8-11 力を授かった人間の責務だ

 神代結歌が帰宅すると、一階の居間に父と母が揃っていた。契兄様はいるのか。二階の自室に上がり制服から私服に着替えた後、隣にある兄の部屋の戸をノックした。

「誰ですか?」

 中から契兄様の声がした。

「結歌です」

「開けていいよ」

 結歌の返答に、契は軽く答えた。

 結歌は横戸を自分の身体が部屋の中から見える程度に開けた。部屋では契が、子どもの頃から使っていた学習机にノートPCを置いて画面を見ていたところを、首から上だけ扉の方に向ける。

「浮かない顔をしているね」

 その一言に、結歌は内面をすかし見られた気がした。すかし見た相手に近づくことがためらわれた。部屋の中に入らず契に話しかける。

「契兄様が葦名君に与えた歌が、現実になりました」

「当たり前だろ? 現実になる歌なんだから」

 契はへっと笑った。

 結歌は引き下がりたい気持ちをどうにか抑える。ただ、動いていないから、傍から見ればなにもできず立ちすくんでいると見られることも分かっている。それが客観的に正しいのだろう。それでも彼女は声に出す。

「あんなことが許されるのですか?」

 契の口から笑い声が漏れた。

「なにもできなかったのは彼と結歌じゃないか。許されないのは君たちだよ」

 結歌の心に、一点の、怒りの灯が灯った。

「契兄様が成したことをお父様はお許しになるとお思いですか?」

 契は口角を上げる。

「結歌はお父様に告げ口できるのかい?」

 結歌は、心臓を握りつぶされた気がした。周囲が真空になったように息苦しい。

 周囲が真空だから、怒りの灯はかき消えた。

 なにもないところで、息を飲みこむ。

「失礼します」

「どうぞ」

 契に追い打ちをかけられて、結歌は手を震わせながら横戸を締めた。

 彼女は一階に下りた。居間に座る父と母のはるか手前、居間のふすまの縁を越えたばかりのところに正座する。奥では父がこちらを見ている。結歌は両手を畳につき頭を下げる。

「お父様、二つ、教えていただきたいことがございます。お許しいただけませんか」

 父は結歌を真正面に見ることもない。母を見たままだ。

「構わん」

 父の返事を聞き、結歌は頭を下げたまま疑問を口にする。

「一つ目です。お父様は以前、我が家に与えられた力の使い方について、神はいかなる罰も与えず、私たち自らが責任を取るのみだとお教えになりました。それは今でも変わりありませんか」

 父は母の方を向いたまま語る。

「その通りだ」

 父の返答が短く終わったので、結歌は次の疑問を口にする。

「二つ目です。私は力を捨てることはできないのですか」

 父が初めて結歌の方を向いた。

「なぜそんなことを言う?」

 結歌は身体が震えそうだ。それでも言わねばならない。

「この力は、私にはもったいなくて、重すぎます」

 結歌は顔を上げなかったので気づかなかったが、父の眼光が冷たくなる。

「『もったいない』とは力に見合う人間になる努力をしてから言うものだ。結歌はなにもしていないじゃないか」

 父の声に怒気がにじむ。それでも結歌は言わずにはいられない。

「力を授かったなら、捨て方も教わっているはずです」

 父はふっと息を吐く。

「捨て方など神から教わっていない。力を持つにふさわしい人間になること。それが力を授かった人間の責務だ」

「ですが」

 結歌が言葉を返そうとしたところで、母が正座の向きを父から結歌に向けた。

「思い通りになる力を捨てたいなんて、一人だけまともな人間の振りをする気?」

 結歌は、母には、同じ女性として分かってもらいたいものがあった。

「母さんと同じ立場に立ちたいのです」

 母は、鼻で笑い、なじる。

「自分だけ恵まれた立場にいるのに、そこから下りたいなんて言う人間がいるわけないじゃないの!」

 結歌は、自分の言葉を聞いてもらえないことを知った。

 自分の運勢のさじ加減はどうなっているのだろう。結歌は神様の意図を疑った。

 神様に愛されたはずの自分は、それなのに、どうして人間にはこれほど愛されないのだろう。

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