0-2:「妹はヤンデレ幽霊」

 丈士の妹、星凪は、幽霊になる前は、元気が良くてよく笑う、明るい性格の女の子だった。


 2人は、仲の良い兄妹。

 それ以上でも、それ以下でもなかった。

 この世界に唯一のかけがえのない兄妹といえども、星凪は丈士に執着してはいなかったし、丈士も星凪のことを大切に思いつつも、兄妹として、一緒にいて楽しい存在だと思っていた。

 そんな、普通の兄妹に過ぎなかった。


 星凪が幽霊になってからしばらくの間、兄妹のこの関係に変化はなかった。

 だが、星凪の姿が、その存在が、丈士以外には見ることも感じることもできないという状況の中で、星凪は少しずつ変化していった。


 星凪にとって、丈士だけが、自分の存在を認知してくれる存在だった。

 自分は幽霊になってしまったのだから、両親や、友人たちに見えないというのは、しかたのないことだ。

 星凪はそのことを頭では理解していたが、どうしても、寂しく、孤独に思ってしまったのだろう。


 いつしか、星凪はこの世界で自分の存在を認知してくれる唯一の存在である丈士に、執着するようになっていった。


 ただ、星凪が丈士につきまとい、決して離れようとせず、常に周囲を霊体となった星凪がふよふよと飛び回っているだけならば、まだ良かった。

 星凪は、丈士に近づこうとするもの、特に、自分と近い年頃の女性に敵愾心(てきがいしん)をむき出しにし、様々な[実力行使]を行うようになってしまったのだ。


 たとえば、にわか雨に降られて雨宿りしていたところに偶然一緒になったことをきっかけに、よく会話を交わすようになった、読書好きで図書委員の、同級生の女の子。

 地味で目立たないながらも、笑うとドキッとさせられるような少女で、丈士は彼女とおしゃべりをすることが楽しかった。


 だが、星凪は、その2人の様子を大人しく見ていてはくれなかった。

 まずは[警告]と称してその図書委員の女の子に様々な霊障、急に気温が下がって寒気がするとか、誰もいないはずなのに足音が聞こえるとか、そういう[嫌がらせ]を行った。


 そんな[いたずら]程度のことならまだ良かったのだが、図書委員の女の子が丈士自身に、自分の身の回りで起こる霊障について相談してしまったことで、星凪の行動はエスカレートした。


 星凪は、図書委員の女の子に呪いをかけ、彼女には様々な不幸が襲いかかった。


 女の子が図書室で本の整理をしている最中に、地震も何も無いのに急に本棚から大量の本が崩れ落ちてきたり、帰り道で道端にできた水たまりを車がはねて頭から水を被ることになったり、読んでいた本に挟んでいたしおりが抜けてしまって、どこまで読んだのか分からなくなったり。


 丈士は星凪の暴挙を止めようとしたが、焼け石に水で、このままではもっと大きな不幸が起こると悟った丈士は、図書委員の女の子を守るためにできるだけよそよそしい態度で接するしかなかった。

 そんな丈士の態度に、いつしかその図書委員の女の子もよそよそしくなり、2人はほとんど話さなくなっていった。


 他にも、ある。

 丈士がバイト先で出会った、1つ年上の先輩女子と仲良くなった時のことだ。


 少しがさつなところはあったが、先輩女子は気さくで竹を割ったような性格で、話しているだけで励まされるような気分になってくる人だった。

 丈士はバイト先で話すうちに、学校でも会えば話すようになり、その先輩女子とのおしゃべりを楽しむようになっていった。


 だが、星凪はまたしても暴挙に出た。

 幽霊になってからいつの間にか獲得していた力を使用し、先輩女子の身の回りでポルターガイストを起こしたのだ。


 バイト先で、先輩女子が皿洗いをしている最中に、積み上げていた皿が突然崩れて割れてしまったり、何もない場所でつまずき、運んでいた料理をひっくり返してしまったり、突然レジスターが故障してしまったり。

 先輩女子は今までそんな失敗などしたことはなかったのに、店長からも、客からも怒られ、平謝りに謝ることになった。


 丈士は、その失敗の原因が星凪にあると知っていたが、幽霊の、しかも自分にとり憑(つ)いている幽霊の仕業だと説明するわけにもいかず、また、霊体である星凪の行動を止める術も持ち合わせていないために、結局、図書委員の女の子の時と同じように、先輩女子との距離を取るようにするしかなかった。


 この2つの事例は、代表的なものに過ぎない。

 些細(ささい)なことで星凪はその怒りをあらわにし、丈士に近づく者を、特に、自分と同じような年頃の女子に対して、呪いやポルターガイストを用い、丈士の周りから排除していった。


 いつしか、丈士についての噂が、ひそやかに広まっていた。


 丈士に関わったものは、みんな、不幸になる。


 誰が言い始めたのかは分からないし、その噂を信じる人は決して多くはなかったが、誰もが、何となく丈士の周囲からは離れていった。

 古くからの友人たちは相変わらず丈士と交友関係を保ってはくれたものの、丈士はいつしか、その友人たちとも微妙な距離感を覚えるようになっていた。


 星凪が、幽霊となって帰ってきてくれた。

 そのことを嬉しく思い、喜んだ丈士の気持ちは本物だったし、星凪のことを大切に思う気持ちは今でも変わらない。


 だが、星凪は、少しずつ[こじらせて]いった。

 星凪のおかげで丈士の高校生活は良い思い出だけのものではなくなった。


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 ヤンデレ妹幽霊から、自由になりたい。


 そう願うようになった丈士は、高校の卒業と、大学への進学をきっかけとして、星凪から離れる作戦を練った。


 故郷から離れた大学を目指したのも、建築士になるという丈士自身の夢ももちろんあったが、星凪が自力で追いかけてくることのできないようにするためでもあった。

 丈士の学力では少し難しい学校ではあったが、丈士は自身の夢と、胸に秘めた願望のために猛勉強し、合格を勝ち取った。


 そして、これから始まる、大学生活。

 そこでの生活を満喫(まんきつ)するために、丈士は自身で考え抜いた作戦を実行に移した。


 それは、単純なものだった。

 丈士についてくる気でいた星凪に、間違った出発時間を伝え、彼女が眠っている間に丈士は、こっそりと、自分だけで故郷を離れたのだ。


 出発の前日、星凪は今まで自分が行ったこともない場所に行くのだと幼い子供のようにはしゃぎ、夜遅くまで起きていた。

そして、丈士が伝えた出発時間を疑いもせずに信じ、ぐっすりと眠りについた。


 星凪が油断して眠りについていることを確認した丈士は、まだ夜も明けないうちに家を出発した。

 家族には適当な言い訳を書いた置き手紙だけを残し、始発のバスに乗って駅へと向かい、星凪に伝えていた時間よりもずっと早く、電車に飛び乗った。

 そうして丈士は、星凪に伝えていた出発の時間には、すでに電車を乗り継ぎ、新幹線の車内にいた。


 後は、最大速度が時速300キロメートルにも達する夢の超特急が、丈士の作戦を完成させた。

 いくら幽霊といえども、鋼鉄のレールの上を、風を切り裂きながら疾走する新幹線に追いつくことなどできはしない。

 そして、数百キロメートルも離れてしまえば、星凪も丈士のことを追いかけては来られないはずだった。


 こうして、丈士は、この数年間、ずっと自分につきまとっていたヤンデレ妹幽霊から解き放たれ、ただひとり、自身の新しい[城]へとたどり着いた。


 エレベーターなどないから2階までスーツケースを持ってのぼる必要はあったが、丈士には少しも苦にはならなかった。

 ここで、丈士の自由な、新しい生活が始まるのだと思うと、自然と足取りも軽やかになる。


 ここに来るまでの間に大家の家を訪ね、部屋の鍵を受け取っていた丈士は、タウンコート高原201号室の扉の鍵を開けると、最初の一歩を踏み入れた。


 玄関の壁際のスイッチを押すと、部屋の中に明かりが灯(とも)り、丈士の新居の姿があらわになる。


 備えつけの家具があるだけの、まだガランとした部屋。

 そこには、丈士の新しい生活が、自由な日々があるはずだった。


 丈士はスーツケースを持って部屋の奥へと進むと、スーツケースを適当なところに置き、備えつけてあったベッドのマットの上に仰向けに大の字になって寝ころんだ。


 寝ころんだ丈士は、手足を動かし、ベッドの感触を確かめる。

 まだシーツも布団も用意されていないが、丈士には、極上の寝心地に思えた。


 そして、天井を見上げながら、丈士は自身のこれからに思いをはせた。


 大学の入学式にはまだ時間はあるが、それまでの間に、ここで暮らしていくための準備を整えなければならない。

 いろいろ家具が用意されている部屋ではあるが、それでも、必要な日用品などはこれから用意しなければならなかったし、学費や自身の生活費を補うために、バイトなども探さなければならない。


 忙しい毎日になるはずだったが、丈士は、それが楽しみでならなかった。


 これから、自分の新しい毎日が、ヤンデレ妹幽霊の星凪から解放された自由な日々が始まるのだ。


 丈士に騙(だま)され、置き去りにされた星凪はきっと怒り心頭だろうが、今はとにかく、丈士は、自身が勝ち取った自由を楽しむことにした。


 それが、ほんの数日で終わりを迎えることも知らないままに。

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