第九章 撤退
第096話 漆黒のドーム
それはまがまがしい静寂だった。
服務命令に違反して立ちすくんでいた颯太のモニターを通じて、座間の指揮所にもその光景が映し出された。
輝巳がクリスタルを破壊すると同時に、万年雪に覆われた白い盆地の中央に、直径二キロメートルに渡る黒い半球が現れた。
黒煙のような漆黒のドームはまさしく輝巳の光条、その色だった。
戦場を覆ったその漆黒の中で繰り広げられていた戦闘の喧噪が突如止み、谷間を吹き抜ける風の音だけが耳に響いた。
やがて朽ち果てた金属が互いに打ち鳴らされる音が重なると、風に流されるように漆黒の半球がかすんでゆく。
徹攻兵達が、それぞれ稜線上に顔を上げる。
見る者によっては漆黒の半球が風の中に消えゆく様は、集合するぬばたまのヒルが中央に向かって黒煙をむさぼり食らう様にも見えた。
全てが晴れるとそこには、数十年放置されたように朽ち果てた装甲服を着込んだ白骨死体達が無数に横たわっていた。
明理が声を上げる。「大隊長。これはどういうことなんでしょうか?」
信世が声を上げる。「説明は後からします。
今はまだ三体の敵性徹攻兵が確認できます。
大隊長、いかがなさいますか」
色川がよどみなく答える。「ラインメタルによる砲撃用意。
準備出来たものより放て」
稜線上には〇六式が持ち込んだ予備のラインメタルが多数余っていた。
敵が隠れてしまう前に打ち倒したい。
四十九門のラインメタルが三体の徹攻兵を襲う。
集中したAPFSDS弾は、示し合わせたように頭部の装甲を脆化させ、そして敵性徹攻兵を撃ち倒した。
統合連絡役の、詩央の涙声が全員のヘッドフォンに響く。「お父さん、お父さん」
颯太が声を上げる。「詩央、お父さんいつもなんていってた?」
詩央が涙声で答える。「食事が一番大事、お友達がその次ぎに大事、その次が頑張ること、最後が我慢」
颯太が続ける。「もう一つあるだろ。
泣くな、だ。
泣くな詩央。
仕事をしろ」
詩央の、深呼吸の声が二度響く。「第一小隊、状況報告をお願いします」
「第一小隊。軽傷者四名、四名全員生存」
「第二小隊、状況報告をお願いします」
「第二小隊。軽傷者三名、四名全員生存」
「第三小隊、状況報告をお願いします」
「第三小隊。軽傷者二名、四名全員生存」
「第四小隊、状況報告をお願いします」
「第四小隊。軽傷者一名、四名全員生存」
「第五小隊、状況報告をお願いします」
「第五小隊。軽傷者二名、四名全員生存」
「第六小隊、状況報告をお願いします」
「第六小隊。負傷者なし、四名全員生存」
「第七小隊、状況報告をお願いします」
「第七小隊。軽傷者三名、四名全員生存」
「第八小隊、状況報告をお願いします」
「第八小隊。負傷者なし、四名全員生存」
「第九小隊、状況報告をお願いします」
「第九小隊。軽傷者三名、四名全員生存」
「第十小隊、状況報告をお願いします」
「第十小隊。軽傷者二名、四名全員生存」
「第十一小隊、状況報告をお願いします」
「第十一小隊。軽傷者四名、四名全員生存」
「第十二小隊、状況報告をお願いします」
「第十二小隊。軽傷者四名、四名全員生存」
詩央が色川に報告する。「大隊長、全小隊、四十八名全員の生存の確認ができました」
そこに、遊が割り込む。「特務分隊、一名戦死、帰還一名のみ」
その声に道照の我慢が限界に達する。「うおお、うおおー、輝巳さん、輝巳さんー」
輝巳も遊も、ここにいる四十八名全員にとっての教官だった。
一斉に涙声がこだまする。
七生が呟く。「ちくしょう、ちくしょう」
満がこぼす。「まじかー、まじか」
優子が話す。「僕も、一杯お世話になったのに」
明理が嘆息する。「嘘でしょ、まだ、嘘って」
皐月が泣く。「あんな教官、だい……、嫌いよ……」
うぬっ、と色川がすすり上げる。「まだ、敵性徹攻兵の無力化の確認が残っている。
穂村三佐、総員を指揮し敵性装甲服と遺体の回収を進めよ」
明理は、かしこまりましたと返答すると、矢継ぎ早に指示を出す。
足の速い颯太と快王に本部駐屯地まで土嚢袋を百枚取りに行かせる。
これを詩央が輸送科に連絡することで段取りを整える。
同じく足の速さを頼りに、皐月と司之介、寿利阿には、最後の三体の敵性徹攻兵の回収を急がせる。
ここまで来て敵性歩兵に回収されたら目も当てられない。
また、手前でたおれている何体かの敵性徹攻兵の回収には〇六式を五名当てる。
稜線を越えて、ロシア側国境の内側までひとまず運べばよい。
手の空いたものには、戦場に散乱する光条砲や光条武器の回収に当たらせる。
特に光条砲の形状やサイズ感は、敵地に置き去りにすることによって相手に知られることは避けたい。
間もなく、三一式の光条推進をふかしたままの颯太と快王が戻ってくると、そのまま稜線を越えて震源地に向かう。
震源地の中央では、遊が朽ち果てた輝巳のヘルメットを抱いていた。
颯太がその前に立つ。
遊が、左前の欠けたさび付いたヘルメットを差し出してくる。「お父さんだ」
颯太は頭蓋骨がはまったままのヘルメットをそっと受け取ると、そのまま膝をついてしまう。
押し殺すように上げる颯太の泣き声は、渓谷にこだまする狼の遠吠えのようにも聞こえた。
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