第四章 来寇撃退
第036話 予兆
本格的な軍事行動には最低でも三ヶ月間の準備期間を要するという。
その事変の予兆は既に半年前の四月中順には浮かび上がっていたのだが、誰しもが、何より多くのマスコミの論調が一月半前に起きた作戦行動に結びつけるものばかりだった。
後に振り返った歴史家は、一年ほど前から予兆となるできごとは始まっていたとも分析した。
二月末に、公式には日米両軍の軍事行動の元、尖閣諸島を事実上の中華人民共和国の侵略の手から取り戻して以来、日米両国と中国の間では激しい政治的駆け引きが繰り広げられていた。
なにしろ、先に手を出してきたのは中国側であり、そして全滅という形で完膚無きまでに叩きのめされたのも中国側である。
極東における中国の軍事的地位は失墜したといってよい。
中国の外洋進出の取り組みは時に強引で、中国からの借款を元に社会的経済基盤となる鉄道や港湾の整備を行い、その借款を返済できない場合はそのままその鉄道や港湾の権益を丸ごと中国のものにするという方法が繰り返されている。
経済的に困窮している国は、この方法に抗えない。
整備工事に地元の労働力を当てられると考えていた政治家は、資材と供に押し寄せてくる華僑労働者を食い止めることができず、結果的に潤うのは中国人ばかりで、地元に経済貢献もできず、そして重要な社会的経済基盤を失うことになる。
このため、諸外国の政治家の中には今回の事変を「痛快」という言葉を使って賞賛する者も現れ、それがよりいっそう中国の自尊心を逆撫ですることになる。
中国側の主張は、非戦闘要員など無抵抗の者もいたで有ろうに無分別に虐殺が行われた、というもので、それに対して日米両軍の主張は、激しい戦闘行為が継続し作戦に参加した隊員の安全確保のためにも応戦せざるを得ず、結果的に生存者に恵まれなかったのは遺憾である、というものだった。
また、巡視船とは名ばかりの軍事用揚陸艦であったという事実や、破壊されたものの地対艦ミサイル車両まで上陸していた写真を公開した。
漁船側についても中国側の主張は、あくまで市民に過ぎない漁民を虐殺した、というものだったが、それに対し日米両軍は漁船とされる船の中にぎっしりと武器弾薬が詰め込まれている写真を公開し、漁をするための船ではなく、武装船であり激しい抵抗に遭った、と回答した。
何より、日米両軍は揚陸艦のメインマストに中国の人民解放軍海軍旗が掲げられたままの写真を公開した。
これは船の戦いにおいて古来より徹底抗戦を意味するもので、国際世論的には日米両国の主張もやむなしと見られた。
しかし、軍事教育の不足している日本国内に向けてはあまり意味はなく、テレビマスコミを中心に、戦時国際法違反の論調がかまびすしく展開され、政権の支持率を低下させることに成功していた。
鹵獲した揚陸艦と武装漁船はアメリカ海軍の管理する横須賀海軍施設に曳航され調査、清掃された。
この二隻の返還を巡って中国側より日米両国に申し入れがあったが、日本政府はアメリカ海軍の管理下にあるとしてのらりくらりと対応を先延ばしにしていた。
当然、水面下では様々な連絡経路を通じての駆け引きが繰り広げられていた。
そのさなか、張り詰めた緊張の糸を表立って断ち切ってきたのは中国の次の一手だった。
四月中順のその日、中国政府は大連出張中の日本の大手商社マン一人と、その商社マンの友人で大連観光旅行中の二人をスパイ容疑で拘束したと発表した。
早速テレビマスコミは「調査の終わった中国の揚陸艦をいつまでも返さないから人質を取られた。
人質解放のためにも中国の二隻を返還するべきだ」との論調を張った。
むろん、先に返して三人が解放される保証などなにもない。
それどころかそもそもスパイ容疑で拘束されている日本人は、報道の大小合わせて数十人に上る。
それら邦人の救出とはどのようにバランスを取るのかなど、解決しなければならない要素はいくらでもある。
中でも政府にとってやっかいだったのは、今回の三人について、商社マンは日本の公安調査庁と実際につながりがあった点だ。
テレビマスコミは、三人解放の行方、という見出しを取っている。
残る二人は、どのような背景を写真に収めていたかはともかく、単純な旅行者である可能性が高い。
二人については比較的早期に釈放される可能性もある。
しかしそのねじれが生じると、残る一人の解放を巡って二船舶の早期返還の声が強まる。
手に入れたカードは最大限活用したい。
そも、二船舶は米海軍管理下に置かれており、日本政府の意向だけで何かできるわけでもない。
アメリカは過去、電子情報戦において中国に手痛い一敗を喫している。
二〇〇一年、中国海南島沖の排他経済水域海上を航行する米海軍所属の電子偵察機EPー3Eが海南島の飛行場に強制着陸させられる事件が起きた。
この時、最終的には乗員全員と機体は米国側に返還されたのだが、機体の電子偵察機器は丸ごと失われた状態だった。
電子偵察機器と揚陸艦では勝手が違うが、今回米国は揚陸艦をがらんどうにして返すこともありうる、とはささやかれていた。
とにもかくにも、日本政府の意向だけではどうにもならない問題でもあり、表だった交渉とは異なる、水面下での情報連絡活動で相手の求めるものや意図を正確につかむことが求められた。
四月末、五月頭のゴールデンウィークには新型コロナ禍による外出自粛措置があり、政権の支持率に悪影響があるなか、神経質な対応が続く。
米軍側の調査が終わったとしても、二船舶を返せば三邦人が単純に返ってくるというものでもない。
三邦人に対する起訴の準備も進むとされる中、今度はゴールデンウィーク明けの五月中順に、大連を観光中の五十代の夫婦とその二十代の大学生の娘が拘束されるという事件が起きた。
さすがにこれには、自己責任論の与論もあったが、政府として純粋な民間人の拘束に対応しないわけにはいかない。
一方で中国政府の主張は、軍事施設を撮影していたスパイ容疑というものだった。
外務省を通じて何とか本人達と面会を行ったが、旅順軍港などには近づいていないということではあった。
中国国内の問題ということもあり、手出しがしづらい。
しかし拘留が長期化すれば民間人である拘束者の体調にも変化が起こる。
そもそも、四月の三人の問題もまだ解決していない、と、ここに来て中国は四月の観光者二人の身柄を解放すると出てくる。
新しい人質を三人手にし、このタイミングで軟化の姿勢を示そうというものだろうがテレビマスコミはまんまとついてくる。
そもそも四月の商社マンも公式的には民間人であり、コメンテーターは、政府の解放に向けた努力を、と声高に主張してくる。
商社マン、そして三人の旅行者の証言で一致するものは「少し、鮮やかすぎる迷彩服を着た軍人が山道を行進するところを見た」というものだった。
六月、米軍による尖閣の揚陸艦のはぎ取り調査が一段落を迎え、返還に向けた条件面の整理を日米両国で非公式に協議しよう、という段になり、日本政府内には、これを機に四邦人の解放に向けた交渉も進められると期待が高まった。
このタイミングで中国政府が発表した、北朝鮮への人道支援について、一連の流れと結びつけるテレビコメンテーターはいなかった。
いや、正確にはいるにはいたが、時間が短くほんの一回程度で、人々の記憶に残るようなものでは無かった。
中国は北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国に対して、トウモロコシなど穀類十万トンの支援と、作業艦艇三隻、作業車両十八両の提供を、この秋までに実施すると発表した。
北朝鮮を巡っては核開発問題で国際社会の支援体制が打ち切られる中、中国や、ときおりロシアからの支援があるばかりで、テレビコメンテーターはこれで北朝鮮の飢えた民衆も救われると発言した。
七月、二船舶の返還と日本人拘束者の解放に向けた非公式協議が、日米中各国の外務官僚間で行われた。
この間も四邦人に対しては、大連の施設で、日本外交官による面談が繰り返されており、健康状態には大きな問題はないものの、精神的なストレスの高まりが懸念されていた。
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