8-2 ご飯の献立とおんなじかな、って思うんだ

 終業のHRが終わり、生徒がバラバラと教室を出始めた頃。神代は斜め後ろを振り返って、今度ははっきりと言葉を口にする。

「葦名君。話したいことがあります。この前と同じ場所でいいですか」

 今まで葦名を誘ったときと違って葦名の都合を尋ねない。有無を言わせる気がないことを葦名は見てとる。

 そのあたりは計算済みなのだ。葦名は逆提案する。

「ぼかして話せば他の人に伝わらないから、帰り道から外れた公園まで行くのも面倒だし、校舎の裏とか学校の隅でも良くない? べつにいやらしい意味じゃなくて」

 神代の目がキョドる。

「それなら、ここでもいいです。他の人がいなくなるまで待ちましょう」

 別に場所にはこだわらないが、他人の注目が集まったのは嫌だな、と葦名は思った。教室内で孤立している神代が葦名と向かい合って話している。何があったのか。交際しているのか。学級の生徒数人が二人を見ていて、怪訝に思う気持ちが顔にマスクを着けていても表情から漏れ出ている。

 変に神代を刺激することは得策じゃない。

「いいよ」

 葦名が受諾すると神代は黙って受け取った。

 周囲の生徒数人が二人を見ていたが、一分、二分、と二人が黙ったままにらみ合っているのを見ているうちに、飽きて教室を去る。二人は時計を見ていなかったが時間にして六分ほど経つと教室には二人が取り残された。

 誰もいなくなったことを確認した神代が沈黙を破る。

「葦名君、神様に聞き届けてもらうための短歌を、まったく無関係の人に詠んでましたよね。頼まれたわけでもなく。どうしてですか?」

 神代の声はかすれかかっている。尋ねる様子に、本人の迷いが出ている。

 それはしょうがない。葦名はそう思った。落ち着いて、聞きやすいトーンで答える。

「人がちょっとでも幸せになればいいんじゃないかな。幸せは簡単に手に入る物じゃないって言うけど、そこは考えてみたい」

 神代が身を前に乗り出す。葦名の耳の声を届かせるように。

「力には責任もあります。そんなに軽々しく使っていいものではありません。使い方には節度を持つ必要があります」

「だからといって、使わなくていいのかな?」

「使わなくて……」

 ためらいなく答える葦名を見て、神代は小声でつぶやき黙り込む。葦名の目をまっすぐ見なくなった。おそらく考え始めているのだろう。葦名はそう見てとった。これは自分が語るターンが来た。そう確信した葦名は語り始める。

「神代さんや僕が授かった力は、短歌を詠めば生まれてくるものだから、詠めば詠むほど生まれてくる。だったら、出し惜しみする必要はないんだ。それと、幸せって何だろうって考えること。誰だったっけ、『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』って言ってたのは。不幸はいろいろあるけど、人が幸せになるのは、大体パターンが決まってるんだよね。テストで自分だけいい点を取るとか、親にゲームソフトを好きなだけ買ってもらうとか、進路に影響したりお金がかかったりするものはまずいんじゃないかって思った。けれど、仲直りとかだったら、多分ほとんどの人が叶った方がいいんだ。だったら、そう言う幸せを現実にしたらいいかなって。僕はそう思った、というか考えたんだ」

 葦名の言葉を聞いた神代の目が左右に揺れる。

「でも、それだと葦名君の短歌を受け取った人と受け取らなかった人の差が出ます」

 葦名は神代の目をしっかり見据える。

「ご飯の献立とおんなじかな、って思うんだ。今日の夕ご飯の献立を考えたとき、いくつも食べたいものはあるけど、どれかはあきらめないといけない。でも、夕ご飯は今日が最後じゃないよね。僕たちは生きている。生きるつもりでいる。だったら、明日も明後日も夕ご飯を食べる。だったら、今日食べられなかった物は、明日に、明後日に、食べることを期待する。そうやって、長い時間で献立を考えると、自分の好きな物が大体食べられる。神代さんが授かった力もおんなじだと思う。身近な人に短歌を詠んで、次の日は別の人に詠んで、神代さんの近くにいるかいないかで差ができちゃうけど、長い時間が経ったら神代さんの近くにいる人がみんな少しだけ幸せになっている。それでいいと思うんだ」

 神代の視線が、葦名の目から少し外したところで止まった。自分の中で考えているのだろうか。葦名はそう期待する。

「そう思っていいんでしょうか……」

「神代さんは以前に同級生にひどいことをしたから力を怖がってるけど、ちょっとだけ、楽になれると思うんだ。僕を真似しなくていい……というのは本心じゃなくて、ちょっと真似して欲しいんだけど、何より力をもらった神代さんが楽になっていいんだよ」

 神代が視線を上げて葦名を正面に捉えた。葦名は小さく首を縦に振った。再び神代が視線を外す。

「同じことが私にできるとは思いません。でも、葦名君のすることを止めるのは、やめます……」

 ここはお開き。葦名はそう決めた。

「じゃあ、これでいいね」

「はい……」

 神代が議論の終了に同意したので、葦名は学生鞄を持って立ち上がる。

「それじゃあ、さようなら。神代さん、また明日」

 葦名が出て行った後、一人残された神代はしばらく立てなかった。

 翌日、葦名は三首を級友に詠んだ。請われることもなく、感謝を受けることもなく。神代は後ろからそれを見ていたが黙っていた。その次の日も。

 週が明けて三日経ち、木曜日。四限目の授業が終わり、葦名が自席で学生鞄から弁当を取り出したとき、斜め前に座る神代が振り向いた。

「楽しそうですね……」

 そう言う神代がマスクの上に見せる目に思い悩む様子が見える。

 葦名は弁当を開けようとした手を止めた。

「そうかもしれない。思っていたより、案外楽だったね」

 葦名は、何が、とは言わない。それで相手に伝わると思ったから。

「どうしたら葦名君みたいになれるんですか?」

 神代に小声で問われて、葦名は首をひねる仕草をした。

「簡単に真似できればいいんだけどね。神代さんはいつも物事に真面目に向き合ってる感じがする。それはそうそう変えられないから、僕みたいに気楽になるのは難しいと思う。でも、こう言うのもアリ、だと思って欲しいな。僕は今でも、本当は力を捨てられたらいいと思ってる。いいんだけど、今は捨てられない。だったら使っちゃおうよ」

「使っちゃおう、ですか?」

「うん」

 神代はうつむく。

「少し、考えさせてください……」

「考えるって、そういうところが硬いんだと思うよ」

「硬いですか……」

「うん」

 葦名は首肯する。

 神代が黙って前を向くのを見届けると、葦名は弁当箱を開いた。学校生活でとびきり楽しい部分。注意点は、今日は何が入っているのかと期待する気持ちは葦名にはないこと。自分で詰めた弁当だから。食べて腹を満たしながら、明日はどうしようかと考えている。

 そして、考え事が今週から一つ増えた。明日は何を詠もう。

 翌日の金曜日。

 朝、葦名が教室に入ると、今日も神代は先に自席に座っていた。昨日までと同じように葦名は神代の横を通り過ぎる。

「神代さん、おはよう」

 葦名の挨拶に答えた神代の言葉は挨拶ではなかった。


 歩くにも普段通らぬ道行けば

  出会う花壇にコスモス咲けり

 (句の先頭:ア行の『あ』、ハ行の『う』、マ行の『い』、

       ダ行の『え』、カ行の『お』)


 葦名が神代を見ると、彼女はマスクの上の目を細めていた。

「それって……」

「葦名君、ちょっとは気を抜いたらどうですか。気を抜いた方がいいのは葦名君だと思いますよ」

 神代が明るい顔をしている。葦名は自席に座るところを、神代は身体をひねって見ていた。葦名は少し面はゆかった。

「どうして急に短歌を詠もうって気になったの?」

「葦名君を見て、私にもできるだろうかと思ったんです。一つ詠んでみたら、意外と楽でした。ああ、こんなに簡単に詠めるんだなって。葦名君がいなかったら、こんな気持ちになれませんでした。ありがとうございます」

「別に…… 大したことはしてないよ……」

 微笑む神代の顔を、葦名は直視できず目を逸らし右手で頭を掻く。でも悪い気分じゃない。

 学校が終わっての帰り道。葦名は寄り道した。提案されたからその気になったのか、短歌で定められたからなのか。どちらか分からなかったが、それはどうでも良かった。住宅街の中、花壇が有る家を見つけた。そこにはコスモスが淡紅色の花をつけていた。

 これを見せたかったのか。

 コスモスは、小さくて、目立つ花ではない。けれども可憐な姿が葦名の心を落ち着かせた。

 その花は、まるで、彼女の気遣いのようで。

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