第一章 ヒーロー以前 その1 「本陣殺人事件」
■第一章 ヒーロー以前
いったい人が語ってくれるそういう話に、語り手が感じているほども面白い事件はほとんどないといってよかった。
(横溝正史『本陣殺人事件』)
少女ヒーローに目醒める前は、私も普通に可愛い女の子が好きだった。それが「少女ヒーロー」という観念に到るまでには、七〇年代半ばから八〇年代にかけての、娯楽映像作品が大きく影響している。まずは、その流れを追ってみたい。
●第一節の一/『本陣殺人事件』と一柳鈴子
(ご注意・この節では、横溝正史の小説『本陣殺人事件』と、映画版『本陣』の結末を校いています。お読みになる際は、ご注意下さい。以下、同じです)
五〇代前後ぐらいの人なら、七〇年代の横溝正史ブームを知っているかもしれないが、すでに時は経っているので、少し詳しく書いておく。
『本陣殺人事件』を初めとする横溝正史の作品は、おどろおどろしく見えて、実は、かなりモダンなものである。昭和二一年に発表された『本陣』は、第一回の探偵作家クラブ賞*を受賞しているが、その理由は、江戸川乱歩を中心とした戦前のミステリは怪奇幻想色が強かったのに対し、純粋な物理トリックによる密室殺人という、合理性を持った本格長編をうち立てたからだ。
ただ、七〇年代のブームは、そういう認識ではなかった。ミステリそのものが社会派*に偏り、味けのない現実に飽きていた人びとが、現実離れしたおどろおどろしい世界に惹かれたのではないかと思う。ちょうど『エクソシスト』(日本公開・七四年)でオカルトブームが起こった頃でもあった。
その証拠に、角川文庫に収録された横溝作品の第一巻は、一番怪奇色の強い『八つ墓村』である。最初は白い背に地味なイラストだったのだが、その後、杉本一文の、子どもがひきつけを起こすようなカバー絵に変わった。何が当たるのか、角川春樹は知っていたのだろう。
しかし、当時はまだ、普通に可愛い女の子が好きだった私は、少女のカバーイラストにつられて、まず『本陣』を読み、そして、はまった。
このイラストの子が、一柳鈴子である。横溝正史の疎開先、岡山をモデルにした地方の、旧家・一柳家の末娘だ。十七歳という設定で、小説ではこのように表現されている。
「この娘はたいへん気の毒な娘さんで、(中略)虚弱で腺病質*だった。知能もだいぶ後れていたが、(中略)ある方面では、たとえば琴を弾くことなどにかけては、天才的ともいうべきところがあり、またおりおり非常に鋭いひらめきを見せる事もあるが、概してする事なす事が、七つ八つの子供よりまだ幼いところがあった。」(角川文庫旧版より)
このアンバランスさこそが、少女像のひとつの理想だ、と私は考えている。
横溝正史も、この少女を、戦後の社会変動の中で没落していく旧家の象徴として、余すところなく描いている。原作でも、一柳家で起こる惨劇は、鈴子の死で終わるのだ*。
「私(作者)はふと目を転じて、鈴子が愛猫を埋めたという、屋敷の隅を眺めたが、するとそこには、ひがん花とよばれる、あの曼珠沙華の赤黒い花が、いちめんに咲いているのであった。ちょうど可憐な鈴子の血をなすったように。……」
私は、横溝ファンの有志と、『本陣』を書いた当時の横溝正史の疎開先・岡山県真備町へ行ったことがあるが、確かに彼岸花がたくさん咲いていた。ただ、原作に描かれているのとは違う明るい赤で、辺りの景色もあっけらかんと明るかった。なるほど、小説とは演出である。
*探偵作家クラブ賞──現在の日本推理作家賞。
*社会派──松本清張に代表される、ミステリの中でも謎解きをあまり重視せず、その犯罪の社会的な意味を問う作風。『砂の器』などの映画、また、今は亡き二時間サスペンスで、崖の上で犯人が自白するパターンや、『家政婦は見た』なども、松本清張が元祖と言えるものだ。
*腺病質──体格が悪く、貧血や湿疹などを起こしやすい病弱な小児の状態。また、一般に体質虚弱で神経質なさまを言う(「スーパー大辞林」より)。
*鈴子の死──事件が起きるのは昭和一二年(一九三七)、鈴子が死ぬのはまだ戦時中だが、原作は戦後へと続いている。
(この節、続く)
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