第054話 対ガス試験

 沖縄本島の東側の沖合、約八十キロほど進んだところには、琉球海溝と呼ばれる四千から五千メートルにもおよぶ深さの海域が南北に広がっている。

 そこで、小刻みに時間を区切りながら潜っては浮上してを繰り返す。

 遊は、時間の関係もあって、推定深度七百メートルほどでテストを終えた。

 テストを終えると装甲服を外し、アンダーアーマーも外して裸になる。

 肌に赤い斑点などが浮かんでこないか、むくみなどは発生しないかなど、医官の観察の元で過ごすことになる。

 輝巳は無呼吸の時間に余裕はあったが、およそ一千メートル潜ったところで、急に全身に圧を感じた。

 折り返して海面に浮上すると、甲板まで飛び上がり武多に報告する。

 武多はしばらく考えると「その圧の感覚をもう一度確認してきて、ついでに意識通信もしてもらえますか?」と依頼してくる。

 輝巳は「りょーかいです」と答えると改めて海面に飛び込む。

 やはり、光条推進で海底に向かって進み、三分ほどしたところで圧を感じ、その肌感覚を送ると引き返す。

 通知内容は信世が音声でまとめ、武多は七生と意見交換をする。

 輝巳の試験も終わり装甲服を脱いで裸になると、医官の診断を受けた。

 二人とも減圧症の症状は一切出ることは無かった。

 沖縄の海での試験を、武多はこう締めくくった。「水深一千メートルから水中を十ノット超のスピードで推進し、そのまま空中を時速数百キロで飛行する物体なんて、この世に存在しないはずなんですけれどもね」


 それから二ヶ月後の六月、信世も五十代の大台を越してしまった第三週末に、矢臼別演習場には機密性の良いプレハブが五棟ほど、それぞれ百メートルの間隔を空けて建てられていた。

 カメラだらけの目元に、ガスマスク部分を廃止して一枚の金属板で鼻と口を覆うよう形成されたヘルメットを着けて輝巳がたずねる。「いよいよ、毒ガスの試験ですか?」

 座間キャンプで武多が答える。「いよいよ、ですね。

 何度も繰り返しますが、二人の身に万一があると、俺の首が飛んじゃうんですよ。

 なのでわずかにでも異変を感じたら、即、壁をぶち抜いて外に飛び出して下さい」

 武多が続ける。「ちなみに、耐酸性、耐アルカリ性、耐溶剤性の腐食試験は、二十年前に既に第一世代型でドイツが試験済みなんです。

 ほんとにあの民族のやることはきっちりしています。

 それぞれ、高濃度の溶液を使って数時間経過しても汚損すらありませんでした。

 また、チェーンメイル部分、つまりアンダーアーマー部分についても、着甲時に侵食による皮膚へのダメージもありませんでした。

 なので今回の試験、高濃度のガスによる腐食は余り心配していません。

 また、四肢や腹部、背部、頭皮など装甲に覆われている部分についての影響も余り心配していません。

 ポイントになるのは呼吸器、血液系、目、鼻、のどなどの粘膜系への影響です。

 耐久試験に成るので、それぞれ異変がなければ最低でも一時間ずつの試験をしたいと思っています」

 ここで武多は一旦区切ると、大まじめにいった。「お二人にはトランプを用意したのでカードゲームしていて欲しいんです」

 輝巳と遊は気が抜ける。「マジすか?」「ボードゲームとかはダメなんですか?」

 武多が笑いながら答える。「将棋とか囲碁も考えたんですけど、長考されると、死んだかと勘違いしかねないので」

 輝巳と遊が理解する。「ああ」「なるほど」

 武多が締めくくる。「万一に備えて、穂村二尉と相原三曹に待機してもらいます。

 また、完全防備の医官と酸素室も準備してあります。

 とにかく少しでも異変があったら飛び出すこと、これを忘れずに始めてください」

 輝巳は、室外に設けられた発電機を起動させる。

 室内には簡易照明の他、通信機とカメラが設置されており、フロントマスクを上げたままの二人の顔色もうかがえるようになっている。

 信世が告げてくる。「現在、ヒトキューマルフタ、これより塩素ガスの耐久試験を行います」

 輝巳と遊は、大まじめな顔でポーカーを始める。

 が、十五分もすると輝巳は飽きてしまう。

 「なあ、遊君?」

 「なんだ」

 「飽きたんだけど」

 「俺もだ。

 でも、多分、外で待機してる明理ちゃん達の方が退屈だと思うぞ」

 すかさず、明理が答えてくる「問題ありません。長時間の作戦行動への対応も訓練されています」

 伝わらないが、皐月も無言でうなずく。

 「ふいー」と輝巳がため息をついてカードを投げると、武多が「取りあえず止まっちゃうのだけは勘弁してくださいね」と注文してくる。

 輝巳は「話ししてれば、トランプして無くてもいいですよね?」とたずねる。

 武多は「いいですー。その代わり、話してない時も相づちは小まめにお願いします」と返してくる。

 輝巳が続ける。「わかりましたー。

 さて、と。

 明理ちゃんと皐月ちゃん。

 ちょっとじいさんにつきあってくんない?」

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