小鳥遊さんには妹がいる。二
そんなこんなで、勢いに流されるまま、
私は自転車通学ではないので、この場所を利用したことはなかったのだけれど、なんというか錆びれていて、寂れてもいるなぁという印象だった。
できれば、近づきたくはない──そんな第一印象を抱いたが、その印象は間違ってはいなかったようで、小鳥遊アゲハが、教室から態度を変えることなく言う。
「ここ、お昼時は誰も来ないんだよ。教室からもだいぶ離れてるしね、一人になるには少し手間がかかるから、的な理由なんだろうけど」
知ってた? ──と、小鳥遊アゲハは高圧的な態度で付け加える。
「知らないけれど、知る理由もないしね」
時間も少し経ち動揺が収まってきている私は、なんとか言葉を紡ぎ出す。
その言葉に、小鳥遊アゲハは態度を変える素振りも見せず返答を返す。
「そ、まぁだよね。あなたはきっと何にも興味がなくて、何にも関心がない。そういう人間だよね」
そう言った小鳥遊アゲハは、一瞬の間を開けてから──なのに、と、続ける。
「なのに! なんで、お姉ちゃんには興味を示したの? なんで、お姉ちゃんだったの? なんで、お姉ちゃんじゃなきゃダメだったの?」
そう言う態度や、声音には先ほどから何も変化がないように思えたけれど、表情を見ればそれが嘘だってことが嫌というほど伝わってくる。
私は黙っていることしか出来なかった。
その表情で、私がこの子から盗んでしまったモノや、この子がどうしてあんな態度だったのかはわかってはいるけれど、それは今私が、どうしてこんな状況に置かれているか、その理由が分かっただけで、今私がすべきことはわかっていない。
だから私は、黙っていることしかできない。
きっと、小鳥遊さんを呼んでしまえば一旦の幕引きはできるのだろう、けれど、私はケータイに手を伸ばすことはしなかった。
できなかった──の方が正しいかもしれない。
だって、目前の彼女の表情はとても、とてつもなく、辛そうで、泣きそうで、羨ましそうで、恨みたっぷりな表情だったのだから。
私は、話を聞くことにした。
私は、何にも興味もないし、関心もない、何もしなくていいのなら、何もせずに過ごしていたい。
けれど、そんな私でも、小鳥遊さんに関することは聞かなければならない。
私を好きだと言ってくれた、その人の妹から──。
お姉ちゃんは、わたしにとって初めから恋愛対象としてしか見ることができない存在だった。
物心がついた時にはもう──という感じで、所謂一目惚れ、いや一目惚れ以上の何かだと思う。
そんな家族とはまた違った意味合いを持つお姉ちゃんは、凄く鈍感だった。
それもわたしのことに限って言えばという条件が付随してしまう。あなたも良く知ってると思うけど、お姉ちゃんは、人の感情の起伏や揺れ動きにすごく敏感で、なんでも見透かしたかのように言いのけてしまう。
けど、何故だかその読解力は、私には働かないみたいで、わたしがどれだけ、アプローチをかけたところで何事もなかったかのように、姉妹であるかのように振る舞ってくる。
もちろんそれが、お姉ちゃんにとっての普通で、わたしにとっても普通でなくちゃいけないのはわかってるけど。
ただ、わたしはそれでもよかった。
もしも、このままお姉ちゃんが誰のものにもならずに、わたしの側にいてくれるならそれだけで、よかった。
わたしは、元からお姉ちゃんのものみたいなもんで、過ごしてきたから、自分の気持ちに気づいてもらえなくたって、十分幸せだった。
それに、お姉ちゃんが誰のものにもならないだろうなぁ、という確証はずっとあったんだ。
何故ならお姉ちゃんは、その並外れた読解力のせいで人から距離を置いていたのだから。
お姉ちゃんは、ある日気づいたらしい、人間には表と裏があって、その表と裏は決して表裏一体なんかではなく、別々に存在しているモノだと。
その二つの存在を人は、まるで一緒の同一の存在であるかのように受け止めている、と。
確かに、そこに存在している全く別のモノを──。
ただ、それは普通のことで、当たり前のことだ。
何故なら人は、表と裏の違いに気づくことなんてないのだから。
だからこそ、表裏一体なんて言葉が生まれ、表と裏両方を合わせてその人だよね、なんていうくだらない台詞が生まれる。
けど、それは裏が見えない人だけが言える言葉。
お姉ちゃんみたいな、人間の裏、汚い部分、その人の隠しておきたい部分、その人を構成している部分、その全てが見えてしまうような人にとってはどうしようもない言葉にしかならない。
だからなのか、お姉ちゃんは、人の表面上だけを見れる位置取りを常に意識していたように思う。
近すぎず、遠すぎない。
そんな人として、一番つまらない状況を自らの手で作り出していた。
人の裏面を見てしまった時の苦痛は、多分わたしには計り知れないモノで、一生かけてもわからないモノなのだと思う。
けど、その状況がどれだけ辛いことで、どれだけ不幸せなことのかはわたしでもわかる。
そんな、そんなお姉ちゃんだからこそわたしは好きになったし、幸せにしてあげたいと思った。
お姉ちゃんにとって、心が休まる場所はきっと、自分の家のみで、心を預けられるのはきっと、家族だけなのだと。
そう──思っていた。
なのに、どうして、突然出てきたあなたみたいな人が──────。
そう言った小鳥遊アゲハの目は、今すぐにでも私を刺し殺しそうなほどに尖っていて、鋭利なものになっていた。
数分前までの私なら、この子どうしてここまで感情を表に出しているのか、理解をしようとさえしなかったと思う。
ただ、今なら少しだけれどわかるような気がする。
おそらく、小鳥遊アゲハという人間にとって、
そんな存在が生まれた時から、側にあり、片時も離れていなかった。
それなのに、ある日突然、私という登場人物が小鳥遊アゲハの物語上に登場した。
そして瞬きをしている瞬間に、今まで側にいたお姉ちゃんが遠くに行ってしまった。
それはとてもよくある、姉妹愛。
側にいた人が遠くに行ってしまう。
その感覚は、言葉には表せないほどに感情を揺さぶり、そして感情を絞め殺す。
私はその感情を最近になって理解した。
あの小鳥遊さんに翼が生えているのかのように思えた、あの時。私はその感情を知った。
「お姉ちゃんを返してよ!」
この数分間で幾度となく聞いた言葉が、誰もいない駐輪場に鳴り響く。
その声音は、無数に並べてある自転車たちを倒してしまいそうになる程、気持ちが込められている。
「私の知らない小鳥遊さんがいることも理解したし、あなたにとって小鳥遊さんがどういう存在なのかも理解した。もちろんまだまだわからないことだらけだけれど」
「あなたなんかに理解できるほどわたしの、気持ちは浅くない」
「そうなのかもしれない。私には想像もできないような気持ちの海があなたの心の中には眠っているのかもしれない。私は小鳥遊さんじゃないから裏を見ることなんかできないし、もちろん深海を覗き見ることもできない。せいぜい波打ち際から海の綺麗さを見ることぐらいだ」
「それなら──それなら、諦めてよ、お姉ちゃんと海を潜ってあげられないなら、今すぐにでも諦めてよ!」
確かに私は、広い海を見ることはできても、深く深く潜ることはできない。
けれど私は、虫だ。はなから海に潜ろうとなんてしていない。
私にできるのはただ──。
「光を追いかけることはできる。どれだけ遅かろうと、どれだけ置いていかれようと、必死に追いかけることはできる。それも裏も表もない、世界中どこでも繋がっている空を飛びながら」
私は蝶よりも美しくなく、鳥よりも飛ぶのが遅い、例えるなら蛾のような存在だけれど、それでも幸せを掴む権利ぐらいはあるだろう。
たとえその幸せが、偶然の産物であろうと──それを手繰り寄せたのは私自身の力なのだから。
そうこうしている内に、お昼の時間が終了しようかという頃合い、まるでタイミングを見計らったのように、聴き慣れた声が届いてきた。
「さーくら」
私は私を呼ぶ声の方へと目をやる。
するとそこには当然小鳥遊さんの姿があったが、もう一人私の知らない女子生徒の姿があった。
ただ、それは知らないというだけで、それ以外に私が知るべき情報はないような気がしてしまう。
知らないということを、知ったそれだけ──。
端的に言うなら、私個人が関わる存在ではない。それだけだ。
そういう人が一人ぐらいいてもいいだろう。
これは、私のストーリーで私の人生なのだから。
私は小鳥遊さんのいる場所へと歩を進める。
そして、小さな声で呟く。
小鳥遊さんまではもう少しだけ距離がある。
今私の呟きを聞けるのは、もちろん一人しかいなかった。
「私は、お姉ちゃんを奪ったわけじゃない。小鳥遊小鳥の心を奪ったんだ。だからもしもお姉ちゃんとして愛すのなら、私は何も言わないよ」
その言葉が、毒となるか薬となるか、また、どういった結果を生むのか私にはわからない。
けれど、何か少しでも意味があればいいな、とは思う。
あの時、私がかけた声が、私の全てを変えてしまったように、自惚れで驕った考えかもしれないけれど、それでもそうであればいいな──。
気づけば、私の目前には小鳥遊さんがいた。
「大丈夫? アゲハに何かされたりしなかった?」
「うん、別に、ただ楽しくお話ししてただけだから」
言うと小鳥遊さんは。
「そう」
と、だけ言った。
おそらく私の言葉から、私と小鳥遊アゲハが何をしていたのかは全てわかっているのだろう。もしかしたら隣の女子生徒から聞いているのかもしれない。
ただ、私たちが何をしていたかなんてことはどうでもよくて。
今は、言わなければならないことがある。
「小鳥遊さん」
「ん?」
「終業式の日、あの公園で待ってるね」
本当は約束なんてする必要がない。
いつも通りにあの公園に向かえば、小鳥遊さんとは出会えるのだから。
けれど、なんとなくしてみたかったのだ。
青春ぽいことを。
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