1-2:「逃げられるとでも思ったの? お兄ちゃん」

 だが、丈士の決死の逃走劇は、始まる前に終わることとなった。


(かっ、身体がッ、動かない!? )


 丈士の全身は突然、目に見えない何かに強烈な力で押さえつけられていた。

金縛(かなしば)りだった。


 当然、丈士に金縛(かなしば)りをかけているのは、星凪だった。

 星凪は、自身の霊的な力で身動きを封じた丈士の身体をあやつり、再び自分の方へと向きなおらせると、影のある顔で丈士に微笑みかける。


「逃げられると思ったの? お兄ちゃん」


 そして、星凪は、光のない、底の見えない暗い瞳で丈士のことを見つめながら、丈士のことを手招きする。


(いっ、嫌だッ!! )


 丈士は内心でそう思いつつも、それを叫ぶことすらできず、星凪の力によって引き寄せられ、そして、必死の抵抗空しく、201号室の中へと連れ去られてしまった。


────────────────────────────────────────


 星凪は丈士を床の上に突き飛ばすように解放すると、丈士は尻もちをつきながら床の上に横たわり、痛みに顔をしかめていた。


 そして、痛みにうめき声をあげる丈士の目の前で、星凪はガチャリ、と、部屋の扉のカギを閉める。


「ひっ!? 」


 ようやく金縛(かなしば)りから解放されたものの、部屋の中へと連れ込まれ、しかも星凪と2人きりの密室が作られたことを理解した丈士は、暗い瞳で、冷たい笑顔を浮かべたまま自分を見おろしている星凪の姿を見上げて、そう悲鳴をあげていた。


「会いたかったよ? お兄ちゃん」


 そんな丈士に、星凪はゆっくりと迫り、そして、星凪が近づくのに合わせ、丈士は床の上を這(は)いずるように後ろへと下がっていく。

 だが、すぐに丈士の背中は壁に到達し、丈士はそれ以上逃げることができなくなってしまった。


 丈士の呼吸が、自然と荒くなり、その全身に冷や汗が吹き出すようににじみ出てくる。

 丈士の頭はフル回転で思考を続けたが、しかし、それは、何の意味もなさない思考のくり返しでしかなく、ただ、焦燥感だけが強くなっていくばかりだった。


「どうしてそんなに怯(おび)えているの? お兄ちゃん」


 恐怖と焦りから肩で呼吸をしている丈士に、星凪は暗い視線を向ける。


「あたしだよ? 星凪だよ? ……お兄ちゃんの、妹だよ? 」


 星凪は丈士の目の前までやってくると、視線を合わせるためにしゃがみこみ、そっと、丈士の方へその手を差し伸べた。

 幽霊である星凪には実体がないから、その手が丈士に直接触れることはない。

 だが、肌を突き抜け、直接冷たい感触が星凪の手が触れたあたりに広がり、丈士は思わず両目を閉じていた。


「どうして、あたしを避けるの? お兄ちゃん」


 丈士に、星凪は静かに語りかける。

 そのゆっくりとしたテンポ、穏やかな口調とは裏腹に、その言葉には、彼女の内心で渦巻く負の感情が色濃くにじみ出ている。


「どうして、あたしを置いていったの? お兄ちゃん」


 星凪は丈士のすぐ目の前まで自身の顔を近づけると、ささやくように命じる。


「ねぇ、お兄ちゃん? あたしの目を見てよ? 」


(やっ、やられるっ! )


 その瞬間、丈士はそう思い、あまりの恐怖に一瞬、息が止まったほどだった。


 星凪は、怒っている。

 とてつもなく、怒っている。

 ある程度予想はしていたことだったが、まさか、星凪がここまで丈士のことを追いかけてくるとは、予想もしていなかった。


 自分は、ここで終わりだ。

 丈士はそう思い、絶望しかけたが、しかし、まだすべての希望が失われたわけではないと気がついた。


 何故なら、星凪は丈士にすぐに手を出してきていないからだ。


 もし、星凪が最初から丈士にトドメを刺すつもりでいたのなら、丈士は星凪と出会った瞬間に終わっていただろう。

 だが、星凪は丈士のことをまだ生かしている。

 呪いも、ポルターガイストも使うほどに力を身に着けた霊的な存在であるにも関わらず、丈士に止めを刺していないのだ。


(何とか、言いくるめるしかない! )


 丈士は、そこに唯一の活路を見出していた。


「ま、ま、まぁ、落ち着けよ! はっ、話し合おうじゃないか! 」


 丈士が目を開き、すぐ近くにある星凪の、闇に深く沈んだ双眸(そうぼう)を見つめ返しながら震える声でそう言うと、星凪はまず右に、それから左に、首を傾げて見せる。


「話して? お兄ちゃん」


 それから星凪は、丈士に言葉の続きをうながした。

 どうやら、星凪はやはり、丈士の話を聞くつもりがあるようだった。


 丈士は、ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。


 これからの自分の発言次第で、丈士の運命が決まってしまうのだ。

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