第084話 キエラ・ニンディリャグ・マクマホン

 キエラの両親は肌が白かった。

 キエラの二人の兄も白い肌で生まれてきた。

 そのため、黒い肌のキエラは残念な驚きの中で生まれてきた。

 父親は母親の浮気を疑いもしたが、かいがいしく二人の兄を育てる妻の献身を思い直し気を落ち着かせることにした。

 女の子を欲しがった夫婦は、人工授精として、調整した精子を子宮内に挿入する施術も受けたこともあった。

 そのため精子の取り違えも疑ったが病院側の方が冷静だった。

 二人の遺伝子と生まれてきたキエラの遺伝子を比較し、間違いなく二人の子で有ることを証明して見せた。

 いわゆる隔世遺伝だった。

 二人とも、確かに血筋にオーストラリア先住民の家族はいたし、親族には褐色の肌の従兄弟もいた。

 遠縁には、オーストラリア先住民生活保護制度を受けているものもいたが、両親自身は市民として普通に労働しており名字もイギリス風のマクマホンを名乗っていた。

 父も母も戸惑いもしたが、科学的に自分たちの子で有ることが証明されると、オーストラロイド特有のくりくりとした目のかわいい娘を愛おしく抱き上げた。

 健やかに生きて欲しいという願いを込めて、現地の言葉で「生きる」を意味するキエラを名付けた。

 しかし、キエラの精神生活は過酷だった。

 やはり、二人の兄の肌が白いのに、妹のキエラだけ肌が黒いことは、同級生になじられた。

 面と向かって、父親が違うのだろう、といわれたこともあった。

 髪が金髪なのもの嘲笑の的になった。

 髪だけ兄に似せようとしたんだとからかわれた。

 キエラは母に泣いてせがんだ、髪を黒く染めたいと。

 母は優しくキエラの髪をなでた。

 あなたの髪は、あなたのご先祖様から受け継いだ大事な髪なのよ。

 私はあなたという女の子に巡り会えて幸せだし、あなた自身もあなたのことを好きになってあげて。

 そう、説いた。

 しかし、子供達のいじめは続いた。

 あるとき、浜辺で遊んでいる時にワニが出た。

 オーストラリア先住民の中には、ワニが祖先である伝説を持つ部族もいた。

 その知識のあった少年がキエラをけしかけた。

 ほら、お前のご先祖様だ挨拶しろよ、と。

 キエラは恐ろしく身震いしたが押し出されてしまった。

 飛び出してきたワニがキエラの右足を咬み込んだ。

 そして水中に後ずさりする。

 子供達が蜘蛛の子を散らすようにわっと飛び退く中、何人かの子供は灰色のもやがキエラの体をつつむのを見た。

 「いやだー」と叫んだキエラはワニの口を上下に引き裂いた。

 後には、右足をワニの牙でぼろぼろにされて水際で泣きじゃくるキエラと、口を引き裂かれて頭を失ったワニの死体が残っていた。

 子供達は大人達を呼び、大人達は救急車を呼びキエラは病院に運ばれた。

 幸い、脚の機能に後遺症は残らなかったが、美しいはずの女の子の脚に、一生消えない傷跡が残った。

 中学生に上がる頃、生理を迎え、それが新しい命をはぐくむ切っ掛けであることを知識として覚えた頃から、気持ちをふさぐことが増えた。

 母親と父親、そして穏やかな二人の兄がどのように説いても、自分は食事を取ってはいけないんだと思い込むようになった。

 体は痩せ、肌は荒れ、生理は止まった。

 時折、過食衝動に襲われ急に食べ物を口にすることがあったが、胃が受け付けずその後吐いた。

 体は痩せ、みすぼらしくなったが、生理が止まったことはキエラの不安を、少し和らげた。

 高校は通信課程で卒業した。

 職業訓練所にも通ったが続かなかった。

 切っ掛けは、リリーと同じ流れだった。

 陸軍に所属していた兄が、オーストラリア先住民の血を引くことを口にしていたことから、とある誕生日リストを見せられた。

 そこに、キエラの誕生日を見つけ、キエラを陸軍施設に連れて行った。

 キエラのやせ細った体を見た研究員は、大きくためらいもしたが、陸軍に所属する兄と供にキエラに、新兵力の開発をイギリス本国と取り組んでいることと、一度だけ装甲服を着てみて欲しいと告げた。

 顕現者の展示訓練を見た兄妹は驚いた。

 そして妹は、初めての着甲で十メートル飛び上げて見せた。

 そのまましっかり着地したキエラは、しばらく呆然としていた。

 心配した兄が近づくと、フェイスマスクを上げたキエラは泣いていた。

 「お兄ちゃん。

 私でも世の中の役に立つのかな?」

 兄も泣いた。「俺よりつえーよ。立派だよ」

 キエラの鬱も簡単には治らなかった。

 最低限の座学と、何度かの挑戦で訓練に取り組むことに成功し、予備役の資格を得た。

 鬱は、完全に治ったとはいいきれなかったが、いくつかの薬を試す中で、すこし落ち着きを取り戻すことができた。

 なにより、着甲している時のキエラは、よく指示に従った。

 着甲している時の方が、食事も安定してとれた。

 そのため、イギリス陸軍に呼ばれ、ファイアリー・クロス基地を経験し、ASー03の慣熟を終えた。


 遊はすこし涙ぐんでいた。輝巳ははっきり泣いていた。

 武多が続ける。「キエラは、自分の意思でオーストラリア先住民の名字を名乗ることにしたそうです。

 ニンディリャグは、母方の祖父だったかな、の名字だそうです」


 輝巳はフェイスマスクを上げると目をぬぐい、笑顔を作ってリリーとキエラに向かう。「遊君、俺が鬱病持ちだってこの子等に伝えてあげて」

 「ヒー イズ オルソー デプレスド」

 リリーはおっとりとした目つきで、キエラは人なつっこい目つきで微笑んだ。

 折角伝えたのに武多が水を差す。「あ、それもう伝えてます」

 「なんだよ」

 「だって親しんでもらえそうでしょ、彼女たちに」

 輝巳が笑う。「まあ、そのつもりで伝えてもらったんですけどね」

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