1-7:「やりたい放題:1」
大人しくなった星凪は、丈士にとっては[かわいい妹]そのものだった。
星凪が幽霊になる前、まだ生身の身体を持って生きていたころに戻ったような気がして、懐(なつ)かしくて、嬉しくもあった。
だが、それは、ほんの一時のこと、夢のような時間に過ぎなかった。
星凪は犯行に及ぼうとした夜の次の日はしおらしかったが、その次の日にはもう、いつもの調子に戻ってしまっていた。
たとえば、そう、星凪に予定がなければ大人しく部屋で待っていてくれるというのなら、丈士も彼女の存在を容易に受け入れることができただろう。
だが、四六時中一緒、となると、いろいろと問題になってくる。
本当に、星凪は丈士から片時も離れようとしないのだ。
講義を受けに学校に行く時も星凪は丈士と一緒、買い物に行く時も、ちょっと散歩に行く時も一緒。
もちろん、部屋の中でも一緒で、場合によっては入浴時や、トイレの時でさえ丈士の側を離れようとしなかった。
今、丈士は大学で講義を受けた後の帰り道だったが、やはり星凪は丈士につきまとい、ぴったりとひっついている。
しかも、丈士の片腕に自身の腕をからみつかせ、[お兄ちゃんは、あたしのもの! ]と、周囲に誇示しようとするかのような態度だ。
「うへへ。恋人同士みたいだね? お兄ちゃん」
丈士の肩に自身の顔をよせながら、だらしなく緩んだ笑顔で星凪はそんなことを言う。
星凪は幽霊だから、実体を持った人間とは異なり何の重みもないし、肌が触れる感触すらなく、ただ何となく[ヒンヤリ]するだけだ。
だが、変に動くと自分を振り払おうとしたと勘違いして星凪の機嫌が悪化するため、実質的に大幅に動きを制限されている丈士にとっては迷惑極まりない行為だった。
「なぁ、星凪。せめて、少し離れて歩かないか? 」
「やーだ。お兄ちゃんは、あたしから離れちゃダメなの! 」
星凪はそう言うだけで、丈士の切実な要求もどこ吹く風、といった様子だった。
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星凪がずっとつきまとっていると、正直言って、丈士に気の休まる時間はまるでなかった。
霊感を持っている人々はめったにおらず、丈士と星凪の周囲で何気ない日々を送っている人々が星凪の存在に気づくことはめったになかった。
だが、呪いの力やポルターガイストを引き起こすほどに力を持ってしまった幽霊である星凪の存在は、霊感のない人間にとっても、すぐ近くまで接近すれば何となく分かっってしまう。
それは、突然感じる寒気であったり、震えであったり。
人々はそれを[気のせい]、あるいは[まだ肌寒いこともあるから]と、幽霊が原因であるとは少しも思わない様子だったが、丈士にとっては気が気ではなかった。
高校時代の記憶が、丈士の脳裏によみがえる。
同級生たちは誰もが星凪という幽霊の存在を認識してはいなかったものの、丈士に近寄ると不幸になるとか、何となく肌寒く、薄気味悪くなるとかいって、丈士のことをそれとなく避けるようになっていった。
大学では、そんなことはないようにしたい。
そう丈士は考えていたのだが、星凪が丈士の近くに存在し続ける限り、また高校の時のようになるのではないかと、丈士は不安になってしまう。
加えて、星凪の[ヤンデレ]という問題があった。
「なに、アイツ。今、[あたしの]お兄ちゃんの方をじっと見てた! 」
学生が多く住んでいる高原町には、丈士と同じような年頃の男女が数多く暮らしている。
その中でも女性に、星凪は敏感に反応した。
丈士が通っているのは工学部で、工学部は数ある学業の分野の中でも男女の比率が偏っていて、男性が圧倒的多数派ではあるのだが、女性の姿も数多くある。
そして、星凪にとって、そういった[自分や兄と年齢の近い女性]という存在は、すべて[敵]として目に映るようだった。
星凪は、少し視線が合ったり、場合によってはすれ違ったりするだけでも、敵愾心(てきがいしん)をあらわにし、睨みつけたり、うー、とうなって威嚇(いかく)したり、攻撃的な態度を見せる。
それでも丈士の側から離れようとはしなかったので直接的な害は発生しなかったが、しかし、星凪には人を不幸になるように呪う力があり、知らず知らずのうちに、ただすれ違っただけの人々に呪いがかけられていないか、丈士は不安にさせられる。
「ただいま」
「たっだいまーっ! 」
タウンコート高原201号室へと帰りつくと、丈士は心底疲れ果てたような声を出し、星凪は明るく実に楽しそうな声を出していた。
玄関を潜り抜け、忘れないように施錠をしっかりと行うと、そこでようやく星凪は丈士から離れ、ビュー、と、部屋の奥へと文字通り飛んでいった。
何でも、見たいテレビ番組があるらしい。
(ホント、やりたい放題かよ……)
星凪の後ろ姿を見送りながら、丈士は深々と溜息をついていた。
(せめて、フロは1人で入りたい)
それは今の丈士にとって切実な願いではあったが、それは叶いそうにもないことだった。
星凪は、幽霊だ。
だから、カギをかけようが何をしようが、壁もドアもすり抜けてきてしまう。
実際、丈士はこれまでも何度も、星凪に、入浴中や、トイレ中すらものぞきの被害を受けている。
星凪いわく「別に減るものじゃないでしょ、お兄ちゃん? 」ということらしかったが、丈士の精神は確実にすり減っているのだ。
何とか、星凪から、最低限のプライバシーを守れるようないいものはないのだろうか。
(そうだ! アレがあった! )
そこで丈士は、このアパートに入居する前に大家の高橋さんのところに挨拶(あいさつ)に出向いた時、「202号室の幽霊対策に」と受け取っていたものがあることを思い出していた。
幽霊対策に、ということなのだから、同じ幽霊である星凪にも通用するのに違いない。
(そうと決まれば、今のうちに)
星凪は今、テレビ番組に夢中だ。
そしてそれは、丈士にとっては、行動に移すチャンスだった。
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