第二節の2 『人間の証明』

 世間の評価がどうあれ、『犬神家の一族』で「角川映画は面白いらしいぞ」、と思った私は、次の『人間の証明』にも期待した。テレビで流れたCMが、またかっこいい。大野雄二作曲、歌・ジョー山中のバラードに乗って、麦わら帽子がひらひらと谷底へ落ちて行く映像に、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね」、と西条八十の詩の一節だけが入る、全く中身の分からない予告である。ポスターも、ニューヨークの街並みを遠景に、黒人の男の子の顔が写っているだけのもの。そういうセンスは、日本映画にはなかったものだと思う。

 で、映画を観て、ひっくり返った。あまりにも人情ものだったのだからだ。

 映像は美しかった。ニューヨークロケはもろにアメリカ映画で、ちょうどその頃公開された『エアポート´75』*で親しみのあったジョージ・ケネディが出た。しかし、全体の話は古典的な泣きの日本映画で、映像を帳消しにしてしまっていた。

 この映画の脚本は公募されたが、プロ中のプロ、松山善三の作品が採用になった。この人、木下恵介の弟子筋に当たる、人情もののベテランだったのだ。まあ、ベテランでも仕事を得るのには大変だ、ということはいま、私が痛感していることなので、そこは責めないが、全体の物語のお涙頂戴臭さは、納得のいかないものだった。

 いちばん分からなかったのが、ラストである。長年気になっていたが、放置していたので、今回、シナリオ(角川文庫)を取り寄せて読んで、ようやく納得した。以下は念のためネタバレ注意とするが、松山善三氏のためにも、興味のある方は、読んでいただきたい。


 デザイナーの八杉恭子(岡田茉莉子)が殺人犯だ、とばれるのだが、栄光の授賞式会場で、とつぜん殺人を告白する。と、会場からは怒濤のような拍手が湧くのである(何で?)。そのまま恭子は思い出の場所へ行き、投身自殺する。刑事の棟居(松田優作)は、それを見逃して終わる(何で?)。私には意味不明だった。

 今回、シナリオを読んだのだが、再び唖然とした。拍手のシーンも、投身自殺のシーンも、シナリオにはないのである。恭子が告白はするのだが、シナリオでは「観客たちのざわめきと注視の中を走り去って行く」のであり、結末では彼女の投身自殺を、棟居は止めているのである。つまり改稿*されてしまったものだったのだ。松山善三氏には申しわけないことをした。


 この一作で、角川映画は宣伝だけで中身がない、という定評を得る。まあ実際、その後の作品にも、叩かれてもしょうがないようなのがあった。だが、定評だけが先行してしまった感も強い。『麻雀放浪記』も『蒲田行進曲』も『Wの悲劇』も、角川映画なのだ(敢えて『キネ旬』ベストテンに入った作品を列挙する。私の好みは別にある)。

 話がどうも脱線するが、なんだかんだ言っても『人間の証明』は二二億の大ヒットで、配給成績二位の貢献度だった(一位は『八甲田山』だが、スクリーン数で考えると遙かに効率がよい)。そして角川は第三弾『野性の証明』を発表、少女俳優・薬師丸ひろ子を生むのである。


【注】

*エアポート`75――事故を起こした旅客機で、死んだ機長に代わって乗客らが操縦して着陸を試みる、いわゆる「パニック映画」。この映画の前後には、『ジョーズ』や『新幹線大爆破』など、パニック要素(?)のある映画は、パニック映画と呼ばれた。

*改稿──出典を忘れたが、松山氏の脚本が採用になったのは、改稿しやすいできだったから、という話もある。


(この節、終わり)

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