1-4:「妹のいる生活:1」

(うかつだった……)


 九死に一生を得ることができた丈士だったが、彼は今、深い後悔の中にあった。


(ヤンデレを、甘く見過ぎていた……! )


 丈士は、ただ、自由が欲しかっただけなのだ。

 星凪は丈士にとってたった1人のかけがいのない妹ではあったが、彼女のおかげで、丈士は高校時代、せっかく仲良くなれそうだったガールフレンドと距離を取らなければならなくなってしまったし、周囲にいた人々とも、微妙な距離感ができてしまっていた。


 だから、新しく始まる大学生活では、そうなりたくない。

 丈士は、ごく普通の、あたりまえの学生生活を謳歌(おうか)したかっただけなのだ。


 そのために、丈士は、星凪を騙(だま)して故郷に置き去りにした。


 今となっては、考えが甘かったと言わざるを得ない。

 丈士は、[ヤンデレ]という存在を、過小評価していたのだ。


(てか、1ぺナルティって、どういうつもりなんだ……? )


 ひとまず丈士にトドメを刺すことはやめたようだったが、星凪がいったい何を考えているのか、丈士には分からない。

 「1ぺナルティ」という言葉が、やけに不安に思え、丈士の心に重くのしかかっていた。


 ヤンデレ妹幽霊、星凪はどうしているかといえば、丈士のベッドを占有し、うつぶせに寝ころんで丈士の枕を抱きかかえながら、やたらと上機嫌そうに足をパタパタさせている。

 あれだけ恐ろしい態度を見せてからまだそれほど時間も経っていないというのに、その痕跡(こんせき)などどこにも残ってはいない。


(ヤンデレ、恐るべし)


 丈士にとっては、その不安定な変わりようも恐ろしく、不安なことだった。


 丈士が今、何をしているのかと言うと、夕飯の準備をしている最中だった。

 もともと丈士は夕飯の準備をするために買い物に出かけたのであって、実家から贈られて来た米を、買ったばかりの炊飯器で炊いている。


 炊飯時間は早炊きでおよそ30分。

 その間に丈士は、冷蔵庫に買い置きの材料で簡単に味噌汁を作り、配膳の準備を終えて、ゴハンが炊き上がるのを待っている。


 普通なら、ベッドに座ったり、座布団に座ったりして待つのだが、今は星凪がいる。

 星凪は丈士に危害を加えるつもりはないようだったが、何となく近くにはいづらく、丈士はキッチンに避難しているのだ。


 できればこの部屋からも遠ざかりたかったが、丈士の本能が、その行為は危険だと告げている。

 今は丈士の枕に顔をうずめながら鼻歌を歌っているほどに上機嫌であっても、丈士がこの部屋から出て行こうとすれば、星凪は一瞬で、つい先ほど丈士を震え上がらせた危険な一面をあらわにするだろう。


 やがて、ゴハンが炊き上がったことを知らせるブザーが鳴った。


 丈士は憂鬱(ゆううつ)そうな顔で炊飯器のフタを開くと、アツアツの水蒸気が溢れ出し、その下に、輝かんばかりの白米たちが顔を見せた。

 [土鍋で炊いたように、ふっくら美味しく炊ける]という炊飯器の売り文句はウソではなかったらしく、早炊きで炊かれた米たちは粒がたっていてふっくらとし、美味しそうだった。


 丈士は炊飯器の中にしゃもじを突っ込むと、自分で食べる分だけをかき回して空気を含ませ、炊飯器と一緒に駅前商店街で買っておいたお茶碗に盛りつける。

 こんもり、山盛り。

 食欲をそそる光景だったが、憂鬱(ゆううつ)な気分の丈士は、その光景を目にしても少しも弾んだような気分にはならなかった。


 それでも、何も食べないわけにはいかない。

 丈士はお茶碗に盛りつけたゴハン、お椀(わん)にそそいだ味噌汁、そして駅前商店街で買った3つのおかず、辛子明太子、納豆、梅干しを丸い盆に乗せると、箸を一膳、割り箸を一膳用意して、星凪が占拠している部屋へと向かった。

 キッチンスペースには机もイスもなく、落ち着いて食事ができる場所は自室しかないからだった。


「ほら、できたぞ」

「わーっ、美味しそう! 」


 食事の乗った盆を持った丈士が部屋に入って声をかけると、起き上がった星凪は歓声をあげた。


「さっすが、お父さんが作ったお米だね! やっぱり、見た目からして違うよ、うん」

「まぁ、そうかもな」


 星凪は楽しそうにそう言ったが、丈士ははっきりとした返事を返すことができなかった。

 農家である百桐家に生まれた丈士は、生まれてから今まで、実家で作られた米以外を食べた記憶が無いのだ。

 だから、実家の家族が作った米の味を寸評することなどできない。

 ただ、実家の米を(不味い)と思ったことは一度もなかった。


 丈士は部屋に備えつけで置いてあった一人用の折りたたみできるテーブルに食事ののった盆を置くと、それをそのまま動かし、星凪の目の前へと移動させる。

 そして丈士は、テーブルと同じく折りたたむことのできるイスを星凪の対面に置き、テーブルを挟んでそこに腰かけた。


「いただきます」

「いただきまーす」


 そして2人はそう言って合掌(がっしょう)すると、数日ぶりに兄妹そろっての夕食を食べ始めた。


 もっとも、星凪は幽霊だから、実質的に食事をするのは丈士だけだ。


「……。味見する、か? 」

「うん。する、するーっ! 」


 味噌汁、ゴハンの順に一口ずつ食べ、味に問題がないことを確認した丈士がたずねると、丈士の様子を嬉しそうに見つめていた星凪は、うんうんとうなずいてみせる。


 幽霊である星凪は、食事を必要としない。

 しかし、幽霊となった星凪と一緒に暮らすうちに判明したことなのだが、星凪のような幽霊でも、[お供え物]として提供された食事については味わうことができるらしい。


 幽霊にとって、言い方は変だが、生きていくための食事は必要ではないので、量はわずかでいい

 ただ、ほんの少し味見ができれば、それで満足できるのだ。


 丈士は事前に用意しておいた割り箸を割ると、星凪の前に置き、星凪に目配せをして、どれでも好きなものを食べるようにうながした。


 だが、星凪は首を左右に振り、少し上目遣いになって丈士の方を見る。


「やだ。あーん、して? お兄ちゃん」

「ええ……? 」


 丈士は、めんどくささと、恥ずかしさが入り混じったような顔をする。


「それくらい、自分でやってくれよ。ポルターガイストの応用で、箸でものをとって食べるくらい、できるはずじゃないか」


 すると、星凪は双眸(そうぼう)を半開きにし、丈士に向かって不気味な笑顔を浮かべながらささやいた。


「1ペナルティ」

「ぅぐっ!? 」


 その言葉に、丈士は恐怖の表情を浮かべる。


 1ペナルティ。

 それが何を意味するのかは分からなかったが、だが、分からない故に、恐ろしいのだ。


(くっそ、コイツ、これでわがままを押し通すつもりだな? )


 丈士は内心でそう悟っていたが、しかし、ヤンデレの闇の部分を見たくないので、大人しく星凪に言われた通りにすることにした。


 丈士は星凪が食べたいと言ったおかずをゴハンの上に乗せると、それを箸で持ち上げ、「あーん」と言いながら星凪の口へ運んでやった。


「あーん」


 すると、星凪はまるで幼い子供がするような無邪気さで口を開けた。


(こういうところは、昔と一緒で、かわいいんだけどな……)


 そんな星凪の様子と、先ほど見せた恐ろしい様子とを内心で比較しながら、丈士は複雑な気分だった。

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