第12話 名前が無い少女

 見張りの男はカギを取り出し、牢屋の扉を開け、少女を中に入るよう促す。


「ほら、入れ」


 少女を中に入れると、カギをかけ扉を施錠する。扉を手で引いて確認すると、俺に対して事務的に告げる。


「おい、ガキ同士仲良くしろよ」


 そう言ってコツコツと足音を立て、去って行った。


 大人しくしろよ、の次は仲良くしろよ、か。


 俺はちらりと女の子を見る。

 今は荒れて汚れているが、洗えば綺麗になるだろうな、と思わせる銀色の髪。

 髪型はショートというのだろうが、耳が隠れるくらいでまとまっている。

 目は眠そうな、というか悲しそうな印象を受ける。その瞳は綺麗な茶色をしている。

 全体的に小柄で、年は俺よりも若いだろう。


 ええと...この女の子も売られたのかな。こんなに幼いのに?

 それに隣の牢は使わず、俺と一緒にさせたのはなんか理由があるのかな。

 まあベッドは大きいから二人でも使えるし、次の奴隷が来た時に、すぐに入れるようにする為だろうが。


 女の子は牢屋の扉のすぐ傍で、うつむいて立っている。

 とにかく表情には悲愴が出ている。

 俺はぼんやり、俺が守ってやらないといけないな...、とそんな気分になっていた。


 俺の方がお兄ちゃんだからな、というかお父さんぐらいの年齢だが。


 女の子は立ったままぴくりとも動かない。


 売られて、奴隷にされて、突然こんなとこに入れられて、知らない男と一緒に過ごす。

 そりゃあ悲しくて不安で絶望だろうな。

 とりあえず安心させよう。優しくして、敵意が無いことを伝えないとな。

 この娘は出来る限り俺が守る、当面の目標としよう。


 そう心に留めて、努めて優しく語り出す。


「あの、とりあえず座ったら?」


 俺はそう言って、ベッドの端に移動する。

 近くにいたら怖がるだろうから、なるべく距離を開けるように心掛けた。

 しかし女の子は動かない。


「どうぞ、開いてるよ。僕のベッドじゃないから遠慮しなくていいからね」


 自分で言っといて、なんだそれは、と思ったが、とにかく座らせないと落ち着いて話もできない。


 少し待っていると、女の子はおずおずと動いてベッドに腰を下ろした。

 それを見届けて、俺はまた女の子に話しかける。


「こんにちは。僕はナオフリートって言うんだけど、君のお名前は?」


 しかし少女は反応しない。悲しそうに俯いたままだ。


「えと...突然こんなところに入れられて怖いよね、僕も一緒だよ。大丈夫、僕は君に対してひどいことは絶対にしないからね」


 依然、少女に反応が無い。


「寒くない?これ使う?」


 と、粗末な布を取って少女に差し出す。

 少女は変わらず無反応であった。


 どうすんだよこれ...。

 33歳童貞、彼女なんて出来たこと無かったから、どうやれば女の子と会話が広がるかわからん。

 いったい何を言えば反応してくれるんだ?

 何が正解なんだよ。


 何度話しかけても反応が無く、一人で焦っていた俺だったが、突然女の子がこちらを向く。

 そして悲しそうな眼をしたまま、ぽつりと呟いた。


「...あなたは、私が怖くないの?」


 ん?どういう意味だ?


 だが俺はそう考えると同時に、すぐに答えていた。


「ああ、怖くないよ」


 そう言って、にっこりと微笑みを向ける。

 少女はじっと俺を見ている。


 やっとしゃべってくれた。しかしここからどうやって会話にすればいいんだ。

 とりあえず最初は名前を聞かないとな、呼びかけに困るからな。


「えっと、とりあえず名前を教えてくれるとありがたいんだけど、ずっと君って言うのも失礼だし」


 少女は少し困った顔をしている。

 俺はまた自分の名を名乗る。次はうまくいきそうな気がした。


「僕はナオフリート、君のお名前は?」

「名前...」


 少女は困ったような顔をして、考え込む。

 そして、ぽつりと呟く。


「...ルナウルフ」

「ルナウルフ?」


 それって、種族の名前じゃないのか?

 この娘は獣人族なのか?獣人族のルナウルフ族?


 女の子の外見は特に獣人族を思わせるようなものは無い。

 俺は一応確認の為に聞いておいた。


「それって名前なの?種族名じゃなくて?」

「...わからない」


 女の子は困ったように呟く。

 それからしばらくお互い黙り込んだ。


 まいったな。さっそく暗礁に乗り上げた。

 貴重な機会だったんだけどなぁ、結局名前もわからずじまいか。

 ルナウルフは個人の名前というよりは、ハイエルフとかダークエルフって感じで、特定の種族を差すものだと思ったんだが。


 と、突然女の子がまた俺を見て呟いた。


「名前...欲しい」


 一瞬何を言ってるのか理解が出来なかったが、やはりこの娘もルナウルフを自分の名前ではないと思ったのか、自分個人の名前が欲しいようだ。


 しかしそんな大事なもの、俺が決めていいのか?

 いや、自分の名前なんだから、自分が好きに決めて当然だよな。


 俺はまたも、努めて優しく女の子に話しかける。


「うん、名前は大事だからね。自分で好きな名前を決めたらいいよ。決めたら僕もその名前で呼ばせてもらってもいいのかな?」


 しかし女の子は、ふるふると首を振って否定の意を示す。

 そしてはっきりと俺に話しかける。


「違う...ナオフリート様に...名前...決めてほしい」


 マジか...。

 やっぱり俺が決めるのか?そんな大事なことを?

 いや、この娘ははっきりとそう言った。

 ここでさらに否定して、自分で決めさせようとするのは良くない気がする。


 俺はそう決めて、名前を考える。


 しかし、女の子の名前を決めるって、どうやって決めればいいんだ?

 シンプルな方がいいのか?

 何文字がいいんだ?

 6文字とかにして大仰な名前にしたほうがいいのか?


 突然の難問に頭を悩ませる。

 これこそ正解を導き出すのが至難の業に思える。


 いや、待て。落ち着け。

 変に凝った名前を考える必要は無い。


 とりあえず先ほど出た、ルナウルフという単語が頭に出てくる。


 ルナウルフ...ルナ...。

 ルナ...ルーナ...ルーシー...。

 うーん、どうもピンと来ない。

 ルナのウルフ...。ル...ル...。


 と、俺はある名前を思いつく。

 俺は困った顔をしている女の子に話しかける。


「決めた。君の名前は『ルーン』だ。どうかな?」


 女の子は少し目を見開いて、呟くように何度もその名前を口にした。


「ルーン...。ルーン...。」


 何度か言って気に入ったのか、ほんの少しだけ笑顔になり、俺に対して初めての表情を見せてくれた。


「ナオフリート様...ありがとう」

「うん。あと僕は『ナオ』って呼んでくれたらいいからね、ルーン」

「うん、ナオ様...」


 いや、様はいらないんだけど。

 まあいいか。


 ルーンは最初と比べてだいぶ打ち解けてくれたようだった。

 怖くないって答えたのがよかったのだろうか、実際に怖くなかったから、安心させるために吐いた嘘ではなかった。

 名前を決めさせてくれることを見ても、少しは信頼してくれたのかもしれない。

 それからルーンと少しずつ話をしていった。

 ルーンは俺に対して色々聞いてくれる。会話が続くことが嬉しかった。


「ナオ様はどこから来たのですか?」

「バーンズフォレストだよ。レイドーム帝国の北西にある森だったかな」

「森で暮らしていたんですか?」

「うん少し前に僕を育ててくれたじいちゃんが死んじゃってね、まあ寿命だからしょうがないんだけど。そこからしばらくは一人で暮らしてたんだ」

「一人で森で生活...ナオ様凄いです」

「いや、大したことないよ」


 家の傍で飼っている山羊のこと、畑のこと、川のこと、森の動物のこと、植物のこと、大きなイノシシと戦って死にそうになったこと。女の子を助けたお礼に高そうな短剣をもらったこと。

 ルーンは興味津々といった感じで聞いてくれた。

 しかし、とうとうというか、自然にというか、その話が出てしまった。


「...それで昨日、釣り竿を作りに森に行ったんだけど、帰ってきたら家の前に変な奴らがいて、そいつらに捕まってここに...」


 しまった。この流れは悲しい話になってしまう。


 ルーンも察したのか、黙ってしまった。


 まあこれはしょうがないな。

 しかし、ここまででだいぶ会話が弾んだな。

 俺にしてはよくやったよ。自分を褒めてやりたい。


 お互い沈黙になったので、俺は少し考える。

 考えるのは当然ルーンのことだ。


 それにしても、名前が無い...か。

 ルーンの過去は聞いちゃいけないやつなのかもしれないな。

 悲しい過去を思い出させたら可哀そうだな、過去の話題はやめておこう。

 しかしそうなると、ここを抜け出してどこに行こうとか、これからの話をしてもいいのだろうか?


 この牢屋のカギを開けられることを伝えてもいいが、ぬか喜びさせるようなことはしたくないし、ルーンの口や態度からバレるということもある。

 だからカギのことについては、脱出の目途が立つまでは秘密にしておくことにした。

 俺はルーンと会話が続いたことによる安堵からか、考え事をしながら壁に向かって体を斜めに倒し、うたた寝をしていた。



 ...俺は不思議な夢を見ていた。

 一人の少女が目の前にいる。セミロングの黒い髪が綺麗だった。

 ただじっと俺を見て、何も言わない。

 少女は不思議な服を着ていた。日本で神事の際に巫女さんが着るような服に似ている。

 突然、少女はゆっくりと両手を前に差し出す、シャランッと鈴のような音が鳴った。

 だんだんと薄れゆくその光景を見ながら、頭の中にはある言葉が浮かんでいた。


『開花』




 燈色の光が視界に入る。

 木箱の上に置かれたランタンが淡く光を放っている。


「...ん、寝てしまったのか...」


 目を覚ますと、心配そうに顔を覗き込んでいるルーンの姿があった。


「ああ、大丈夫だよルーン。ちょっと疲れてただけ」

「うん...」


 ルーンはまだ心配そうに見ている。

 しかし俺は...頭の中に違和感があった。


『開花』


 はっきりとそのワードを覚えている。

 頭の中で意識してみると、木製の枠のようなものが浮かび上がってきた。

 枠の中には何も無い、真っ黒だった。


 なんだこれ?何かの記憶か?

 妙な夢で、妙な少女が出て来たな。

 あれはなんだったのだろう、ただの夢にしては、やけにはっきりとした意識があったな。


 奇妙な現象に違和感を覚えたが、いくら意識しても何も起こらない。

 害は無さそうなので今は気にしないことにした。


 まあいいか、今は俺のことより、ルーンを安心させないとな。


「ルーン、ちょっと寝たら気分が良くなったよ。心配かけてごめんね」

「よかった...」


 ルーンは、そう言った俺を見て安堵した。

 それから俺は、意を決してここの洞穴の話をした。

 現時点で得られている情報は少なかったが、推測も混ぜて、ルーンに話した。

 ルーンは黙って聞いていた。


 2時間程話をしただろうか、俺はやはり、カギのことをルーンには話さなかった。

 また、所長の奴隷に対する扱いについても、当然ルーンには話さなかった。

 それこそ恐怖を与えることになるし、まだルーンが対象になると決まったわけじゃない。

 だが...無情にもまたあの足音が聞こえてきた。

 4つの牢があった部屋の方角から聞こえる。

 どすっどすっと音が近づいている。その背後にはコツコツと二人分の足音が聞こえる。

 足音は牢屋の前に止まり、所長がにやにやと俺たちを見下ろす。後ろにはヒゲ面にタバコを咥えた見張りと、背が高く眼鏡をかけた看守風の男もいる。

 見張りと看守はそれぞれ槍を携えている。

 ルーンがいるからか、所長はさっきと違ってより気持ち悪い笑みになっている。


「これは可愛いお嬢さんだ。今日は二人もいい娘を仕入れたからなぁ」


 二人?

 ルーンの他にも売られた女の子がいるのか。


 所長はルーンに向け、言葉を続ける。


「今からたっぷりとお前を可愛がってやるからなぁ」


 それを聞いて、俺は反射的にルーンをかばって背に隠す。力いっぱい所長を睨みつけながら。

 ルーンは後ろで顔を青くして怯えている。

 すると、それを見た所長が楽しそうに語りだす。


「これは勇ましい騎士様だ。しっかりと姫を守るんだぞぉ。ぐへへ」


 そう言って所長は、後ろの男二人に合図する。

 すると見張りが開錠し、鉄格子の扉を開ける。

 すぐに看守が槍を持って入って来る。先端を俺に向けて。

 俺は焦りながらも、精一杯ルーンを守る為に立ちはだかる。

 看守が槍を反転させ、俺の胸を突く。

 逃げ場などない。それに逃げたらルーンを守れない。


「ぐっ...」


 俺は胸に走る痛みに顔を顰める。

 ひるんだ俺を見て、看守は素早く接近し、俺の胸倉を掴む。

 そのまま力任せに、俺を壁に叩きつける。


 ドガッ!


「ガッ!...ハッ...!」


 俺は呼吸ができず、ずるずると背中を壁に預けて崩れ落ちる。


「ふん、たいした騎士様だな」


 看守は動かない俺を見て、吐き捨てるように言った。


 ぐっ、呼吸が苦しい...。

 体が、動かない...。


 見開いた目に涙を浮かべて、真っ青な顔でルーンは叫ぶ


「いや...ナオ様!ナオ様!!」


 そんなルーンと俺を見て、所長はにやにやとしながら言う。


「ぐへへ、もう終わりか? じゃあ騎士様はそこでゆっくりと休んでてくれ」


 そして見張りと看守に顎で合図をし、


「俺たちはお姫様と一緒に、ゆっくり楽しませてもらおう。ぐへへへ」


 看守がルーンに近づく。俺は息も絶え絶えで、言葉を出す。


「まて...ルーンに触る...な...」

「わかったわかった、もう寝てろ」


 看守が俺の顔を軽く蹴る。

 俺は起き上がる力も無く、地面に伏した。

 看守はルーンの腕を引っ張り、無理やり牢屋から出す。

 見張りはそれを見て、扉を閉めて施錠する。

 そのまま3人は、4つの牢があった部屋に向かい、ルーンを連れ去って行った。



 俺は、ルーンの顔を思い浮かべていた。


 ...このまま寝ていたら、ルーンが犯される。

 あいつらに弄ばれ、壊されるまで嬲られる。

 そう考えた俺の心には、あの3人に対するはっきりとした殺意があった。

 両手を握りしめる。


 わが身可愛さに、反抗せずにルーンが犯されるのを黙って見ぬふりなんて、出来るわけがない。

 どうせここに来る前に死のうとした命だ、ルーンの為にこの命が使えるなら満足だ。

 全力で、命を懸けてルーンを守ろう。



 ...躊躇なく殺しに行く。

 たとえ刺されても、道連れにしてやる。


 ルーンはこの牢に入った時から悲痛な顔をしていたな。

 絶望でいっぱいだっただろうに。

 俺が名前を決めると嬉しそうに笑ってくれた。

 俺の話をずっと楽しそうに聞いてくれた。


 ...ルーンは、俺が守る

 例えこの命を代償にしても。


 俺はベッドの下まで這って行き、影の中にある銀色のカギを握りしめた。


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