第034話 不幸の連鎖

 二〇〇一年のその日、レーベッカ・シュトライヒは不幸だったが、それに劣らぬ不幸に仲間を巻き込むとは思っていなかった。


 その日は木曜日だった。

 マテーウス・レーマーは、AWー02の慣熟訓練のための訓練計画を研究員と協議しているところだった。

 ウルズラ・ディースブルクは、他の女性顕現者の着甲を補助している最中だった。

 イザーク・マルテンシュタインは非番を取り、自らの誕生日パーティの準備を家族としているところだった。

 ミヒャエル・タイヒミュラーは、休憩がてら研究所の外の売店に小物を買いに向かっていた。

 そしてレーベッカは、自分のデスクがあるオフィスとは少し離れた建物に書類の届け物があり、勤務先の庁舎を出て、交差点で信号を待っているところだった。

 三月に入ったばかりで春を感じるにはまだ早すぎる、しかし抜けるような青空が広がる雲の白い日だった。

 レーベッカはコートの襟を立て、白い息を吐きながら、細長い雲を見上げ、次の着甲訓練日に思いを馳せていた。

 その、雲を見上げる仕草がなければ、不幸とそれに連鎖する不幸の連続を避けられたかも知れない。


 一台の自動車が、交差点を曲がりきれず、加速しながら砲弾のようにレーベッカに直進してくる。

 猛進するエンジン音に違和感を感じたレーベッカが、視線を下げた時既に自動車とは三メートルしか離れていなかった。

 驚いたレーベッカは書類を抱えていた手を挙げる。

 無防備になったレーベッカの腹部に自動車の頭が突っ込むと、そのまま歩道裏の建物の壁に飛び込んでいく。

 後頭部を強打したレーベッカは意識を失う。

 同じく強打した心臓が止まる。

 突然の不幸に襲われたレーベッカは苦しむことなく即死した。

 自動車の運転手も絶命していた。

 原因は運転者の高齢による突発性の脳梗塞によるものだった。

 痙攣した足が突っ張りアクセルを踏み抜いていた。


 マテーウスは協議の最中、突然、腹部を中心に多数の貫通する穴が開き、小さなうなり声と供に絶命した。

 ウルズラは他の女性顕現者の腰の着甲を補助するためにややかがんだ姿勢を取っていた。

 その姿勢のままウルズラは突然、右肘と左膝を中心に多数の貫通する穴が開き、右前腕と左足が服の中でちぎれると、無言のまま女性顕現者の足下に頭を埋める姿勢で絶命した。

 イザークは家族みんなで取り分けるつもりの大皿にのったパスタをダイニングテーブルに運んでいるところだった。

 イザークは突然、パスタののった大皿を床に落とすと、左上から頭半分を欠けるように失いまた、左肩から右腰に向けて多数の貫通する穴が開き、前に倒れて絶命した。

 ミヒャエルは鼻歌を歌いながら袋菓子をいくつか抱え、自分のデスクに向けて廊下を歩いているところだった。

 ミヒャエルは突然、左腹部をほとんど失うような大穴が開き、体をくの字型に大きく傾けながら左側の壁に倒れ込み、小さく吐血すると絶命した。


 マテーウスと一緒に丸形の会議テーブルを囲んでいた臨席者は、マテーウスが机に倒れ込んだのを見て、彼が急な体調不良に見舞われたのかと心配し、マテーウスの名前を何度か呼んだ。

 彼が返事をしないことを心配し、肩を揺すっていいものか戸惑いながら手をさしのべた時、彼のシャツの背中が陥没し、鮮やかな赤に縁取られるのを見てとり、ようやくただ事ではないと気がついた。

 慌てて会議室の電話機を取るとオフィスに連絡し救急車の手配を依頼した。


 ウルズラに着甲を手伝ってもらっていた女性顕現者は、ウルズラが突然足下に顔を埋めたので彼女が発作的に眠り込んでしまったのかと思った。

 ウルズラの名前を何度か呼ぶうちに右腕と左足の部分が鮮やかな赤に彩られていくのをみて、これはただ事ではないと気がついた。

 しかし足下から腰まで着甲中であり、着甲時強化現象が発動しておらず、ウルズラの体調をおもんぱかってかがむのにも一苦労する状態だった。

 「誰か、誰かいませんか?」と大声を張り上げる。

 するとおり悪く室外から男性が大声で「どうしました」と声をかけてくる。

 着甲室とはつまり女性用更衣室でもあり、異性が不用意に入り込んでは警察沙汰になる。

 「急病人です。急いで救急車を呼んでください」そう叫ぶと「わかりました」という大声が響いてくる。

 取りあえず重い足を何とか引きずり後ずさると、ウルズラの頭部が靴に当たる部分の装甲から床へとずれ落ちる。

 それを見て女性顕現者は急いで腰の装甲から外しにかかった。


 イザークの家族は突如襲われた悲劇を理解出来ず、一同、無言になってしまった。

 最初に声を上げたのはイザークの老いた母親で、半ば叫ぶように息子の名前を呼んだ。

 次ぎに動き出したのはイザークの老いた父親で、慌てて震える手で携帯電話を取り出すと、なんとか救急車を呼んだ。

 イザークの妻は盛りつけ中の料理を放り出すと、イザークの元に駆け寄った。

 そして変わり果てた夫の頭部を直視してしまい、こみ上げてくるものを押さえきれずにトイレに向かってしまう。

 母親がイザークに駆け寄る。

 父親は電話で「とにかく救急車を、早く、早く」と伝えるので精一杯だった。


 ミヒャエルの右後ろを歩いていた同僚は、不用意に現代芸術の世界に迷い込んでしまった錯覚を覚えた。

 前を歩くミヒャエルの体が左に大きく折れ曲がるのを直視して、自分の平衡感覚が乱れめまいを起こしているのかと混乱した。

 そしてミヒャエルが頭突きをするように左の壁に頭を付けながら前に倒れ込むのを見て、とっさに「ミヒャエル、平気かい?」とたずねてしまう。

 しばらく次の動きに移りかねて呆然と立ちすくんでしまう。

 何歩か進んでかがみ込み、今一度「ミヒャエル、平気かい?」とたずねたところで、彼のシャツの左側が鮮やかな赤に染まるのを見て大変な事故が起こったことは理解したが、あまりのことに次に自分が何をすべきかを見失い、取りあえず逃げ出したくなった。

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