣な映画と一緒くたに語られてしまうのが、絶対に嫌なのだ。だから、このように校いた。気分を悪くした方、ごめんなさい。

 唯一救いなのは、フミヤ(藤井郁弥)を慕って東京へ出てくる子狸の遠藤由美子が、かわいくて、演技も一生懸命なことだ。この人は、ソフトクリームという三人組アイドルのひとりで、『欽ドン 良い子悪い子普通の子』に、おまけの子役で出ていた。この子が出ているときだけは、サーチを止めて観ることができた。この子と絡むジョニー大倉も、真面目に演じている。川島透は、少女だけはきちんと撮ろうとしたのだろうか。だったら少しは救われるが……。

 特撮は、最高水準を誇る特撮会社、デン・フィルムエフェクト*が担当している。技術も高いがギャラも高く、角川の大作『里見八犬伝』でも、全部のカットは担当させられなかった。それをふんだんに使った特撮は、見事だ。だが、報われない仕事としか思えない。


 このように、同じアイドルファンタジイ映画で、とんでもない設定でも、いい悪いが生まれることは、知っておいて欲しいことだ。企画書のお題目で映画は救われない。

 そしてその頃、アイドル映像は別のジャンルへも走り出す。それが、本稿の主題、少女ヒーロー映像なのである。長い前振りで申しわけない。

 それについて語る前に、もう一つ、『時をかける少女』が生んだとおぼしき、何ともいわく言い難い映画を、記録しておこう。


【注】

*『ベルサイユのばら』――全編をフランスロケ、フランスの役者が出て、フランス映画の監督、ジャック・ドゥミが撮った結果、小粒な洋画になってしまった映画。

*自由人――つまりホームレス。

*二度目からは──書籍で出たとき、うっかり最初から飛ばして見たかのような書き方をしたら、叱られてしまった。申しわけありません。

*狸映画――かなり最近の作品でも、鈴木清順監督の遺作『オペレッタ狸御殿』(〇五)がある。

*増淵健氏の指摘――『B級映画 フィルムの裏まで』(平凡社)に詳しい。

*デン・フィルム・エフェクト――東宝特撮を支えた数々の光線を描いた合成作画の飯塚定雄を社長に、円谷プロ出身の光学合成の天才・中野稔、同じく円谷プロ出身の、水の特撮などで知られる佐川和夫などが作った、主に合成の仕事を務めた特撮の会社。私がインタビューしたとき、「あの映画(薬師丸ひろ子の『里見八犬伝』)の合成シーンはどこですか」、と質問したら、中野氏は「あなたが見て特撮と分からない所が、うちの担当です」、とお答えになった。


(この節、続く)

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