4-4 その力って、捨てられないの?

「短歌は、ある決められた詠み方をしなければ現実になりはしないのですが、もう、詠むのが怖いんです。どうしても以前のことを思いだしてしまって。私が歌を詠まなくなって、お父様は私に期待しなくなりました。同じように力を受けた三つ上の兄がいます。兄はお父様のお気に入りで、小学校から大学まで私立に進ませてもらえました。お父様に見放された私は高校に上がるときに公立しか選ばせてもらえませんでした。あっ……すみません……公立高校を馬鹿にしているようで」

 神代があわてて頭を下げた。

「いいや、大丈夫だから」

 葦名は首を小さく横に振って否定した。

 まあたしかに、と納得もした。級友が皆、神代がどうして今の高校に入ったのか疑問に思っていたのだ。親に見放されたとしたら、今の学校にいるのも納得できる。

 葦名は、重い話を聞いてしまったわけだけれど、なぜだか、神代が、神に選ばれた人どころか、極めて無力な子に見える。なぜだか分からない。おかしいことは自覚する。それでもそう見える。神代の姿が、実際の身長より、ずっと小さく見える。

 この人には助けが要る。そう思った。神様に助けてもらえる人なのに、人の助けが必要だと。

 だから慰めることにした。疑問に思ったこともあったし。プレッシャーを与えないように、神代を見ないで真正面を向いてつぶやく。

「神代さんのお父さんは罰はないと言ったそうだけど、神代さんは実際に罰を受けてると思うよ」

「どうしてそんなことが分かるのですか」

 左にいる葦名の顔をのぞき込んだ神代の目には不信が浮かんでいる。あまりに特殊な体験を、他人が理解できるわけがない、という当たり前の自負がある。

 葦名は右にいる神代と顔を向かい合わせる。

「短歌が怖くなったのって、十分な罰だと思う。普通の子だったら適当に作って終わりなのにね。神様と約束できるから、大事になりすぎて何もできないのは、力を持ったから背負い込んだ罰だと思うよ」

 神代は何も言わない。ただ葦名の顔を見ている。その、葦名を見ている目が、次第に潤む。涙が目尻から溢れ出す。マスクの上端が涙に濡れる。神代は視線を葦名から逸らし、右手の甲で両目を拭う。マスクの底から、嗚咽が流れる。

 葦名は黙って神代を見ていた。

 左の手のひらで両目を覆い首を横に振るところも。

 背中を丸めて身を小さくしているところも。

 周囲にかまわず嗚咽するところも。

 一分以上、ただ見ていた。

 言葉で現実を作り替えられる人が身近にいたら困る。そんな気持ちがないと言えば嘘になる。

 目の前の神代は殊勝そうだが、とっさに何を思うか分からない。現に以前の級友の右腕を骨折させているのだ。

 とはいえ、本人も力を得て得しているどころか苦労している。

 自分にも彼女にもいい方法。それが葦名の脳裏に浮かんだ。

「その力って、捨てられないの?」

「できません」

 親切に言ったつもりの葦名に、神代は右手の甲で目を拭いながら切り捨てた。葦名は、先日の職員室で神代が現代文教師に逆らったときのような強情さを思いだした。その強情さに、葦名は少しいら立ちを覚えた。だから葦名は言葉を継ぐ。

「お父さんに力をもらったんでしょ。お父さんに頼めばいいじゃない」

 神代は顔を上げた。葦名を見ず、真正面を向いたままだ。

「葦名君はお父様の怖さを知らないから、気楽なことを言えるんです」

 まったく、もう。自分の幸せが懸かっているときに怖じ気づいてどうするんだ。

 神代が駄々っ子に見えて、葦名はカマをかけることにした。

「僕がお父さんに説明するって言ったら?」

 神代はゆっくりと葦名の方を向く。マスクの上の目は驚きに見開かれている。

「いいん、ですか?」

 しまった。言ってしまった。取り返しがつかない。

 葦名は引くに引けないと感じる。自分で言ってしまったのだ。冗談だとは言えない。見栄だろうとやせ我慢だろうと、自分は責任を持つのだと決める。

「いいよ」

 神代の声が震える。

「お父様が……お会いになるのか……分からない……のですけど……話は……伝えます……」

 葦名は承知したというつもりで首をコクコクと縦に振る。

 しかしまあ、「お父様」とか「お会いになる」とか、たかが父に難しい言葉をよく使う。どこか偏っていると葦名は感じる。

 神代は脇に置いていた学生鞄を手に取り、中からスマホを取り出す。画面を葦名に見せる。

「連絡することがあるかもしれません。友達申請していいですか?」

 画面は、学校の生徒の過半数が使っている、大手のメッセージアプリだ。

 葦名は、女子から友達申請を打診されるのは初めてだった。

 うれしい。けれど。初めての子が、こんな重い子になるとは想像しなかった。

「いいよ」

 声色から引き気味だったのがバレたのではないか。葦名は自分でも嫌な邪推をする。

 神代がQRコードを見せ、葦名がカメラで撮影。チャリラン、と音がして、お互いの画面に相手のプロフィールが表示される。

 葦名のスマホには「神代結歌」と丁寧に本名が記されたプロフィールが表示された。

 神代のスマホには「律」とだけ表示された。

 神代はスマホの画面をあまり見ず、スマホを学生鞄にしまう。葦名も画面から目を離してスマホをしまった。

 神代が葦名に頭を下げる。

「今日は、話を聞いてもらえて、うれしかったです。話の進展があったらお伝えします」

 うれしかったと言う割には、神代の言葉は震えていた。あれだけ大変な秘密を握られたのだ、無理もない。理由を想像できるから、葦名は責めない。

 それに、時刻は十七時を二十分ぐらい過ぎている。秋分が近い今の時期、日が高い時間帯に帰宅するにはいい頃合いだ。今日はここまでと分かった。

「じゃあ、またね」

 葦名が返事をすると、二人は立ち上がり、児童公園を出たところで神代が深く頭を下げ、上げたところで葦名は手を振った。

 自宅への道を歩きながら、葦名は思う。

 神代があれほど怖れる、神代の父に会って、自分は何かできるのだろうか?

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