第三節 薬師丸ひろ子の降臨、そして……。

 以前に、中国からの留学生の方に、こう訊かれた。

「日本のレンタルビデオ店で、森村誠一先生の『野性の証明』を探しているのだが、見つからない。いったい、日本での森村先生の評価はどのようになっているのか。また『野性の証明』とはどういう映画なのか」

 なんで森村誠一かと思ってきいたら、中国ではその頃『人間の証明』が公開され、大ヒットしたのだそうだ*。近世の中国ミステリは人情優先で、つじつまが合わなくてもOKだったそうだが、国情だから悪いとは言えない。そのヒットのせいで、森村誠一は日本を代表する文学者*と考えられたらしい。その代表作のビデオがないのはどういうことか、と言うわけだ。特に中国では、映画イコール原作者のもの、という考えがあるのだそうだ。

 さあ困った。森村誠一は確かに凄い作家だ。しかし映画の『野性の証明』は……まさか「薬師丸ひろ子のデビュー作だ」、とも答えられないではないか。

 私は考えた末、「この映画は、国家権力に対する個人の尊厳の戦いを描いたものだ」、と答えて、納得してもらった。ものは言いようである。

 実際、『野性の証明』の「テーマ」は、そういうものだと私は思う。映画がテーマで語られるものだとしたら、何も間違ってはいない。

 しかし、当時二一億稼いだヒット作、っていちいち金で言うのもいやらしいけど、興行面からの変化を語る章なので、見逃して欲しい……のこの映画について、いま私が思い出せることと言えば、「ネバーギブアップ」というCMのフレーズ、薬師丸ひろ子、そして、ラストの戦闘シーンだけなのだ。

 角川春樹は、この戦闘シーンを洋画並みにしたかった。お話は、自衛隊の特殊部隊にいた高倉健が、地方公共事業の不正に巻き込まれたことから始まり、最後には自衛隊を敵に回して戦う、というものなので(原作とは違う)、当然、自衛隊の協力は得られない。それでカナダにロケして、本物の戦車を大量に動員した。原作にも脚本*にもない。角川春樹の趣味である。

 それはいいのだが、舞台は東北だ。特に私は青森生まれだから、どう見たってカナダの風景を東北とは思えない。しかも最後で、死闘の末、高倉健が薬師丸ひろ子を背負って森から出てくる。向こうからは大戦車部隊が押し寄せてきて、これは抹殺されるしかないよなあ、と思っていると、両者は何ごともなかったかのように、すれ違ってしまうのだ。そこで、クレジットが流れて終わる。この意味が分からなくて……。

 ちなみに、現在CSなどで放映される『野生の証明』では、高倉健が闘志を込めて銃を構えるショットで終わっており、戦車とのすれ違いは、クレジットの片隅に小さく映るだけだが、こういう改変は、どうかと思わないでもない。歴史的事実は直視すべきだ、と思う。

 とはいえこの作品、毎日映画コンクールで日本映画ファン賞を受賞している。確かにかっこいい映画だったが、少なからず、薬師丸ひろ子に投票した人がいるような気がしてならない。

 やっと本題にたどりついた。この映画の鍵を握る頼子役として、一般公募で選ばれたのが、薬師丸ひろ子(当時・博子)だったのである。

 この子は惨殺事件で家族を失い、その犯人を高倉健だと思いこんでいたが、その後、事件のショックで記憶を喪失し、責任を感じた高倉健が引き取って育てている。彼にとっては爆弾のようなもので、いつ記憶が蘇るか分からない。しかもショックのせいで、超能力を持ち、災厄を予言したりする。これこそ、少女だ。神秘、常識外れ、危なっかしい。

 原作では七、八歳の女の子だし、超能力少女と言えばもっとエキセントリックな風貌の子を選ぶのが普通かもしれない。だが、公募で薬師丸ひろ子を見た角川春樹は、この子はスターになる、と直感したらしい。審査員のつかこうへいに根回しまでして選んだ*。

 結果として、これが大げさに言えば日本映画を、いや、少なくとも少女映画を変えた。

 それまで少女スターと言えば、実年齢より成熟した子が人気だった。山口百恵なんか、完全にそうだ。しかしここに、「美」のつかない女子俳優一四歳が、超能力を持って現われたのである。顔も子どもだし、性の未分化状態。実は身長が一五五センチ位あり、相応に発育していたようだが、だぶだぶのパーカーとジーンズを着せて、未成熟に見せている。ここが、うまい。

 その薬師丸ひろ子が、終始むっとしたような顔で、超能力によって無気味な予言をしたり、もっと無口な高倉健と共に影のある生活をしている所に、私はしびれたのだった。観念上の少女が、現実に立ち現われたのだ。


『野性の証明』の薬師丸ひろ子は、少女映像ファンだけにではなく、幅広く注目された。しかし、第二作はなかなか出なかった。高校受験があったのだ。

 高校に入った八〇年、薬師丸ひろ子は、『翔んだカップル』で初主演する。これは角川ではなく、キティ・フィルムの作品だった。憶測だが、この年には角川春樹が全力を尽くした『復活の日』*があったので、角川は他に手をかけられなかったのではないかと思う。

『翔んだカップル』だが、好みを抜きにして言えば、初監督の相米慎二が青春の苦さとぎこちなさをリアルに描き、若い観客の心に突き刺さった。共演は後に大映テレビで爆裂する鶴見辰吾、大林宣彦ファミリーで爆裂する尾美としのり(信じられないほど太っている)、そして実人生が爆裂している石原真理子。トーンの暗さが、薬師丸ひろ子のイメージによく合っていた。

 この『翔んだカップル』は翌年、芦川誠、桂木文主演で、フジテレビでドラマ化されている。こちらはもう、ラブコメそのものというか、よく言えばドラマとバラエティが一緒になったようなものだったのだが、これが当たったらしくオリジナルの『翔んだライバル』『翔んだパープリン』と続き、同じようなスタッフ・キャストで、原田知世の『セーラー服と機関銃』『ねらわれた学園』が作られ、更にはアイドル映像の宝庫『月曜ドラマランド』へと続き、『スケバン刑事』にまで影響を及ぼす。これが、この本を角川映画から始めた理由だ。少女映像の環はこのようにつながっているのである。

 ちなみに、原田知世の項と重なるが、このドラマ『翔んだカップル』で初めて、NG集というものが付けられたのだそうだ(尺が足りなくなったためつけた、とウィキペディアにある)。

 翌年、角川に戻った薬師丸ひろ子を待っていたのは、大林宣彦監督の『ねらわれた学園』だった。しかし、東宝の近藤真彦主演『ブルージーンズメモリー』のB級映画(二本立ての裏)で、予算も時間もない作品だった。加えて、相米慎二の長回しで延々撮る芝居で役者魂に火がついた薬師丸ひろ子は、大林監督とはまるでかみ合わなかったようだ。何しろ大林監督はカット割りが細かく、薬師丸ひろ子を千カット以上撮りたい、なんて執念を燃やしていたし、当時の大林映画は、編集したのを見て、初めてスタッフがどんな映画か分かる*、というものだったのだ。たぶん薬師丸ひろ子には、理解を超えていたのだろう。

 その証拠として、雑誌『バラエティ』で、二人が対談した号がある。これが会話にならず、しまいには薬師丸ひろ子が沈黙してしまうのである。それを載せるのもいい度胸だが。

 大林宣彦も相性の悪さは感じたようだ。この人は著書が多く、その中で自作に出演した女優をほめ倒すのだが、薬師丸ひろ子にだけはしばらく語っていなかった。九〇年に出た『映画、この指とまれ』(徳間アニメージュ文庫)で軽く触れたのが、たぶん最初ではないだろうか。

 こんな理由もあってか、同じ年の暮れに、キティ・フィルムと角川が『セーラー服と機関銃』を共同製作する。監督は再び相米慎二。この映画で、薬師丸人気は爆発した。普通の女子高校生が弱小やくざの組長にされてしまい、大組織と戦い、最後には敵地へ乗り込み、機関銃を乱射する、という話だ。これは『極道の妻たち』と同じ日本人好みのパターンではあるのだが、相米慎二が撮ると、どうしても娯楽映画から一歩はみ出したものになる。重みのある、そして暗い映画である。やっぱり、薬師丸ひろ子には暗い映画が似合うようだ。

 赤川次郎の原作が、ユーモア小説のようで、実は構造的に暗い話なのだが、脚本の田中陽造*がまた、原作ではデフォルメされているやくざをリアルに描くものだから、観ていた私はやりきれなさを感じたものだった。しかし赤川次郎は、「十七歳の女の子が十七歳を演じたこと」を評価している。実際、薬師丸ひろ子の持つ生っぽさというか、そばに寄ると女の子の匂いがするような感じが伝わってくるような作品ではあったが、私には無縁だった。

 この映画は翌年、今で言うディレクターズカットで再公開され、ますます盛り上がった。

 そして、薬師丸ひろ子の時代は、私的には、ここで終わる。

 大学へ入るためまた休業した後、『探偵物語』(映画のほう*)で帰ってきた薬師丸ひろ子は、すでに女子大生の役だった。『里見八犬伝』を経て、八四年の『メインテーマ』では、中年男・財津和夫との恋愛に破れ、桃井かおりに説教されて「いい女」になって男(野村宏伸)とホテルに入る。世間の薬師丸ファンは知らないが、当時の私は落胆した。その後、澤井信一郎の監督『Wの悲劇』で役者根性を見せるのだが、少女とは無関係である。

 さて。次へ行く前に、ひとり紹介しておかねばならない監督がいる。大林宣彦である。



*『人間の証明』――その前、七六年に、同じ高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』(徳間大映)も中国ではヒットしており、そういう意味ではつじつまが合っている。

*文学者――当時の中国では、純文学という概念がないらしく、ミステリもSFも、すべて文学なのだそうな。現在は知らないが。

*脚本のラスト――岩の上に、少女を高く掲げた男のシルエットが映っている。

*つかこうへいに根回し――『角川映画大全集』(角川校店)につか本人が明記している。

*『復活の日』――制作費二〇~三〇億(諸説ある)を投じて作った、終末SF映画。『ナポレオン・ソロ』で有名なロバート・ヴォーン、異常犯罪者が得意のチャック・コナーズ、『ロミオとジュリエット』で日本でも人気になったオリビア・ハッセー、『スーパーマン』の父親役、グレン・フォード他、洋画ファンにはたまらない俳優が日本豪華俳優陣と共演した大作だったが、一般には、特に日米の俳優の芝居が乖離している、という批判を受けた。

*編集したのを見て初めて分かる――特に早撮りの監督は、シーン順には撮らないため、ときにこういうことが起きるようだ。

*田中陽造――鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(八〇)など、尖鋭的な脚本も書く人。

*映画のほう――同じタイトルの、同じ松田優作主演のドラマがある。


(この節、終わり)

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