第005話 五人目

 市ヶ谷から伸びた五本の糸は一番最後に尾形輝巳のところに届いた。

 午前十時を前に抗うつ剤とステロイドホルモンの錠剤を飲む。くたびれ、やつれた愛想笑いが張り付いたサラリーマン。

 同世代が管理職に就く中、いつまでも主任止まり。

 かつては、上司に「エース」と紹介されたこともあったのに、得意にしていた商材が市場に選ばれなくなると落ち着く先を見失い、社内の部署を転々とし、気がつけば十も年下の上司の下でいいように使われる日々。

 それでも、今年中学校に上がる長男と、小学二年生の長女を抱え、責めて子供達の将来だけでも守りたい、と節約のためにお昼は妻の作ったおにぎり一つで済ませる。

 月末の締め日を迎え、月初の請求処理が忙しいはずなのに、鬱病の発端となった劣等感がキーボードを叩く手を鈍らせる。

 「尾形さんちょっと」

 と新任の部長から声がかかる。何か新しい仕事が振られるなら何でもいい。

 子供達のためにはなりふり構っていられない。

 そう、期待して部長の席まで歩み寄る。

 「親会社の物産から連絡があると思うから、連絡が来たら最優先で対応してもらえる」

 「連絡って、私にですか。

 物産から何が?」

 意外すぎて悪い予感しかしない。そう思っていると自席においてきたスマートフォンが鳴りだした。

 「すみません」と言い残して自席に戻る。

 「はい、尾形の携帯です」

 「初めまして尾形さん、物産の丸井と申します」

 「はい」

 「先ほど、そちらの内藤部長には連絡させてもらったのですが緊急で依頼したいことがありまして」

 「はい」

 「今から、座間駐屯地に向かってもらえませんか?」

 「あ、えーと、はいあの、ただいま勤務中でして」

 また、いつもの訓練にかり出されるのだとしても、突然過ぎて意味が分からない。

 「ええ、そうかと思いますが、一週間ほどの出張になると思います」

 「あの、こんなことうかがうのはあれなんですが、なんでその、丸井さんでしたっけ、物産の方から訓練の依頼が来るんです?」

 「ちょっと込み入った状況がありまして、仕事の調整が何が何でもつくようにと政府の上の方から動きがありまして。

 そうしてこちらに話が回ってきたんです。

 えーと、都築さんか、座間キャンプについたら都築さんを呼び出していただければいいそうなので。

 手持ちの作業もあるかとは思うのですが、内藤さんと相談して、尾形さんはまっすぐに座間に向かっていただけませんか?」

 そう話している間にも、内藤部長が林田課長に声をかけているのが見える。

 「えーと、分かりました。

 とにかくなるべく早く向かえるようにします」

 「何かあるようなら、この番号に連絡下さい。私から内藤さんに伝えますので」

 電話を切ると林田課長から声が掛かる。課長、といっても十も年下の上司だ。「物産から連絡あったんだって。

 何の件?」

 「それが、システム関連で一週間ほど出張しろと」

 「尾形さんが、今更何のシステム?

 まあいいけど、月初の請求支払い関係の処理は手順化されてます?」

 「してないです」

 「やっときますから、今から段取り教えてもらえます?」

 そういうと林田課長は輝巳の説明を要領良くまとめていく。

 「あと大丈夫っすかね?」

 「ちょっと幾つかメール打っておきますね」

 「はーい」

 あれこれしている間に時計の針は十四時を回る。

 内藤部長から声が掛かる。

 「丸井さんから連絡があったんだけど、まだ出られないの?」

 「いま、このメールだけ打ったら出ます」

 「お急ぎみたいだから、要領よくね」

 はいはい、わかってますよー。

 心の中でそう呟くと、やり残した幾つかの雑務は手を付けなくても何とか回ると割り切り、後ろ髪を引かれる思いでノートパソコンを鞄にしまう。

 「すいません林田さん、これででます」

 「はーい、行ってらっしゃい」


 中央区のオフィスを出ると、JRで新宿駅に向かい、小田急線に乗り換える前に妻に連絡をする。

 「莉央りお

 「どうしたのこんな時間に、体調でも悪くなった。帰ってくるの?」

 「いや、その、逆でさ、親会社からの連絡で、システムトラブル対応で出張になりそうなんだ」

 「えー、こんな急に?」

 「また、日程とか分かり次第、夜にも連絡するよ」

 「うん、分かった。無理はしないでね。薬は足りる?」

 「うん、予備があるから」

 それだけ会話すると電話を切る。

 移動の合間に信世にメールを打つ。

 「何事があったの?」

 短い返事が返ってくる

 「有事、本番、これ以上はメールでは無理」

 ため息をつく。

 取りあえず、始発を間って座席に座ると、スマホに落としたアニメを見て現実逃避。

 薄汚れたダウンのジャンパーを着た白髪交じりのおじさんが、大ぶりの鞄を抱えて電車の椅子にちょこんと座り、小さなスマホの画面に食いついている。

 第三者の視点で自分を眺めると、何ともしょぼくれていて情けない。

 何だかなー。

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