第068話 検討

 六月の第三週末、輝巳を追って信世も五十五歳に達していた。

 明理は三十歳、皐月も二十九歳、二人とも時には個別の教導小隊を組んで後続の徹攻兵の慣熟訓練を指導する立場に立っていた。

 座間駐屯地の会議室には、四十二歳の陸曹長、一八式に八十パーセント対応している道照と、三十二歳の二等海曹、一八式に九十パーセント対応している七生もいた。

 色川が口を開く。「今回の協議は、訓練ではなく作戦についてです」

 輝巳がたずねる。「信世からのブリーフィングじゃなく、大隊長からというのも珍しいですね」

 色川が答える。「二〇二一年の二つの事件は緊急事態として、正規の自衛隊員とは立場の異なる特務予備自衛官の尾形さん、春日さん、山中さん、根本さんを中心にお力添えを頂きました。

 今回の事態は、少し我々にも考える時間があります。

 それと、今回の事態は色々ややこしくて取りえる選択肢が多様にあるのです」

 色川の話は多岐におよんだ。

 南沙諸島最大の中国の拠点、ファイアリー・クロス礁への攻撃を検討していること。

 これまでは日本対中国、日本対北朝鮮と二国間の問題であり、日本の主権を侵害された問題だったが、今回は直接日本の主権は侵害されていないこと。

 一方で本来国際的な公海上の航行権を侵害しており、これを許せば世界中の海で、島々の間で独自の航行関税が発生しかねないこと。

 南沙諸島にほど近い、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、ベトナムだけでなく、台湾、インドネシア、ラオス、カンボジア、タイ、シンガポール、から中国の徹攻兵の対応を求められていること。

 徹攻兵保有国の間でも、どこの国が中国を支援しているのかと犯人捜しにも似た神経戦が始まっていること。

 当然のごとく、スパイ活動防止法のない唯一の先進国である日本が疑われていること。

 常任理事国五大国の中で唯一徹攻兵を持たないロシアの焦りは強く、各国、各方面に手を回していること。

 国連安保理の拒否権を持つ中国の意思の前には、国連決議に基ずく多国籍軍も組めず、PKOこと国際連合平和維持活動も組めないこと。

 国内の穏健派からは、数十万円程度のコスト増はタンカー全体の積み荷の経済価値に比べれば誤差のようなもので、穏便に負担するのが良き隣国としての姿だという声もあること。

 色川は輝巳にたずねる。「尾形さんはスエズ運河を通過する際にタンカーがどれくらいのコストを負担しているかご存じですか?」

 輝巳はおそるおそる答える。「いや、知りませんが百万円くらいなんですかね?」

 色川の回答に輝巳は口を開けてしまう。「船のサイズにもよりますが、タンカー一隻五千万円以上の額を負担しているとききます」

 遊が呆れて声を上げる。「当然、一度払えば既成事実の名の下に値上げしてくるわな」

 輝巳も観念した顔を作る。「それで、色川さんの、かな、幕僚の、かな、が、俺たちにさせたい無茶って今回はどんなんです?」

 色川は不敵に笑う。「公開決戦による完璧な勝利です」

 信世は呆れてよそ見をし、遊は呆れて苦笑いする。

 輝巳は唇の片端を引き上げると「まずは冗談の一つとしてうかがいましょうか」と答えた。


 全世界から宣戦布告という名の拒絶を受け、他国の軍の進駐を受ける屈辱と苦悩の敗戦からまもなく一世紀が経とうとしているのに、この国の戦争アレルギーは国家そのものを危うくするほど強くはびこっていた。

 いや、江戸期の太平を思えば、意外ではないのかも知れない。

 やらないと決めたら、それが大人の責任だからと説得されてもやらない。

 やると決めたら、我が身を滅ぼしてもやりきるために前のめりに倒れ込んでいく。

 そんな不器用な頑固さを内包する世界有数の経済大国、というのが等身大のこの国の姿なのかも知れない。

 それでも、この目に見えているのに顕在化していない脅威は避けて通ることはできない。

 全てを喰らってなお飽くことのない饕餮とうてつに身をゆだねるほどこの国は子供でも未熟でも臆病でも怠惰でもない。

 少なくとも、そう思う人間達がいて、そのための力を持っていた。

 色川の話した内容は、一つ一つ、輝巳の納得のいくものだった。

 顕現者の誕生日の法則はすでに中国も知るところになっていると考えて良い。

 一つの誕生日と六十四という定数さえ知ればあとは計算するだけでよい。

 情報は、そこまでかたくなに秘匿できない。

 中国も顕現者の発掘に手を焼いているのは感じられる。

 一度は対馬に姿を現した、第四世代型徹攻兵を隠していることからもうかがえる。

 そしてそのことが中国の自信にもなっている。

 東アジア諸国が徹攻兵を出してくることはないと高をくくっている。

 出してきてもその数や世代は凌駕していると考えている。

 だからこその今回の南沙の騒ぎにつながっている。

 色川はいった。「私だったら、今回日本がこの条件を呑んできたら、沖縄に独立を促しますね」

 輝巳はうなずく。「なるほど、沖縄発着の航路便には関税をかけない、とかですかね。

 そうすれば独立した沖縄は日本と交易するだけで莫大な富を手に入れるでしょうね」

 色川もうなずく。「お察しが早い。

 そして沖縄を大きな中国経済圏に飲み込めば、米軍を追い出し、人民解放軍が代わりにやってきます」

 輝巳は楽しそうに笑う。「俺が向こう側の徹攻兵だったらわくわくしちゃいそうなゲームですね」

 信世がすこし苛立ってたしなめる「輝巳」

 輝巳は申し訳なさそうに頭を下げる。「悪かったよ。

 ただ信世も知ってるだろ。

 俺がこの国のあほさ加減に心底いらいらしてるのは」

 信世は背筋を伸ばすと、机を二回人差し指で叩いて「それでも」と釘を刺す。

 色川の話は続く。

 国際社会では「力」とは強制力のことで、強制する大義名分が立てば何をしても許される。

 実際、輸出という行為自体、輸入する国の雇用を奪っている自覚のない日本人は多い。

 優れた技術力と品質に裏打ちされた輸出という名の経済侵略が許されるなら、武力のある国が武力で侵略することの何が悪い。

 それが、中国の倫理観だ。

 力は、同じ力で打ち消し合うのが一番早く効果的だ。

 実際、経済力で世界を席巻したこともあるこの国は、より安価な労働力を提供する東アジアの国々に抗えなかった。

 中国が武力で南沙の島々を中心に東アジアをなびかせようとするのに対し、この国がそれを飲めないのであれば武力で対抗するしかない。

 しかし、この国の与論と経済は長引く争乱に耐えられない。

 一度出兵して勝てたとして、暫時襲撃を受け、南シナ海が長引く争乱の海となってしまえば貿易どころではない。

 「ですので、中国の保有する全徹攻兵とはいいませんが、ある程度の主力の徹攻兵を引きずり出し、それを一気に殲滅するしか選択肢がないのです」

 輝巳もさすがに反論する。「いや色川さん、それは前提がおかしい。

 そもそも、公開決戦を申し込めるほどこの国は剛胆じゃない。

 惰弱といっていい。

 それに、勝ったところでどうするんです?

 空白地帯になった南沙に通常兵力で駐留されれば元の木阿弥ですよ」

 色川はにこやかに答える。「輝巳さん、私も来月四十九になります。

 そろそろ長期出張で箔でもつけてみないかという声もありまして」

 輝巳だけでなく、遊も驚いて割り込んでくる。「色川大隊が駐留する、ということです、か?」

 信世も驚く。「えー?」

 輝巳が呟く。「嘘でしょ。

 ずっと日陰者だった徹攻兵が東亜の平和維持に貢献とか?」

 色川は控えめに笑う。「とはいえ、日本単独の軍事行動を他国は喜びません。

 駐留部隊には米国、英国、フランスも声を上げてきていますし、兵站などでフィリピンやマレーシアからも支援の声が上がっています」

 輝巳がたずねる。「ドイツは?」

 色川が涼しげに答える。「勝ち馬には乗らないようです」

 輝巳が、あー、とうなずく。「それがかの国のたしなみ、ということなんですね」

 そして信世にたずねる。「なあ信世。

 今度宇や堅剛に会う時、俺はどんな顔したらいいんだろうな?」

 信世も複雑な顔を作る。「いうまでもないけど、向こうから触れてこない限り黙っているのが大人のたしなみね」

 遊もうなずく。「だな」

 そして輝巳が今一度たずねる。「だとしても色川さん、どうやって果たし状を突きつけるんです。

 そんな政治判断できる政治家はニホンオオカミより先に死滅しましたよ?」

 信世がまた、輝巳をたしなめる。「輝巳」

 「いや、ごめん。

 でも、どーすんのさ」

 それに対して、色川は申し訳なさそうな、残念そうな表情を作る。「輝巳さん、ここの名前はご存じですよね」

 輝巳はたずねるように呟く。「座間駐屯地」

 色川はそれを打ち消す。「キャンプ座間です」

 「ああ、アメリカがお膳立てをして実態は日本がやれと。

 勝ったら勝利はアメリカのもの、負けたら損害は日本のもの、と」

 「そういうことです。

 まあ、英国、フランスも黙ってるつもりはないみたいですが」

 そして色川が続ける。「おおまかな概要はこんな所なのですが、一つ、ご相談がありまして」

 輝巳は上機嫌に返事する。「なんです。

 今の筋書きならすっきりしましたよ。

 出かけるのに緊張しないとはいいませんけど拒みもしませんよ」

 色川は、キャンプ座間の名前を出した時より、一層申し訳なさそうな顔を作る。「二小を動かしたいんですよ」

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