第003話 二日前
事件は、時間にして二日前、二〇二一年二月二十六日の金曜日に起きた。
冬の低気圧が近づく中、中華人民共和国の公式船舶が、尖閣諸島の接続水域に出入りする日常。
その日ばかりは違っていた。
中国船籍の大型の漁船が右に左にと進路を変えながら魚釣島の接続水域に入ってくる。
海保の巡視船が警告をすると、舵が壊れて進路がまともにとれないが島からは離れる、と回答がある。
気がつけば中国人民解放軍海軍の軍艦を名義だけ変えた巡視船もはっきりと近づいてきている。
これ以上漁船に進まれれば領海への侵入を許してしまう。
形だけでもそれは避けなければならない。
武力行使を許されない、武力を持たされない海上保安庁の巡視船にとっては、船を横付けして無理にでも進路を変えなければならない。
波が高い、小雨もぱらついてきている。
海保の巡視船は一度魚釣島の領海側に回ると、ふらふらと、しかし確実に領海側に近づいてくる漁船と歩みを合わせる。
甲板の手すりにつかまる保安官も固唾を呑む。
艦橋から、漁船に船舷を合わせることを連絡すると突然、小銃を持った男が船上の構造物から姿を現し、公然と射撃をしてきた。
射撃は、とにかく当てようと執拗で、甲板に出ていた三名の保安官のうち二人が被弾した。
「射撃、射撃。二名被弾。射撃は継続中」
時を同じくして中華人民共和国側の巡視船が進路を変え、まっすぐにこちらに向かってくる。
海保の巡視船の艦橋に緊張が走る。
これは、本気だ。
「おもぉぉかぁじ」
逃げることは恥ではない。
双方どちらにもこれ以上の負傷者を出さないことが、日中両国の友好の維持のために最優先される。
船長は船員にそう告げると、負傷者の救護、船艇の損傷の確認、そして海上保安庁本庁への連絡を矢継ぎ早に指示する。
冷静沈着。
船員の誰もがそう思った船長の心は怒りで震えていた。
海域を離れる海保の巡視船を尻目に、漁船は魚釣島の北の浜を一直線に目ざし、浜に、半ば強引に乗り上げる。
それを追うようについてきた中華人民共和国側の巡視船から周辺の海域に、座礁した漁民の救助のため魚釣島に上陸する、との通報が発信される。
海上保安庁、海上自衛隊、在日米軍、防衛省、国土交通省、内閣府、外務省、それぞれに情報が飛び交う中、外務省から防衛庁に出向している職員が統合幕僚長に耳打ちをした。
「例のチームを動かしてはいかがですか?」
「あれは、だって、そもそも隊員で構成されているわけではない。
我々の権限のおよぶ範囲ではないよ」
「今回の動き自体、徹攻兵の存在がリークされ、先手を打たれた、という話しも飛び交っています。
それに」
耳打ちした職員は不敵に笑う。
「ほんの少人数が失敗したところで、知らぬ存ぜぬを通すことはたやすいではないですか」
中央で迷いが錯綜している間にも、東シナ海では、巡視船とは名ばかりの揚陸艦が艦尾を浜に揚げ自陣を固めるべく資材を搬出する。
浜に乗り上げた漁船の船員も、我先に船を降り上陸する工兵達を待ち受ける。
揚陸艦から真っ先に威容を表したのは地対艦ミサイルを搭載した大型の車両で、広いとは言い切れない浜の奥へと進み、向きを変え、島に近づくものへの対抗心をあらわにする。
それを待たぬうちにトラックが二両上陸すると、中から資材が運び出される。
一秒でも早く、既成事実を完成させてしまうことが彼らに課せられた使命だった。
天幕を張り終えるより早く、赤十字の旗が張り出された。
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