0-3:「宅配便」
大学へ通うための準備に忙しい毎日が続き、丈士はとうとう、入学式の日を迎えた。
入学式は、高原町にある、建築学部を含む工学部キャンパスの近くに建てられた公営のシティホールで行われ、丈士は生まれて初めてスーツに身を包み、毎日鏡を見ながらつけ方を練習してきたネクタイを身に着け、その、人生で一度きりになるはずの場面に臨んだ。
入学式のあとは、同じ建築学部に通う生徒たちで一か所に集められ、そこで、学校についてや、今後の学生生活についての説明を受け、そして、建築学部に所属する教授たちとの顔合わせも行われた。
丈士が通っていた高校から、同じ大学へと進学した者は何人かいたが、丈士と同じ建築学部、もっと広く言うと工学部に進学した者は誰もいなかった。
だから、丈士には知り合いと呼べる人は身近におらず、少し心細くも感じたが、幸いなことに数人の同期生と会話する機会があり、知り合いと呼べる相手は作ることができた。
工学部キャンパスは、すでに大学見学などで知ってはいたが、広い敷地と、様々な設備を持っていた。
各学部が入っている学部棟がいくつも立ち並び、共通で講義などに使われる講義棟や、食堂や購買などの施設が入っている建物、専門書などが数多くそろっている図書館、外部から人々を招いて講演会や発表会などを行うための建物など、高校とは比べ物にならない充実ぶりだった。
サークル活動、レクリエーションのために、体育館や、グラウンドまで用意されている。
何より高校と異なっていたのは、キャンパス内の雰囲気に、公園のような部分があるところだった。
工学部キャンパスがある高原町が都市の中心部ではなく、その郊外の、開発が進む以前は田園地帯であった場所に建てられたからか用地に余裕があり、施設と施設の間に間隔が広くとられている。
それだけではなく、木々も豊富で、ただ芝生で覆われているだけの広場などもある。
特に印象的なのが、某有名大学にあやかって作られたという銀杏(いちょう)並木で、空に向かって真っすぐに立った銀杏の木がずらりと並んでいる。
紅葉の季節を迎えれば、さぞ鮮やかに色づくに違いなかった。
広々としていて、植物も豊富。
公園などに求められる特徴と一致しており、実際、キャンパスの敷地は建物内を除いて一般にも開放されていて、普段から周辺の住民たちが公園の代わりに利用しているようだった。
丈士はこの場所で、これから4年間、建築士になるための勉強をすることになる。
不安はあったが、楽しみの方がずっと大きかった。
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「ただいま」
丈士は、自分以外に誰もいないことなど分かりきってはいたが、タウンコート高原の201号室に帰るなり、上機嫌でそう呟いていた。
入学式を終え、これからの学生生活にも展望が持てた。
これからどうなるかはまだ分からなかったが、丈士の胸の内は、希望でいっぱいだった。
説明会で受け取った荷物などを適当な場所に置き、窮屈なネクタイをほどき、スーツを脱いでクローゼットの中にしまい、普段着に着替えた丈士は、改めて自身のスーツを眺めると、何が楽しいのか笑顔になった。
「クリーニング屋も、探さないといけないよな」
今は、そんな日常的なことさえ、嬉しく感じてしまうのだ。
それに、今の丈士は、[自由]だった。
家で暮らしていれば、家族などとの関係があったり、なんだかんだ気を使ったりすることも多かったのだが、今の丈士は一人きりでここにいる。
誰の目を気にするでもなく、自分だけの都合で、何をするかを決めることができるのだ。
引っ越してきてから今日までの数日で、今後の生活に必要な身の回りのものはおおよそ整えることができていたが、まだまだ足りないものもある。
とりあえず、今日はまだ日も高いことだし、また買い出しにでも行こうかと丈士は考えていた。
このタウンコート高原は、幽霊が住みついているということ以外は、本当にちょうどいい物件だった。
最寄りの駅である私鉄高原駅と、丈士が通う学校の工学部キャンパスのちょうど中間地点にあり、どちらへも徒歩圏内。
しかも、高原駅の駅前には買い物をするのにちょうどいい商店街があり、必要なものは大抵、そこで間に合う。
地元の人々にとっては何気ないものばかりなのだろうが、丈士にとっては何もかもが目新しく、うきうきとした気分にさせられる。
買い足さなければならないものを頭の中で拾い出し、ついでに割の良いバイトでも見つけられないかな、などと思いつつ外出の準備をしていると、丈士の部屋の呼び鈴が鳴らされた。
丈士には、自分の部屋を訪ねてくる誰かに、心当たりなど無かった。
丈士をわざわざ訪ねてくるような親しい友人はまだいなかったし、大家や隣近所へのあいさつ回りはすでに済ませてある。
怪訝(けげん)に思いつつ、ドアののぞき穴から外を確かめると、何のことはない、宅配業者の人がそこに立っていた。
(実家から、何か送って来たのかな? )
丈士はそんな風に思いながら、特に深く考えることもなく扉を開く。
「こんにちは」
「あ、どうも、宅配便です。百桐 丈士さんのお宅でよろしいでしょうか? 」
丈士が顔を出して挨拶(あいさつ)をすると、宅配員はビジネススマイルを浮かべてそう言った。
それから宅配員は丈士に荷物が届いていると伝え、少し重そうなダンボール箱を丈士へと手渡した。
「少し重いですよ。気をつけて」
宅配員のその言葉通り、ダンボール箱はずっしりと重かった。
その荷物を受け取りながら、表面に張られたラベルを確かめると、送り主は丈士の実家、母親であるようだった。
そして、中身が何かと言えば、[米]と書いてある。
どうやら、農家である丈士の実家で生産した米を、当面の食料として丈士に送ってくれたようだった。
丈士は宅配員に礼を言って部屋の中に引っ込むと、早速、米の入った箱をキッチンの近くへと持っていき、よっこいしょと床の上に置いた。
実家から送り届けられたこの支援物資は正直、嬉しかった。
商店街まで徒歩で行けるとは言っても、何キロもある米をここまで担いで運んでくるのは大変だ。
炊飯器はまだ部屋には用意されていなかったが、今日の買い物で買うつもりだったので、タイミング的にもちょうどよかった。
(今夜は、炊きたてのメシが食えるぞ! )
丈士は内心でそんなことを思いつつ、ウキウキとした足取りで部屋を後にした。
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