1-8:「やりたい放題:2」

 星凪からプライバシーを守るための作戦を思いついた丈士は、さっそく、行動に入った。


 大家の高橋さんから受け取ったまま、クローゼットの引き出しに押し込んでいたあるものを星凪に気づかれないように引っ張り出し、それから、それを必要な場所に設置した。


 本当に効果があるのかどうかは定かではなかったが、今はこれに希望を見出す他はない。


 全ての準備を終えると、丈士はさっそく、入浴の準備にとりかかった。

 ブラシで浴槽(よくそう)や浴室の清掃を行い、湯船に温度を調整したお湯を満たす。

 実家では風呂を沸かすのは丈士の役割だったので、慣れたものだった。


 やがて、入浴の準備が整うと、さっそく、丈士は風呂に入ることにした。

 一応、星凪の良心に期待だけはして脱衣所のカギをかけ、洗濯かごに脱いだ服をまとめ、素っ裸になって浴室へと入る。

 それからシャワーで軽く身体を流すと、丈士はさっそく、身体を洗い始めた。


 そして、それからほどなくしてのことだった。


「ふぎゃん!? 」


 入浴中の丈士がいる浴室に侵入を試みたらしい、星凪の悲鳴が聞こえてくる。


「ぅぅっ、イタタタっ! ……ちょ、ちょっと、何よ、これは!? 」


 それから、星凪の、戸惑いと、憤(いきどお)りの入り混じった声が聞こえてくる。


「星凪、残念だったな。兄ちゃんだって、プライバシーは欲しいんだ」


 効果あり。

 そのことを知って嬉しい気持ちになりながら、丈士は得意そうな声で星凪にタネ明かしをする。


「実はさ、この部屋の隣、202号室に、お前みたいな幽霊がいるらしくってさ。その幽霊対策に、って、大家さんがくれたんだよ。[お札]」


 星凪の傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞いを阻止し、丈士のプライバシーを守ってくれた救世主。

 それは、浴室の四隅に丈士がはりつけておいた[お札]だった。


 長方形に切り取られた和紙に、古い字体で魔除けの言葉が書かれただけのものだ。

 だが、その効果はてきめんであるようだ。


「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん!? なんで、そんな意地悪するのよ!? 一緒にお風呂に入るくらい、いいでしょぅ!? 」

「ダメダメ。オレだって、1人でゆっくりしたい時だって、あるんだよ」


 星凪はポルターガイストを起こして浴室の扉をドンドンと叩いているが、丈士はそれを無視して、身体を洗い続ける。


 星凪はしばらくの間ポルターガイストで浴室の扉を叩き続けたが、丈士がそこを開けるつもりがないと理解すると、浴室の周囲に回り込み、どこかに侵入できる場所がないかを探し出す。

 だが、丈士に抜かりはなかった。

 そのために、浴室の四方にお札をはってあるのだ。


「ふぃ~」


 星凪が浴室へ侵入しようと悪戦苦闘している様子をBGMに、身体を洗い終わった丈士は湯船につかると、心地よさそうな声を漏(も)らす。


 やがて、星凪が浴室の周囲で侵入口を探す音も聞こえなくなった。


(へっへっへ、今回は、オレの勝ちだな)


 星凪もとうとうあきらめたのだろう。

 そう思った丈士は、お札の効果に感謝しながら、湯船につかったまま、流行(はやり)の曲の鼻歌を歌い出す。


 ドカン、とすさまじい音が響き、浴室の扉が突然開いたのは、その直後だった。


「うッ、うわっ!? 」


 湯船の中で身体をビクンと震わせ、水しぶきをあげながら慌てて音のした方向を見た丈士は、そのまま絶句し、恐怖に目を見開いて口を半開きにする。


 丈士の目の前で、半分に千切れたお札が宙を舞っていた。

 星凪の浴室への侵入を防いでくれていたはずのそれは、無残な姿となり、そして、丈士の目の前で燃え、灰へと変わっていく。


 そして、燃え尽きたお札の向こう側には、星凪の、暗い影に包まれた満面の笑顔があった。


「こんなもので、本当にあたしを止められるとでも思ったの? お兄ちゃん? 」


 そして星凪はそう言うと、大家からもらった残りのお札の束を丈士によく見えるように左手で突き出すと、それを自身の手の平の中でぐしゃりと握りつぶす。


「こんなもの、あたしには効かないよ、お兄ちゃん」

「わ、わ、わ、悪かった! ほ、ほんの、ちょっとした出来心だったんだ! 」


 もはやかくなる上は、土下座する勢いで平謝りに謝る他はない。


「分かってるよ、お兄ちゃん。……でもね、お兄ちゃんは、あたしから逃げちゃダメなの」


 星凪はというと、丈士の心情に一定の理解は示しつつも、しかし、自身の要求を譲歩(じょうほ)するつもりは少しもないようだった。


 そして、星凪は、自身のセーラー服に手をかけると、そのまま自然な動作でそれを脱ぎ捨て始める。


「おっ、おいっ、バカ! 何考えてんだよ!? 」


 丈士は先日の夜のことを思い出し、慌てて星凪から顔をそらして手で顔を覆(おお)った。


 丈士に騙(だま)されて置き去りにされた星凪が、こっちへ来てからやたらと上機嫌でいた理由。

 それは、これまで一応は気にしていた周囲からの視線、家族の存在のない、丈士と2人だけの部屋に住むことになったからだった。


 今の星凪は、ブレーキのついていない暴走列車のようなものだ。

 効果があるかと思われたお札でさえ、星凪の前には無残に散るしかなかった以上、丈士に星凪を止める手立ては何もない。


「そんなに慌てなくても、大丈夫だよ、お兄ちゃん。あたし、水着を着てるから」


 丈士は手で顔を覆ったうえ、まぶたをきつく閉じ、(見ちゃだめだ、見ちゃだめだ、みちゃだめだっ)と内心で唱えていたのだが、何だか嬉しそうで楽しそうな星凪のその言葉でようやく目を開いて星凪の方を見ていた。


 そこには、ほんの一瞬前に見せた怒りの表情ではなく、何だか嬉しそうで、少し恥ずかしそうな表情を浮かべた星凪がいた。


 彼女は自身で言った通り、しっかりと水着姿をしている。

 幽霊というのは、服装も自由自在にできる、なんとも器用な存在であるらしい。


(しかし、なぜスク水? )


 ほっとしたような残念なような気持になりながら、丈士は星凪の水着姿を見てそんなことを思う。

 星凪が身に着けているのは、なぜか、星凪が中学時代に水泳の授業で身に着けていたスクール水着で、胸の辺りには[星凪]と名前がしっかりと書かれている。

 しかも、幽霊なのに年月の経過に合わせてしっかり成長した星凪の体型に合わせたものになっている。


「ね、お兄ちゃん。一緒におフロ、いいよね? 」

「……お、おう」


 星凪は機嫌を直してくれたようだったが、逆らえばどうなるか分からない。

 丈士は星凪の要求をすべて飲む他はなかった。

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