第2話 銀座バー妃の19歳最年少オーナー

 私の初体験は、蕾のままに閉じられた固い花びらを、無理やりこじ開けられ、散らされるような形で終わった。

 それ以来、私はこのまか不思議な体験に生涯苦しめられることになった。


 いくら素敵な恋をして、相手の男に惚れ抜いても、なぜか覚めている。

 恋人には、まるで、人形を抱いているような陶器のような冷たい感触しかしないと言われることもあった。

 冷めていく男を追いかけようなら、男は必ずきびすを返す。

 私は男の心にわびしい秋風が吹き始めたと察したときから、自分から別れを告げてきた。

 いくつもの出会いと別れを繰り返し、いろんな男が私の身体を上滑りしていったが、心にはやはり熱い恋情だけが残った。


 転んでもタダでは起きないのが、私の負けず嫌いの性格ゆえの信条。

 私は 男との思い出を文章につづった。

 それをすることで、男に対する恨みを解消するのが目的だった。

 銀座のバーの仕事は、男に注目され、値踏みされ、女らしさを切り売りして、気がついたら新鮮味のない色褪せた花のようなベテランになり、素人のような固いつぼみの新人に指名を奪われる一方である。

 そうなる前に、小学生の学級委員の時代から好きで憧れていた、モノ書きになりたいという夢の足跡を残したかった。


 今から思えば、もし私が私立中学を中退することなく、スムーズに進学して付属大学を卒業し、平凡な主婦におさまっていたら、とうてい、モノ書きになどなれなかっただろう。平凡な人生のたわごととして、面白みのない日記のような文章だったに違いない。

 銀座の最年少バーのママという、とんでもない回り道をしたおかげで、私は作詞家や作家になれたのである。

 私はラッキーなことに、水商売の華やかで安全な上澄みの部分でしか生きてこなかったが、私の経営している店は、私の生活源であり、主人のようなものである。

 

 私の経営するバー「妃」には、やはり銀座というだけあって、高名なお客様が集まって来る。銀座には高級イメージがつきまとっていた。

 値段の方もチャージ料ーただ椅子に座るだけで五万円、ホステスにねだられ、フルーツを頼もうものなら三万円も上乗せされる。

 しかし、キャバクラのように、ホステスが席につくたびに、指名料をとったりはしない。その当時は、ホステスは女給と言ったものである。

 もちろんホステスは、全員私より美人で、笑顔の素敵な女性。

 水商売には、過去も生い立ちもなんら関連性はない。

 デジタル時計の文字盤のごとく、店でたくさん売上金を残してくれたら、それで上等である。銀座とは、そういう街なのだ。

 羽根をむかれたかのような悲惨で貧しいひよこが、ミンクのコートにダイヤの指輪を身につけ、華麗な孔雀へと変身を遂げることのできる街でもある。


 銀座の夜の蝶は、誰も皆素顔を見せない。

 化粧と着物は、舞台衣装であり、お客様のいらっしゃるフロアは、演技をする舞台なのである。

 しかし、こういった外面の派手な商売ほど、内情は地味で過酷である。


 鎧のような化粧を落とした素顔は、多量の飲酒で肉がこけ落ち、目のまわりには、青黒いくまができている。

 私は、そんなホステスの心情を歌詞にした。


   「銀座流れ花」

 あなたの前では ほほえみ女

 ボトル目当てに 肌すり寄せ

 恋人ごっこを 演じ通す

 フロアが閉じれば ふと思う

 いつまで 演じていられるのかしら

 流れた花びらの行きつく先 誰か教えて


 嘘とまことの駆け引きに

 何を信じていいのやら

 お酒も強くなりました

 お世辞も上手になりました


 しかし、のちのちその歌詞が、高名な作詞家の目にとまり、レコードデビューすることになるとは、まさか夢にも思わなかった。

 デビュー曲は、あまり売れなかったが、作詞もする銀座ママということで、その後、作詞のオーダーを受けることになり、新人歌手の歌を手掛けヒットを飛ばした。


 実は、大御所歌手の五木ひろきも、私がスターに育て上げたようなものだった。

 ひろきは、今でこそ演歌界のトップスターといわれているが、もともとは全く売れない流しの歌手だった。

 昔、カラオケがなかった時代、スナックの片隅で、ギターを片手にワンステージを務め、客にいくばくかのチップをもらう、決まったギャラのない旅役者のようなものだった。

 ひろきは、プロ歌手としては全く売れなくて、なんと芸名を五回も改名していた。

 企業で例えれば、左前に傾くたびに五回経営者が変わり、倒産しかかったのと同じオンボロポンコツ立場。

 とうとう本人も最後の覚悟を決め、背水の陣の覚悟でスカウト番組に出場し、これがダメだったら、福井の田舎で百姓をするというあきらめ9割だった。


 そのときの審査員がこの私だった

 ひろきは、ご存じのように目が細く、いかにも田舎のイモ兄ちゃんのような風情だったが、声にしみいるような郷愁を感じ、そしてなにより、気取りのない素朴な笑顔が素敵だった。

 ちょうど、乾ききった土を潤す太陽のような、素朴で力強い笑顔をもっていた。

 明日を夢みる苦労人にしか、わからない一筋の希望にすがりつくような笑顔。

 こんないい笑顔をもった人は、滅多にいない。

 私はその笑顔のみに魅かれて、ひろきを推薦したが、ほかの審査員はみなダメ、見込みがないとおっしゃる。

 もちろん歌は上手いが、五回も失敗したという焼き直し歌手の暗さがあるし、第一都会のビジュアル系統には程遠く、これじゃあテレビ向きではない。

 しかし、私は彼の笑顔のみに強烈な魅力を感じ、彼のために「よこはま たそがれ」という散文詩のような歌詞を書いた。

 それが、五木ひろきのデビュー作でり、ひろきはこの曲で紅白歌合戦初出場を果たした。

 

 

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