第5話 私を守ってくれる男の子 ■

 ■女の子の視点■



 どうしてこんなことになったのかしら。


 冒険者気取りで、一人でも探索できると意気込んで、調子に乗って森の奥深くまで来てしまった。

 今、私の目の前には大きなイノシシがいる。私を睨んでいる。


 怖い...。


 お付きのグリマイラの姿は無い。自分がグリマイラの目を逃れるように逃げてきたのだ。

 グリマイラはエルフの女性で武具の扱いがうまい、それに魔法も使える。だからこれまでは、いつも守ってくれていた。


 ごめんなさいグリマイラ。

 あなたがいなくなったことで、あなたが普段どれだけ私を守ってくれているかが、わかりましたわ。


 無事戻れたらグリマイラにちゃんと伝えよう。そう決心するが、今頃理解しても遅かった。無事に戻れるかは絶望的だ。

 体に纏う衣装は冒険者風のもので、いつもの煌びやかなものではない。

 しかし髪は綺麗な金髪で、背中を通り越して、腰あたりまでストレートに伸ばしている。

 日常的に丁寧に、丹念に手入れされているであろう、その髪はきめ細かな絹のように、太陽の光を浴びてキラキラとしている。

 髪のみから漂う気品を取ってみても、冒険者という装いには無理があった。

 整った顔立ちに、薄く金色に揺らめく瞳がイノシシを見据えている。


 いつものドレスでは走れないわ。

 目立たなくする為に変装してよかった。


 身に着けている装備は短剣が一つ。過度な装飾は施されていないが、鞘の拵えや柄の形状はシンプルで美しく、希少な鉱石から精錬して加工したであろうか、どちらも光を反射して青白く薄っすらとした輝きを放っている。

 その短剣をゆっくり鞘から抜き、両手で持って構える。


 とにかく、今はなんとか逃げないといけませんわ。

 もしも襲ってきたら、あの樹まで駆け出さないと。


 イノシシからほんの少し視線を外し、自分の右側5メートル程先にある立派な大樹をちらりと見る。

 恐怖から若干体が震えている。呼吸も乱れて、顔も真っ青になっている。

 視線をイノシシに戻し、震える体に力を入れ、ほんの少しずつ、ゆっくりと後ずさる。

 しかし、イノシシは無慈悲に、女の子に向かって駆け出した。


「キャァッ!」


 女の子は一瞬パニックになった。

 しかしすぐに冷静になり、事前に想定していた通り、右側の大樹まで駆け出した。


 早く!!


 とにかく一心不乱に走った為か、大樹にたどり着く前に転んでしまう。


「あっ! ぐっ...」


 大樹の目前で転倒し、体を地面に打ち付ける。同時に短剣を落としてしまう。

 しかし、なんとかイノシシの突進は回避できたようだ。

 急いで振り返ると、イノシシが樹の根にはまっている。


 今なら逃げられるかもしれませんわ!


 すぐに体を起こし、傍に落とした短剣を拾い、イノシシに背を向ける。今度は転ばないように慎重に、駆け出そうとしたその時に、


「ブモオオオオォォォ!!」


 イノシシが咆哮を上げた。


「ひっ! あ、ああ...」


 ビクッとして体が動かなくなる。

 恐る恐る振り返ると。イノシシがこちらを見据えていた。怒っているようにも見える。


 もうだめですわ...お父様、お母さま、グリマイラ、みなさん、ごめんなさい。


 さきほど転倒したせいか、敵意を向けられている状態で、体がいっそう固くなっている。

 このまま避け続けてもすぐに体力が無くなり動けなくなる。


 私が勝手なことをしたばかりに、こんなことになってしまったのですわ。


 イノシシに向かい合って、絶望的な状況で死ぬ覚悟を決めた。

 その気配を悟ったのか、イノシシが駆け出す。

 全力での突進ではなかった。女の子の諦めを感じ取って力を抜いたのだろう。


 女の子は目を閉じて覚悟を決めていた。申し訳程度に両手で短剣を構えるが、技量も力も無い自分には対抗できるとは思えない。

 死を想像した恐怖から、体がガクガクと震えている。

 しかし、突然横から大きな衝撃を受け、地面に倒される。


 あれ...?あの獣は正面から向かって来ていたはずですわ。

 横から何が...?


 何が起こったのがわからない。何かに引っ張られて地面に倒れている。すぐに隣を見る。

 そこには男の子が真剣な顔で、私を見つめている。

 自分の左肩あたりから右の脇腹にかけて、男の子の腕が覆っている。その腕の体温を感じて、私は彼の左腕に抱えられて、押し倒されたんだと気づく。

 男の子は私を見ながら告げる。


「はやく逃げろ、はやく」

「あ...え...?」


 どうして男の子がここにいますの?

 この方は誰?


 そんな考えが浮かぶが、呆然となりながらも、自分を助けてくれたんだと理解する。

 お礼を言おうとしたら、男の子がすぐに立ち上がって、ナイフを持ってイノシシに駆け出している。男の子のナイフはお世辞にも切れ味がいいとは思えないような物だった、農業で使うような道具なのだろう。


 あの獣に立ち向かうなんて...!


 自分の身ではなく、自分を助けてくれた男の子の身を案じる。

 彼は見事に、こちらに振り向こうとしてるイノシシの尾にナイフを突き立て、そのまま右側を抜け、イノシシの背後で体制を崩す。


 すごい...、見事ですわ!


 私なら到底出来なかったこと、ナイフをイノシシに突き立てた男の子に対し、尊敬と感動が入り混じったような視線を向ける。

 しかし、再度私に顔を向けたイノシシ、その光景から再び恐怖に支配されるが、イノシシはすぐに私に背を向けた。ナイフを突き立てた相手に、優先して敵意を向けていることはすぐにわかった。


 あの方は命を懸けて、私を助けようとしてくれている...。


 自分の為に、あんな大きくて狂暴な獣と戦っている。

 呆然と目の前を見つめながら、男の子のことを想う。


 男の子は危なげながらも、なんとかイノシシの攻撃を回避していた。

 すると突然、男の子がイノシシに向かって叫ぶ。


「おいどうした!さっさとかかって来いよ!」


 そんなことを言ったら...!


 案の定、挑発を受けたイノシシは、突進する。

 しかし、イノシシも何度も樹に顔を突っ込んで学習したのか、直線ではなく曲線を描くように、男の子に突進していた。


 ああっ、危ない!!


 男の子の右半身がイノシシと接触する。自分を助けてくれている男の子が、イノシシの攻撃を受けた。その事実に心がざわざわする。


 男の子はなんとか立ち上がって後ずさる。と、地面に落ちてあった何かの赤い実を左手に抱えて、右手を突き出し、何かを言っている。


 何をされるのかしら、またあの獣に話かけている...?

 獣が向かって来てますわ、早く逃げてください!


 悲痛な表情で、イノシシの突進を受けようとしている男の子を見ていたが、突然男の子が左手に持っていた赤い実を、イノシシに投げつけた。

 そしてすぐに男の子の右手から小さく赤いものが見えた。その瞬間、イノシシの顔が炎上した。


 何が起きたんですの...?

 あの方が、あの赤い実を投げつけたあと、右手から赤いものが見えて、あの獣が燃えだしましたわ。


 もしやあれは魔法なのでは、と思い至る。


 燃えやすい赤い実の果汁を、イノシシの顔に浴びせ、魔法で火をつけたのですわ。


 目の前の光景から、そう結論付ける。


 男の子は魔法を放ちながらも、イノシシの突進を避けきれることが出来ず、その身に衝撃を受けて転げ回る。

 イノシシはしばらく暴れていたが、どこかに走り去ってしまった。

 それを見るや否や、私は駆け出す。


 早くあのお方を助けてあげないと!


 私の視界には、満足した表情で瞼を閉じようとする男の子が映っていた。


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