第041話 サラリーマンの日常

 十月二十一日の木曜日の昼過ぎ、輝巳は、取引先の音声認識システムと、その競合製品の比較資料を作っていた。

 一口に音声認識システムと行っても、会議用、通話用、WEB会議用と色々ある。

 各社各様の仕様があり、簡単に横並べ出来るものでもない。

 それらを一覧でみられる資料、といわれても手が止まる。

 人によっても、そんなことメーカーに聞けば、という声もあれば、そんなことまでメーカーに聞くのは、という声もあり、次のアクションをどうしていいか迷う。

 何をしても「尾形さんはもうベテランなんだからさ」と「尾形さん自身でとりまとめて」の言葉がつきまとうが、得意な仕事を奪われ、失い、見よう見まねの仕事に就き、係長をめざしていた主任の肩書きも外され、平社員のみに落とされた現状、比喩的な意味合いで立ちあがっているだけでも精一杯だった。

 何をすれば正解かも見えず、取りあえず上司役と相談し次のアクションを細かく聞いてはこなす日々。

 主体性など丸でない。

 そんな、四十八才の使えないおじさんが、着の身着のままありのままの輝巳の姿だった。

 とにかく情報をまとめて、情報がないところの穴を整理して、穴埋めの方針を固めて。

 本来であれば四十八才のおじさんがやる仕事でもない。二十も下の子が作ってきた資料を基に戦略的な方針を定めるのが仕事だ。

 なさけないなあ。

 作業のあいま、一息を入れて考え込むと、内藤部長から声がかかる。

 「ちょっといい」

 別室に呼び出されることでいい話しがあったためしがない。

 手近な個室に呼ばれると話が切り出される。「また、物産の丸井さんからご氏名で依頼が入ってくるから。

 今の作業、急ぎはあるの?」

 「急ぎというか、桜本次長との話で今週中に音声認識システムの比較資料をまとめるというのがあります」

 「ふーん、それは来週でも構わないんでしょ?」

 「ああ、まあ、はあ」

 「桜本さんには俺から話しておくからさ、丸井さんの話し、最優先にして」

 「わかりました」

 何の重要性もない、単なる人の駒が、輝巳の立ち位置。

 プランクトンのように、水の流れに流されるだけの日々。

 デスクに座って我が身を考え込むまもなく、支給されたモバイルフォンが鳴る。

 「尾形さん、ご無沙汰してます。物産の丸井です」

 「はい、ご無沙汰してます」

 「今回も詳しくは言えないんですが政府筋からの依頼で、座間基地の都築さん宛に」

 「分かりました」

 「それにしても」丸井の言葉が一拍開く「基地で何をされているんです?」

 輝巳は答えに窮する。「あー、その、それは機密事項でちょっと、言えないんですよ」

 丸井は、朗らかに返してくる「そういうことですか。ま、僕の役割はここまでなので、移動、速やかにお願いしますね」

 そういうと丸井は電話を切る。

 輝巳は我が身を嘆く、俺よりも四倍も五倍も年収のある人は爽やかだなあ。

 桜本さんとは、いい意味でも悪い意味でも嫌み無く話しが通った。

 所詮、任されている仕事と行ってもたいしたことのないことの現れ。

 輝巳は、ピルケースから抗うつ剤とステロイドを取り出すと残ったジュースで飲み下し、気持ちを切り替えることにする。


 移動中、いつもの新宿駅で莉央りおに電話をする。

 「もしもし、莉央」

 「うん、どうしたの?」

 「また、親会社から出張の依頼が来てさ、トラブルが収まるまで、出張ってことなんだけど」

 「いつまでになるか分からないの?」

 「うん、多分長くても、一週間だと思う」

 「そう、子供達のことは任せて。体調には気をつけて」

 「あ、うん、電車来ちゃったから、乗るね」

 時刻は、ラッシュアワーにさしかかっている。

 一刻も早く駆けつける、という気にはなれず、座れそうな始発を待つ。

 入線してきた始発のシートに腰掛けると、ようやく、おちついて信世にメールを打つ。

 「どしたの?」

 「出た」

 輝巳はそれを見て長くため息をつく。

 これは、しゃれにならん。

 スマホを取り出しても、アニメを見る気にもなれなかった。


 キャンプ座間に付くと、いつもの四番ゲートで信世を呼び出す。

 信世の車に乗り込むと、信世からたずねてくる。「薬は、まだ飲んでるの?」

 輝巳は、なんてことはないと答える。「飲んでるよ。

 メディカルチェックは忘れないね」

 「小隊を預かる身ですから、ね」

 「ちなみに、成長ホルモンと男性ホルモンの分泌に問題はないんだぜ。薬価がかかるから、その点は助かっている」

 「男性ホルモンが出ていてどうすんのよ」

 「子作りに支障がないんだと」

 「そういう歳じゃないでしょ」

 「俺だって、経済的に許されたら、信世のところみたいに三人目が欲しかったよ。

 男の子が良かったな」

 「うちは、むずかしいわよ、私のこと、お母さんとは呼んでくれないしね」

 「それは、まあね」

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