8-8 自分は哀れみの対象でしかない

 商店街に入り、ケイ兄様は最大手のファーストフード店の前で立ち止まった。

「ここでいいかい? 二人にはドリンクを一つずつおごるよ」

 振り向いたケイ兄様は店員よりも綺麗なスマイルを浮かべている。ここは、断っても、横柄になってもいけない。葦名は従順に従うことに決める。

「ごちそうになります」

 葦名は腰を折った。

「ありがとうございます」

 神代結歌は頭を下げた。さっきからそうなのだが、実の兄に対して敬語を使う。ドリンクはご褒美か。葦名は、ドリンクに口をつけたらまずいのではないかと不安に思う。

「先に席を取ってますね。僕はホットコーヒーSをいただきます」

 いろいろ言われたくないので葦名は言い残すと店の奥に向かう。ちょうどいいことに壁際に四人席が見つかる。奥が神代兄妹で、手前が自分か。葦名は通路側の椅子に座った。

 二分ほど待っていると二人がやってくる。前がケイ兄様、後ろがトレイを持った神代結歌。

「席取りありがとう」  

 ケイ兄様はためらうことなく壁際の席に座る。神代結歌はトレイを置き、二人の前に飲み物を置き、ケイ兄様の隣に無言で座った。神代兄妹のドリンクはコールドのカップでストローが刺さっている。プラスチックの蓋がかぶせてあるので中身は見えない。

 ケイ兄様は右手を上げて、葦名のホットコーヒーの前に差し出した。

「どう? 飲んだら?」

 こういうときは従わないのが一番まずい。葦名はカップを持ち、プラスチックの蓋の飲み口を開け、一口だけコーヒーを飲んでカップをテーブルに置いた。ケイ兄様は右手を下げた。

 ケイ兄様は、飲み物に手をつけず、身を前に出して、両肘をテーブルに置き、組んだ手の上に顎を載せる。

「葦名君、結歌から少しだけ話を聞いたよ。お父様から力を授かってから、使わずにいられないんだって? なにに使ったんだい?」

 なにに、にアクセントがかかっていた。

 学校であったこと、神代兄妹の関係、それらを簡潔に述べなければいけない。葦名は頭で少し組み立ててから言葉にした。

「結歌さんと通っている学校で、同じく生徒に、人と仲直りをしたり、家族の怪我が治ることを祈りました」

「褒めてもらってうれしいかい? 今すぐにでも崇められたいのかい?」

 葦名が言い終えるか否か、ケイ兄様は問うた。顔にはスマイルを浮かべている。

 そんなつもりはない。そのことは葦名自身が分かっている。正直に答えるしかない。

「人には明かしていません」

「金銭は取ったのかい?」

 またも、言い終えるか否かのタイミングでケイ兄様は問うた。しかも、明かしていないというのに金銭授受の話を。葦名の言葉を聞いていないということだ。葦名は自分の立場を伝えたくなった。

「お金をもらってはいま……」

「そんな安売りをしたのかい」

 ケイ兄様は葦名の言葉を遮った。マスクの下にある口元が、一瞬、歪んだように見えた。確かめようとケイ兄様の顔を見ると、スマイルを浮かべていた。

 葦名は何を言えばいいのか分からなくなった。何を言えば話を聞いてもらえるのか、分からなくなった。

 ケイ兄様はマスクを外し、自分の飲み物のストローに口をつけた。一口飲むと、ストローから口を離し、再びマスクを着けた。その間、葦名は何も言わなかった。何も言わないのを見てとって、ケイ兄様は語り出す。

「神が言葉を聞き入れてくれる。それは極めて稀で、高貴で、貴重なことなんだ。周囲の人間を見てご覧。彼らはそんな力を持たない。僕たちはもう彼らとは違うんだよ。それなのに、高校のクラスメイトのためにただで使うとはねえ。貴重な力も、君にとっては子どものオモチャと見える」

 ケイ兄様のスマイルは、哀れな人間への見下しの視線に変わっていた。その目は葦名を見ているが、越えられない一線を引いているのが目に見えるようだ。

「もったいぶっても……いいことはないと思います……」

「ものにはそれぞれに価値というものがあるんだよ。価値を計る眼力を持たないのは冒涜だよ」

 葦名の弁解をケイ兄様は一蹴した。

 葦名がケイ兄様の横を見ると、神代結歌が二人と目を合わせないようにうつむいて黙っている。今、この態度を見せるということは、常日頃から似た状況が続いたのだろう。

 調教。

 葦名は人には使っていけない言葉を思い浮かべた。性的な意味は含んでいないけれど。きっと同じようなことが繰り返されて、神代結歌は飼い慣らされてきたのだ。

 ケイ兄様の家族である神代結歌に頼れない。自分は哀れみの対象でしかない。葦名は、話を聞いてもらう術がないことを悟る。

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