小鳥遊さんは来ない。五
も、もちろん許可も取らず勝手に小鳥遊さんの手を握ったこちらが十割悪いのは、承知の上なのですけれど、それにしても、そ、その手を強く握り返して来るというのはどういった意味合いがそこにはあるのでしょうか。
小鳥遊さんの熱が、手のひらを伝ってこちらにまで伝達される。
その熱で私の体は、お湯が沸騰しそうなほど熱くなっている。
お礼を言われたかと思えば突然、この状況だ。
本当にわけがわからない。
そんな状況で、私は自分の熱を隠すように自分の手を引っ込める。
して、咄嗟に頭を下げる。
「ご、ご、ごめん」
この謝罪は、もしも私のしていたどれかの行動が、小鳥遊さんの癇に障ってしまっていたのではという予測からの謝罪だった。
当然だ。だって小鳥遊さんが私なんかの手を握り返すなんて事があるわけが、ない。
宣戦布告。
私の行動にイラッとした小鳥遊さんが、私に宣戦布告をしてきたに決まっている。
……いや、あの小鳥遊さんがそんな小癪なことするのか? もしも何かで私のことを怒ってくれるとしてもそれは、直接私の目を見ながらなのではないか?
そ、そうだ。小鳥遊さんは私みたいに影からチクチクとするような性格じゃない。
なら、どういうことなのだろう。
なんで小鳥遊さんは私なんかの手を握り返してくれたのだろう。
今の私の心情は動揺が巡り動揺になり動揺が回り動揺が生まれ動揺が動揺している。
そんな私に助け舟を出すかのように小鳥遊さんの声が聞こえてくる。
「い、いやこっちこそ、ごめん」
「え? なんで小鳥遊さんが謝るの」
「なんでって、その、さっきのがその、嫌だったのかなって」
嫌……なわけがない。わけがないけれど、さらっと言ってのけることはできない。
というかもしも今、私が嫌じゃないなんて言い切ってしまったらそんなのは、もう告白に等しい言葉になってしまうし、何よりそんなことをしてしまったら私が望む小鳥遊さんとの距離感ではなくなってしまう。
そりゃ玄関で考えはしたよ? もう少し見ていたいとかそんなこと。だけれど、それは見ていたいのであって小鳥遊さんとの距離を縮めたいとかではない。
それに、小鳥遊さんの部屋で二人きりというこの状況が既に奇跡と等しいはずなのに、それ以上の何かを私が望んでいいはずがない。
私が望むべきなのは、小鳥遊さんとの適切な距離感だけだ。
「突然……だったから」
距離を近づけることもなく、離すこともない、そんな適切な当たり障りのないことを言えたはずだ。
少なくとも私の中では結構完璧な一言だったと思う。
ただ、それはやっぱり自分の中だけであったようで、その一言を聞いてから小鳥遊さんは少し気恥ずかしそうに言った。
「突然じゃなかったらいいの?」
? ? ? ?
どういうこと?
私は何を言ってるんだ。
何が、「突然じゃなかったらいいの?」だ。そんなの良い悪いの前に訊いてしまったこと自体がアウトだろう。
本当に今日の私は変だ。
風邪がここまで強いとは思ってもみなかった。
それに加え、今は自室で二人きり、私は完全に可笑しくなってしまっている。
頭では、言ってはいけないこと、やってはいけないことがわかっているのに、体が勝手に求めてしまう。
こんなことをしたら桜に引かれてしまう。
惹かれたばかりに、当の本人に引かれたら意味がないのに。
どうしてやってしまうのか。
今すぐにでも訂正を入れなくちゃ、今のは間違いでした。気にしないでください。その二言を言わなければ──桜がいなくなってしまう。
距離感をミスれば、桜はきっと──。
「いいよ」
と、私が考え巡らせている間に天使のような声が耳に飛び込んできた。
その声は今、なんと言ったのか。
私の聞き間違えでなければ「いいよ」と、言ったのだ。「いいよ」と、それは即ち手を握ってもいいよということなのだろうか。
理解が追いつかない。
い、一応確認を取らねば、もしも私の勘違いだった場合本当に取り返しがつかなくなってしまう。
「い、今なんて」
すると、天使こと桜は頬を赤らめ、呟いた。
「だ、だからもし、小鳥遊さんが手……とか繋ぎたいって言うなら……いいよ。って言ったの」
その言葉の羅列に私は、固められてしまった。
腕も足も動かず、目をキョロキョロさせることもできない。
カチンコチンだった。
そんな私を見てか、桜は慌てた様子で言う。
「ご、ごめん。自意識過剰だったよね。小鳥遊さんが私にそんなことを頼むわけないのに。きっと何かの言い間違えとかだったんだよね? うん、そうだよね……ご、ごめん」
「言い間違えなんかじゃないよ」
気づけば固まっていたはずの私は、隣にいる桜の手を捕まえていた。
桜の手は、私のものよりも少しだけ冷たく、少しだけ小さかった。
私は、そんな桜の手をしっかりと力強く握る。次こそは逃さないように、逃げられないように──。
「桜……」
思わず、名前を呟いてしまう。ただ、近くにいてくれるのが嬉しくて、ただ、私の側にいてくれるのが嬉しくて、ただ、桜の温もりを感じられるのが嬉しくて、私は、気を緩ませてしまっていた。
次に言った言葉は、下手をしたら関係性が崩壊するような言葉だった。
普通の人ならばそんなことはないのだろう。
けど、桜は違う。
決して桜が変なやつだとは口が裂けても言わないけど、なんだか感じるのだ。
この数ヶ月でわかった。
桜は私と似ている。
だからこそ、私は桜と──。
「もっと仲良くなりたい」
先ほどは、行動だけで収まっていたものがとうとう言葉として漏れ出した。
それは、時に毒となり、時に薬ともなる。諸刃の剣。
その言葉の真意は、今はわからない。仲良くなりたいと言うのが、友達としての意味なのか、それ以上の意味なのか──。
けど、言わなければいけないような気がした。
それこそ、鳥が運んできてくれたような幻だったのかもしれないけど。
私はそれ以上は何も言わず、桜の言葉を待つことにした。
手は握ったままではあるが、いつでも外すことはできるようにしてある。
もしもここで、桜が私との関係性を切りたいというのならば、それでも構わない。
本当は嫌だけど、仕方がない。
もし切られてしまったら、意地でも修繕するかもしれないけど、仕方がない。
桜の決めることだ。
私は、ただ言葉を待つことしかできない。
待ち始めてから数分が過ぎただろうか、初めての出来事だった。たった数分がここまで長く感じることが。
だけど、長くは感じたけど、不思議と苦痛ではない。
それは、とても幸福な時間だった。
桜の口が開く。
「小鳥遊さん……私ももっと仲良くなりたいとは思ってる──だけれど、今のこの距離感が心地いいのも本当なんだ。突然距離感とか何言ってんだって感じだと思うけれど」
わかってる。
桜がそれを大事にしてるのはとっても。
桜は──だから、と、続ける。
「だから、待ってて欲しい。夏休みまでには答え出すから、それまでは今までの距離感でいてほしい。私がマイナスになったらプラスに変えてくれる距離感に」
その返事で、私は自分の気持ちに名前をつけることが出来た。
その返事で、私は自分の気持ちを理解することが出来た。
私は桜が──好きなんだ。
あの日、あの朝、あの場所で出会った時からきっと一目惚れをしていたんだ。
私は桜に言う。
「わかった。待ってる。ずっといつまでも、桜が私を不自由にしてくれるのを──」
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