第二章 着甲時強化現象の発現
第012話 スヴェン・クラネルト
スヴェン・クラネルトはドイツ陸軍の中でも問題児だった。
いじられ役と言った方が分かりやすいかも知れない。
その理由は彼の持論にあった。
曰く「戦前の体制を全て批判するのはおかしい。たとえば経済政策だけ見ても、第一次大戦で追った負債から復興するなど、見るべきものはあった」
「全否定は全肯定とおなじ、盲信につながる」
ドイツという国家では、戦時体制の肯定は固く禁じられていた。
付いたあだ名はネオナチ。その言葉すらはばかられるため、陰口としてささやかれた。
スヴェン本人の耳に入らない訳ではなく、彼自身「違う。俺はナチズムを肯定なんてしていない」と答えても、その言い分は通らなかった。
思想教育の一環の中で諮問にかけられたこともある。
彼の思想特性は無神論に近い、というのが委員会の結論だった。
ぎりぎり、除隊にはならなかったが同期入隊者と比べて昇格はあまりに遅く、最古参の兵卒だった。
その日、連隊のパーティに持ち込まれたのは、名字にフォンの付く毛並みの良い士官の家に古くから伝わるプレートアーマーだった。
それは重厚な作りで「全身で六十キロもある。まあ、騎乗用だね」というのが持ち込んだ本人の弁だった。
年下の上官がふと気がついた。「スヴェン、お前の体格にぴったりじゃないか」
「ご冗談を中尉、まともに動けやしませんよ」と苦笑いで返すのが精一杯だった。
しかし周囲のやんやの声は止まず、スヴェンはあきらめ顔で下着姿になった。
こうやってやり過ごすのが、彼の処世術だった。
周りも、勢いに乗ってスヴェンの体にはめ込んでいく。
素肌に直接金属が当たるので、冷たくって仕方がない。
腹回りはぶかぶかで、肩は少し窮屈だった。
最後に甲を被らせられると、幾人かのものは、甲冑をおおう橙色のもやを見た。
言い出しっぺの中尉がはやす。
「そうれ、歩いて見せろ」
スヴェン自身、不思議な感覚だった。
スポーツウェアを着ている時より体が軽い。
スヴェンが金属音を鳴り響かせながら辺りを一周して回ると、みんな大盛り上がりだった。
「無理すんなスヴェン」
「酔いが回るぞ」
「甲冑の中で吐くなよ」
大笑いの中尉が大声を上げる。
「次はジャンプだ」
膝を曲げ、腕を後ろに振り出して振り上げると飛び上がる。
会場の誰もが驚いた。
甲冑を着たスヴェンの上半身は一度天井にめり込み、天井に大穴を開けて降りてきた。
磨かれた甲冑は、ほこりこそ被ったものの傷一つ無い。
大騒ぎになった。
検証好きのドイツ人たちは、スヴェンから甲冑を脱がすと、バネでも仕込んであるのかとあれこれ調べた。
そのうち一人が、俺も着てみると甲冑をまとった。
歩けはしたが、スヴェンのような軽やかな走りとはほど遠かった。
まともに、飛び上がることすらできなかった。
その間スヴェンは半裸で待っていた。
どうせ、また着せられることは目に見えていた。
中の彼が、汗だくになって甲冑を脱ぐと「スヴェン、もう一度着てみろ」とおはちが回ってくる。
汗がにおって不愉快だったが、半笑いでもう一度着込むのが、彼自身にとって、彼自身に与えられた役割だと思っていた。
今度は周囲もスペースを広げる。
スヴェンは今回も軽やかに広間を大回りする。
中尉が指示する「飛んでみろ」
スヴェンは一瞬止まった。
「中尉殿、天井補修の始末書は、中尉殿が作成してくれますか?」
「構わん」と中尉が苦笑いをする。
今度も、スヴェンは天井に大穴を開けて降りてきた。
程なくして、甲冑とスヴェンの身柄は、軍の研究機関に預けられることとなった。
こうして、一九八〇年代後半のドイツで、着甲時強化現象の研究は産声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます