第二節の1 1975年の邦画状況
●第2節の1/角川映画の誕生
角川映画が第一作『犬神家の一族』を公開したのは、一九七六年のことだった。
私は中学生で、青森市に住んでいた。ちょうど反抗期にさしかかり、いちばん世の中に反発したい頭でっかちな年頃だった。街は暗く、日本映画も暗かった。私は住んでいる土地を嫌悪し、日本映画をも嫌悪する、洋画オンリーの映画ファンだった。
青森市があまり暗い暗いと書くと里帰りできなくなってしまうので、弁明しておく。これ、人が暗いとか、社会が暗いとかいう意味ではない。問題は、もっと科学的な暗さなのだ。
『理科年表』によれば、青森市の、年間の曇りの日は一八一日、東京が一三八日。快晴は青森一五日、東京三七日。おまけに青森は、冬には月に六〇時間以下しか太陽が出ない。つまり、ほんとうに景色が暗いのだ。青空を満喫できるのは、夏から秋の、ごく短い期間なのである。
だから、せめて映画の中だけでも、青空が見たかったのだ。
私にとって、映画は、現実からいっときでも離れられる楽園である。そこには青空がなければならなかったし、また、日常的な景色なんか誰が金を払って観るかい、という気分だった。
洋画には、それがあった。明るい、異境の風景。洋画の映像、イコール、ファンタジイだった。『真夜中のカーボーイ』*ですら、憧れるほどだった。
それなのに、邦画ときたら……。
洋画ファンならではの偏見もあった。邦画は貧乏くさくて画面が汚くて話が暗い、とか。ついでに劇場も、「いかがなものか」だった*。
技術的予算的な問題もあったのかもしれない。けれど時期が悪かったのも大きい、と言えるのだ。七〇年代半ばは、日本の娯楽映画がどん底にあった時代なのである。
クレージーキャッツや若大将といった若者向きの映画が陰をひそめ、特撮は昭和ゴジラシリーズが終わる。昭和ゴジラの最終作『メカゴジラの逆襲』で、海を去っていくゴジラの後ろ姿が忘れられない。
アニメは東映まんが祭りの名作物のみ(というと語弊があるが)。各社の娯楽映画と言えば、東宝は『日本沈没』などの大作と山口百恵=三浦友和の文芸「名作」映画、東映は『トラック野郎』とやくざ実録路線、松竹は社会派の巨匠・松本清張原作の『砂の器』などの力んだ大作と、『男はつらいよ』。私はそのどちらにも興味が持てなかった(ゴジラを除く)。
で、また当時愛読していた『キネマ旬報』(以下『キネ旬』と略記)で高く評価される邦画と言えば、社会や人生の暗い部分を、真摯に追求した映画ばかりだった。試みに七五年の『キネ旬』ベストテンを見てみると、洋画には『ザッツ・エンタテインメント』*や『フロント・ページ』*、『ジョーズ』*が入っているのに対して、邦画はと言えば、かろうじて『新幹線大爆破』*があるぐらいで、あとは『田園に死す』*『仁義の墓場』*『同胞』*『実録阿部定』*……タイトルからして、夢も希望もない。
ただし『田園に死す』は、後に仕事の都合でビデオを買って見たら、えらく面白かった。だがそれは邦画の見かたも分かり、好みの幅も広がったからだ。当時は、青森の暗部を撮った映画、という認識しかなく、観ず嫌いだった。
この前後、青森に関する映画で有名だったのは、『田園に死す』と、『竹山ひとり旅』*、『津軽じょんがら節』*、そして何より『八甲田山』。近所の山に冬昇って遭難する*なんて話を、一般の映画館*が七館しかない青森市で、四館も占拠して延々と上映したのだ。あまつさえ、青森市の映画館では、『八甲田山』の予告に、『青森県民の皆様には、全員ご覧いただきます』という趣旨のテロップが入ったのである。いやがらせとさえ思った。
話せばきりがないが、そういう、邦画への偏見に凝り固まった私が、なぜ『犬神家の一族』を観に行ったのか。横溝ファンだったのももちろんだが、ポスターの洗練され具合いがあったと思う。当時は町なかに映画のポスターがよく貼ってあったし、洋画を観に行っても小屋には邦画のチラシが置いてあった。そこから「この映画、何か違うぞ」と感じとったのだろう。
ヒロインが島田陽子*だったのも大きかったはずだ。テレビでもおなじみの、清純派ナンバーワン女優で、少女ではない二三歳だが、清楚な感じがたまらなかった。
そんなこんなで、私は『犬神家の一族』を観た。当時の感想は……。
「日本映画でも、こんなのが撮れるんじゃないの」
生意気をお許しいただきたい。何しろ中学生の感想だから。
お話のほうも、久里子亭*という筆名で市川崑が脚本を共作しているから(他に長田紀生、日高真也)、本格味を前面に出し、陰惨になりそうな話をユーモアで和らげつつ知的に展開するのだが、とにかく映像がかっこ良かった。中間色をきれいに出した色調、画面構成の引き締まり方、照明の明るさ。邦画娯楽作品というとどうしてもパノラマ的になることが多いが、撮影の長谷川清はかっちりとしたレイアウトで、隙間のない映像を見せていた。
ちなみにこの人は、後に角川映画で深作欣二監督の『魔界転生』を撮る。同じ深作監督の『柳生一族の陰謀』(撮影・中島徹)と見比べてみると面白い。どちらにも同じ、柳生の里が襲われるシーンがあるのだ。いい悪い、という話ではない。味の違いの問題である。
また市川崑はまだ若かったので(当時六一歳だが)、カット割りが速かった。必要最小限のことを見せてすぐ次へ進むテンポのよさ。コマをぱっぱっと抜いてみたり、ソラリゼーション*のような効果を使ってみたり、技術的にも面白い。役者の芝居もわざとらしくない。セリフが軽妙。いま見ても、洒落た映画だという印象は変わらない。邦画って進歩してないんじゃないか、と思うぐらいだ。長いこと色あせたフィルムからのビデオ化だったのだが、ブルーレイでは当時の色調がほぼ再現されているので、そのモダンさが分かるだろう*。
肝腎なことを忘れていた。大野雄二*の音楽である。
邦画話題作の音楽と言えば、佐藤勝*か芥川也寸志*に代表される、オーケストラで日本調のメロディ、と相場が決まっていたが、この映画の音楽は、その後フュージョン*と呼ばれる、時代の最先端を行くものだった。しかも『キネ旬』によれば、音楽には大作『砂の器』*の倍の予算をかけて、LP*が音楽として独立しても売れるように作ったそうだ。逆に言うと、それまで邦画のサントラ盤というものが、まずなかったのだ。
『犬神家の一族』は、興収一三億を稼ぎ出し、その年の興行成績二位になった
*。私のような若い洋画ファンをも、邦画館へ足を運ばせたのである。
そして重要なのは、これが本格ミステリ映画だった、ということだった。文芸大作ではない、今で言うジャンル映画を、当てたわけだ。ジャンル映画には『日本沈没』という先駆けもあったけれど、あれはあまりSFっぽくない印象だった(公開当時の、私には)。
そして、加えておかなければならない数字だが、『日本沈没』の配収は一六・四億(最終的には二〇億)、『砂の器』は七・六億。『犬神家の一族』の一三・〇億と比べて欲しい。映画は、予算ではないということが、分かっていただけると思う。
なお、最近知らされて吃驚したのだが、『犬神家の一族』は、公開当時から「中身がない」と叩かれていた、という。『キネ旬』での批評家五位という評価はどこへ行ったのだろうか、「洒脱」という日本語は? 誰かに訊いてみたい。
*『真夜中のカーボーイ』――六九年のアメリカ映画。大都会の荒波にもまれて、挫折していくふたりの青年(ジョン・ヴォイト、ダスティン・ホフマン)を描いているが、映像が美しい。六九年の公開だが、私はリバイバル上映で観た。
*劇場が「いかがなものか」――私が、親の禁止が解けて、初めてひとりで映画(『新幹線大爆破』)を観に行った際、東映の男子トイレにはコンドームの自販機があった。後でその使い途を知って、私はぎょっとした。
*『ザッツ・エンタテインメント』――アメリカMGM映画のミュージカル名シーンを編集した、まさに娯楽の王者。三本作られた。
*『フロントページ』――庶民派の代表、ビリー・ワイルダーによる機知に満ちた喜劇。新聞記者が結婚することになったが、すったもんだが起きる。
*『ジョーズ』――スティーブン・スピルバーグの出世作。巨大なサメと闘う男たちの映画。この頃は、「パニック映画」とも呼ばれた。
*『新幹線大爆破』――アメリカ映画『スピード』に影響を与えたとされる(遠回しな表現)、新幹線を「人質」に取った犯罪映画。当時としてはクレバーな作品。主演・高倉健。
*『田園に死す』――寺山修司の郷里・青森の片田舎を舞台にした幻想的な作品。
*『仁義の墓場』──戦後の動乱期を駆け抜けたやくざの話。
*『同胞(はらから)』──岩手県の小さな町を舞台に、小劇団が公演を開く話。
*『実録阿部定』──昭和十一年、料理屋の主人と女中の阿部定が関係を持ってしまい、部屋にこもって情事にふけり、最後、阿部定が男の男根を切ってしまう話。実話です。
*『竹山ひとり旅』── 十三歳で半分失明してしまった三味線師・高橋竹山の生涯を描く「名画」。観ていないので、詳しい論評は省く。
*『津軽じょんがら節』──津軽を嫌って都会へ出た女がまた戻ってきて、津軽の風土に馴染んで行く、大変ご立派な映画。
*近所の山に登って――まあ、それが戦争の狂気ということなのかもしれないが、夢も希望もない、しかもご近所の映画である。ファンタジイのかけらもない。
*一般の映画館――他にポルノの上映館が二館あった。
*久里子亭――ミステリの女王、アガサ・クリスティのもじり。
*島田陽子――この映画のために、松竹から招かれた、超清純派(当時)女優。その人気は、二〇一〇年になっても、『島田陽子に逢いたい』という映画が作られたほどだ。
*ソラリゼーション――白黒反転を中心とする、ちょっとシュールな映像効果。液晶画面に温度を映し出した感じ、と言えば分かっていただけるだろうか。
*『犬神家の一族』のブルーレイ――『犬神家の一族』には、ざっと分けて二系統のDVDソフトが存在し、色調が大きく違うのだが、私の記憶では、このブルーレイが一番、公開当時の色調に近いと思う。
*大野雄二――もちろん、『ルパン三世』(第二シリーズ以降)の音楽が有名。
*佐藤勝――代表作が挙げられないほど、多くの日本映画で活躍した。当時は古くさい、と思っていたが、いま聴き直してみると、当時の印象よりは相当、現代的だ。『ブルークリスマス』『皇帝のいない八月』など。
*芥川也寸志――現代音楽(創作のクラシック)でも先陣を切っていたが、映画では情感あふれるオーケストラ音楽で親しまれた。『八甲田山』『砂の器』など。
*フュージョン――ジャズと、ロックやポップスの融合(フュージョン)した音楽のジャンル。
・LP――いまで言うアナログ盤のアルバム。シングルをEPと呼ぶ。
*『砂の器』――全体の音楽は芥川也寸志だが、主題となる高校曲は菅野光亮の作品。
*興行成績二位――一位は創価学会の『続・人間革命』。内容はさておき、宗教がらみの映画は動員数が読めるため(信者が前売り券を買って配るから)、たびたび作られた。
(この節、続く)
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