1-9:「大家さん来たる」
(このままじゃ、身がもたないぞ)
故郷と、家族と離れて、丈士と星凪の2人だけに住むようになってから、星凪はぐいぐい攻めてきている。
丈士にとって、星凪はあくまで妹だった。
よくある設定のように、[実は血がつながっていません]とかそういうことはなく、正真正銘、血を分けた兄妹だ。
だが、星凪は年頃の娘だった。
星凪が亡くなったのは今から3年前の夏、彼女が14歳の時だったが、今の星凪はどういうわけか年相応に成長している。
背も伸びたし、身体つきも色っぽくなった。
他の幽霊のことなど知らないので、年相応に成長する幽霊である星凪が当たり前なのか、異常なのか、それは分からない。
ただ、問題なのは、星凪がどうやら、自分が成長しているのだということを[自覚]しているらしい、という点だった。
星凪が丈士の部屋に押しかけて来たその日の夜のこともある。
星凪は、丈士に兄妹以上のものを求め、そして、丈士が引いている、分別と理性という名の強固な防衛線を突き崩そうと試みているようだった。
丈士としては、兄として、健全な1人の人間として、この星凪の積極的な行動に屈するつもりなどなかった。
星凪は、妹。
大切だし、かけがえのない存在ではあるが、それ以外ではない。
ただ、持て余すのだ。
四六時中、入浴中や、トイレの時でさえ丈士の近くにいる星凪のせいで、丈士にはまったくプライバシーを保てる時間がなかった。
それは、精神的にも肉体的にも、丈士にとってなかなか辛いことなのだ。
そして星凪は、意図的に丈士を追い詰めている風にも思える。
追い詰めて、追い詰めて、そして、丈士を暴発させようとしているのではないかと、そんな風に丈士には思えてくるのだ。
(何とかせねば……)
このままでは、どうにかなってしまう。
丈士は真剣に思い悩んでいた。
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タウンコート高原の大家である老婦人、高橋さんが丈士の部屋を訪ねてきたのは、大学に通い始めてから初めて迎える休日、土曜日のことだった。
「お休みの日に、ごめんなさいね、百桐さん」
「いえ、どうせ暇ですし、大丈夫ですよ」
応対のために顔を出すなり、申し訳なさそうな顔で頭を下げた老女にこれ以上気を使わせないためにそう言うと、丈士は「何かあったんですか? 」と、大家の高橋さんにたずねていた。
わざわざ大家さんがたずねてくるのだから、何かあったのだろうと思ったからだ。
「実はね、百桐さん。苦情が来とるんですよ」
「苦情、ですか? えっと、オレに? 」
「いんや、百桐さんじゃないと思うんだけどね。でも、「夜中に騒がしい」とか、「言い争うような声が聞こえる」とか、そういう苦情が、上の階と下の階の両方から来てるんです。多分、202号室の、例の幽霊さんの仕業じゃないかと思うんだけどね。それで、百桐さんのところにも何か起こってないかって、心配になって見に来たんですよ」
(すみません! すみません! それ、ウチです! )
高橋さんの話を聞きながら、丈士は今すぐに90度直角に頭を下げたいという衝動を必死になって抑え込んでいた。
夜中に騒がしい、言い争うような声が聞こえる。
どちらも、丈士には身に覚えがあることだった。
だが、それを認めることはできなかった。
どうやって、説明すればいいのだろう?
この部屋には自分以外にも妹の幽霊が住んでいますなどと話して、信じてもらえるだろうか?
たとえ信じてもらえるとしても、「そういうことなら、申し訳ないけれど」と、部屋を追い出されるようなことになるだろう。
いろいろ家具がついて、毎月1万5千円。
この破格のお値段の物件を、丈士は簡単には手放したくはなかった。
「い、いえ。よく分かんないですけど、今のところ、ウチは何ともないですね」
丈士は精一杯の作り笑いを浮かべて、そう言って大家を騙(だま)すことにした。
「そうなんですか? 本当に、大丈夫なの? 」
「はい。大家さんからいただいたお札が、効いてるんじゃないでしょうか? 」
星凪には通用しなかったが、実際、大家から受け取ったお札には効力があった。
そのお札のおかげでなんともないという話にしておけば、ひとまずこの場はしのげるだろう。
「そう、お札が効いてるの。それなら、良かったわ」
大家の高橋さんは見るからに人のよさそうな老婦人だったが、実際、丈士の言葉を疑っていない様子だった。
丈士の説明にほっとしたようにうなずくと、「それじゃ、お邪魔しましたね。何かあったら、無理せず、すぐに知らせてくださいね。いろいろ対応するのが、大家の仕事ですから」と言って、帰って行った。
その後ろ姿を見送り、扉を閉め、カギを閉めた丈士は、部屋の奥でこちらの様子をうかがっている星凪の方を振り返り、ニコリと笑みを浮かべて手招きをして見せる。
「星凪。こっちにおいで。……少し、話し合おうじゃないか」
「な、なによ、お兄ちゃん」
「いいから。……これから、お前をこのアパートに置いておくには、条件をつけることにする」
星凪は嫌そうな顔をしたが、丈士は断固とした口調でそう言った。
このまま星凪に好き放題させていては、この部屋から追い出されることになるかもしれない。
ここは生活に便利な場所だったし、何より、家賃が格安だ。
他にこれだけ丈士にとって条件の良い物件は見当たらず、この部屋を絶対に追い出されたくはなかった。
星凪は不満顔ではあったが、幸いなことに、これからは少し遠慮することを受け入れてくれた。
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タウンコート高原の大家である高橋さんは、御年67歳になる老婦人だった。
苦情の対応のためにアパートのいくつかの部屋を回り終え、自宅に帰る道を歩きながら、高橋さんは「困った、困ったねぇ」と呟いていた。
老後になっても家賃の安定した収入があるから、と、夫と相談したうえで借金をしてアパートを建てたのだが、そのアパートには、どうやら幽霊が住んでいる。
霊感のない高橋さんにはその幽霊の存在を見ることはできないのだが、どうやらその幽霊は確かに存在しているようだ。
夫に先立たれ、独り身となった高橋さんにとって、アパートはこれからの暮らしを支えてくれる貴重な財産になるはずだった。
しかし、幽霊騒ぎが起きている。
幽霊が住みついてからもう10年以上にもなるが、その間、お札をはったり、祈祷(きとう)をしてもらったりしたが、効果はなし。
「このまま、みんなに出て行かれちゃったら、困るわねぇ……」
高橋さんにはもう成人し、働いている子供たちがいたが、簡単に頼りたくはなかった。
子供は子供で忙しいだろうし、高橋さんとしてはむしろ、アパートを子孫にも残る財産としたいという気持ちが強かった。
しかし、幽霊がいるために、アパートの経営がうまくいかなくなってしまうかもしれない。
「そうだ。……あそこなら」
自宅の玄関先まで帰り着いた時、高橋さんはあることを思いつき、家のカギではなく、携帯電話をハンドバッグの中から取り出した。
いわゆる[ガラケー]と呼ばれる、今はもう絶滅危惧種となった、折り畳み式の使い古されたものだ。
高橋さんはケイタイを開き、ピッ、ピッ、とボタンを押して電話をかける。
「あ、もしもし? 私、高橋と申しますけど」
幸いなことに、通話の相手はすぐに出てくれた。
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