小鳥遊さんは虫を嫌う ニ
その次の日、学校も終わり
その虫を見て、丁度昨日の夜に考えていたことを思い出したので、雑談のネタとして小鳥遊さんに話してみた。
空は、曇りと晴れの中間あたりで、なんとも言えない天気になっている。
そんな空の下、小鳥遊さんも小鳥遊さんでなんとも言えないような、表情を見せた。
「⋯⋯あのさ、
「どうしてって言われても⋯⋯」
そんなの、時間がそうしてしまったとしか言いようがない。
時間によってプラスになっていた私の心は、またもやマイナスの極値にまで戻ってしまったというだけの話。
というか、マイナスの極値だった私の心をプラス一とはいえ、プラスに変えてしまう小鳥遊さんは、もしかしなくとも化物染みているのでは?
「まぁ最悪マイナスに戻るのはいいよ──いくらでもプラスにはできるんだし⋯⋯だけどさ、流石に狭量すぎやしないかい? 心が狭すぎるよ。虫に対して、お前は惨めだなって思うのは」
「ああ、それは違うよ小鳥遊さん」
「違うって何が?」
「私は虫を下に見ているわけじゃなくて、同じ位の生物としてお前は悲しい、なって言ってるんだよ」
「え? 何、桜は自分を虫と同程度の生き物として認識してるの?」
何故だか、小鳥遊さんは酷く落ち込み、大変驚いている様子だったので、私はあっけらかんと言いのける。
「そうだよ? 地球上でピラミッド状にクラス分けするなら私とあの虫は、多分一番下かよくてその一個上とかじゃないかな」
「それ本気で言ってる?」
「もちろん」
そりゃ、鳥の小鳥遊さんからしたら虫は餌の一つとしか見ていない下の下の生物なんだろうけれど。
「じゃあ、桜は私の餌ってわけだ」
「え? は?」
どういうことだろう。話が飛びすぎている──間違えて本のページを数ページ飛ばしてしまったかのように突拍子が無さすぎる。
「だって、桜は虫と同じなんでしょ? じゃあ私の餌じゃん」
「違う違う、私が言いたいのは、私が虫と同じ地位にいるぐらい馬鹿で醜い人間ってことで⋯⋯」
「それは桜が自分のことを虫って言ってるのと同義でしょ?」
「いや違うよ」
「ううん、違くない。だって桜よく言ってるじゃん。その人が元どれぐらいの地位や位にいたとしても、何かしらの理由で位が下がってしまった場合、その人たちと同じ扱いを受ける。人種、種別関係なくって」
「確かに言うけれど」
「じゃあ桜は虫じゃん。ハエ叩きで叩かれたとしても文句の言えない人間ってこと、それでいいんだよね?」
その目は、多少の怒りを含んでいるようにも見えて、私は少しばかり申し訳なく思えてくる。
ただの雑談として話したことが、まわりに回って小鳥遊さんを嫌な気持ちにさせてしまったことに。
しかし、ここで素直に謝れないのが私が自分自身の評価を何十年間にも渡って下げている理由だ。
「それは嫌だけれど」
ここで素直に、ごめんの一言が言えればいいのに、私は何故だか一つクッションを入れたくなってしまう。
そのクッションが柔らかいモノなのかは、その時々によるけれど。
「なら、自分のことを虫と同程度の人間とか言うのやめなよ」
ここでやっと私は、頭を下げることができるようになる。
何故こんな回り道をするのかは正直自分でもよくわからない。単純に天邪鬼なだけなのかもしれない。
そういえば天邪鬼にも天という時が入っている。だからなんだという話ではあるけれど、空に興味もない私よりも、小鳥遊さんこそが天邪鬼であればそこに意味がありそうな気がするのに。
小鳥遊さんは、とても素直だ。
言いたいことは包み隠さず話してくれるし、何か相談事などをした時でさえ、親身になって話を聞いてくれる。
本当に良い人だと思う。
私なんかとは真逆の存在だ。
私はそんな、表側にいる存在に頭を下げる。
「ごめん」
「いや⋯⋯私は別に謝ってほしかったとかではなくて」
と、小鳥遊さんは、指を弄りながら言った。
続けて。申し訳なさそうに。
「そんな考え方だと、辛くなっちゃいそうだなぁって思っただけで⋯⋯なんかこっちこそごめん」
とも、言った。
「いやいや、なんで小鳥遊さんが謝るの? 今回は完全にこっちの落ち度というか、空気を黒くしちゃったのは私だし⋯⋯」
「黒くしたのは桜でも、それをドス黒くしたのは私だから」
「でもでも、やっぱり最初にそこへ泥を放り込んだのは私だし⋯⋯」
「だけど、その泥をこの場所に広めたのは私」
「でもでもでも、その泥をさらに色濃くして放り込んだのも私だし⋯⋯」
なんでここまで小鳥遊さんは、私が悪いということで話を終わらせてくれないのだろう。
それで、この話は終わって、また面白おかしい楽しい話ができるのに、本当に、小鳥遊さんは素直で頑固者だ。
すると小鳥遊さんも小鳥遊で、この話が堂々巡りになってしまっていることに気づいたのか、一度ため息を吐いた。
「⋯⋯⋯⋯これじゃ話が終わらない」
「そうだね」
「だからさ──どちらも悪い。それでこの話は締めにしない? このまま言い合いを続けていても、何も進展がないよ」
「小鳥遊さんが良いって言うなら私は⋯⋯いいよ」
本当は私が十割悪いってことにしたかったけれど、仕方がない半々ということで手を打つ。
「じゃあせーので、謝るよ」
「わかった」
「せーの」
その言葉を皮切りに、私と小鳥遊さんは同時に頭を下げる。
「ごめん」「ごめん」
そして、頭を上げる時、私はこのとても有意義とは言えないような時間だったにも関わらず、何故だか少し関係が進展してしまった感覚に少し嫌悪感のようなモノを覚えた。
この時間が楽しくなかったわけではない。むしろ楽しかった。物凄く楽しかった。
だけれど、確実に関係値が上昇してしまったことに、やはり自分は、停滞を望むべきではない、と、小鳥遊さんから再確認させられたような気がした。
顔を上げた小鳥遊さんの表情は笑顔だった。
その笑顔は一生隣で見ていたいモノではあるけれど、やっぱりどこかで崩れてしまうような気が私にはしてならない。
すると小鳥遊さんは、何かを思い出したかのように、鞄を弄りスマホを取り出した。
「落ち着いたところで、提案というかお願いなんだけど、連絡先交換しない?」
言われ私も、あ、っと雷に打たれた程ではないにせよ少しの衝撃を受けた。
出会って数ヶ月、毎日のように登下校を繰り返し、教室では常に一緒にいるのに連絡先の交換をしていなかった。
そもそも学校が休みの日には、一緒に遊んだりなどもしていなかったので、無理して交換するほどでもなかったのだけれど、不思議だ──なんだか二人とも馬鹿みたいだ。
そんな笑みを浮かべながら、私はポケットからスマホを取り出す。
「いいよ、というかこちらこそよろしくお願いします」
「いやいや、こちらこそ」
またもや二人して頭を下げている光景に、笑みが溢れてしまう。
「それじゃあ」
と、言って私は目前の小鳥遊さんに連絡先を送信する。
機械的な音が送信をしたことを告げ、さらにその後、機械的な音が送信されてきたことを告げた。
画面を見ると、小鳥遊小鳥というフルネームが映り、少し嬉しくなる。
しばらく連絡先を交換なんていうことをしていなかったものだから、人と繋がっているというその感じは、心地よいものだった。
もちろん交換した相手が小鳥遊さんだったからというのは、あると思うけれど。
すると小鳥遊さんもひとしきりの入力を終えたのか、ふぅ、と、安堵のため息を吐く。そして何かが得心言ったのか明るい声色で言うのだった。
「よかった。スッキリしたよ」
私はその言葉の意味がわからず、首を傾げた。
「なんかモヤモヤでもあったの?」
「ああ、うん。モヤモヤというか、何かが足りないなぁってずっと思ってたんだよね。なんか桜との距離が近いんだけど遠いような⋯⋯そんな感じ」
「それが⋯⋯これ?」
言いながら私は、スマホを指さした。
小鳥遊さんはコクっと頷く。
「そう、連絡先。これがあればなんていうか⋯⋯その⋯⋯いつでも繋がってる感が出ると言いますかね」
繋がってる感は確かに、前よりも強くはなるだろうが⋯⋯頬を赤らめて言われるとこっちまでなんだか、恥ずかしいことをしている気分になってしまうからやめてほしい。
私たちは、健全なただの友達なのだから。
「それにさ、もしも今日みたいなことを桜が考えちゃってもさ、すぐに発散出来ちゃえば多少は楽かな、って」
「それはそうかもしれないけれど、いいの? 私がそういうことを考える時間って大抵は遅い時間なんだけれど」
訊くと小鳥遊さんは、胸を手でトン、と、叩き言った。
「もちろん大丈夫。いつ何時どんな状況だろうと私は、桜が考えるマイナスの吐口になるよ。だから⋯⋯さ。もう少し、あとちょっとでいいから、プラス的思考になってみない?」
「それは誰かの言葉?」
「違うよ。私の言葉、私が本心で桜に言いたいこと」
これで何度目だろうか、同じような提案をされるのは。私はその度にコクっと頷いて肯定する。
それは今回も同じで。
「わかった。もうちょっとやってみる」
だけれど、今回は、本当に一歩だけだけれど進めたような気がした。
それは気のせい、空気に飲まれているだけなのかもしれないけれど、まぁいい。
もしもまたダメだったら、今度はこっちから小鳥遊さんに相談してみよう。
本当に⋯⋯なぜだろう停滞を望みたいはずなのに、どうしてこうも私の意思は弱いのだろう。
「ならさ、今日早速連絡してみてよ」
別れ際小鳥遊さんが、そう言った。
私は断ることができなかった。
できるはずがなかった。
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