第4話 戦闘

 大きな根の上に立って、目の前の状況を把握する。

 イノシシは女の子の正面にいた。

 女の子を睨みつけており、今にも襲い掛かりそうだった。

 金髪ストレートの女の子は、震えながら短剣を構えている。


 でかいイノシシだな、じいちゃんが逃げろと言っていた大きい動物に該当するやつか。

 頭から尾までが3メートル程、足から背中の頂上まで2メートル程はあるか?


 刺激しないようゆっくりとガザンの実を地面に置き、右手で採取用ナイフを腰から抜き出す。

 まともな武器は持っていないが、採取用ナイフでも無いよりはマシだ。

 そのままそろりと女の子の方に歩みを進める。女の子の服は、イノシシの攻撃を回避した為か、若干土で汚れていた。女の子の表情から、体力の限界が近い様子がわかる。


 そして、女の子の位置まで5メートル程という所で、イノシシが低い唸り声をあげて突進する。


 まずい、間に合うか!?


 俺は反射的に足に力を入れ、思い切り駆け出した。女の子はまだこちらに気づいていない。

 駆け出した勢いで、イノシシに採取用ナイフを突き立てたところで、体格差を考えたらイノシシの突進は止められそうにない。ならば女の子の方を逃がすしかなかった。


 俺は一心不乱に女の子めがけて加速する。イノシシの突進が1メートル程の距離まで迫ったところで、俺は飛び込んだ。

 右手に採取用ナイフを持っている為、女の子を左腕で抱えて、突き飛ばすように押し倒す。


 ドゴッ!!


 目を向けると、さっきまで女の子が立っていた位置にイノシシがいて、突進した勢いのまま、大樹に顔を突っ込んでいるようだ。


 俺は努めて冷静な声で女の子に告げる。


「はやく逃げろ、はやく」

「あ...え...?」


 女の子は状況が呑み込めず、放心していた。手に持っていた短剣は地面に落としている。

 俺は女の子を地面に寝かせたまま、立ち上がってイノシシを観察する。


 おいおい、たいしてダメージを受けてないぞ。

 樹に突っ込ませて自爆させる手は通用しないのか?


 イノシシはのっそりとした動作で大樹から顔を引きはがす、その様子はとても深刻な怪我を受けた感じではなかった。


 俺はすぐに駆け出して、こちらを向こうとしているイノシシの尾付近に、両手で構えた採取用ナイフを突き立てる。


 ガシュッ!!


 深くはないようだが、採取用ナイフが突き刺さる。

 その勢いのまま俺は、イノシシの右側から後ろに転がり込む。採取用ナイフは刺さったままだ。


 俺の正面にはイノシシが女の子を見ており、そのさらに前には女の子が呆然とこちらを見ている。しかしすぐにイノシシが振り返り、傷を負わせた者に対して睨みつける。

 俺の姿を捉えるや否や、大きな声を上げて突進する。


「ブモオオォォォォ!!!」


 採取用ナイフが刺さっているからか、怒りで勢いづき、さきほどの突進よりも速い。

 なんとか紙一重で右側に避け、イノシシの突進を回避する。


 ドッ!!!


 さっきまで俺がいた背後の、大樹の根に激突する。


 このやり方ではだめだ。たいしてダメージを与えられないし、心なしかイノシシが学習してる気がする。

 落ち着け、考えろ。なんとか逃げる時間を作るには...。


 採取用ナイフはイノシシの尾付近に突き刺さっている、ガザンの実はイノシシが激突した根の後ろに置いてある、ツタは持ってきてない。他に手持ちの道具は無い。


 あとは...魔法くらいか。


 しかし、俺の魔法はライターの火とコップ一杯の水をキャストする程度。それも詠唱が必要な為、この命が懸かった局面では使えそうにない。

 イノシシは逃がしてくれそうになく、採取用ナイフを突き立てたことにより、より一層俺や女の子を仕留める気でいるようだ。

 イノシシがゆっくりと俺に振り向く。


 ...まてよ、この手は使えるか?


 と、思いついたアイデアが有効かどうか考える。


 いや、どの道他に手段は無い。思い付きだがこれでいくしかない。

 となればアイツを動かさないとな。


 そしてイノシシに対して挑発を始める。


「おいどうした!さっさとかかって来いよ!」


 イノシシはまたも低い声を上げ、突進してくる。


「ブモオオオオ!!」


 俺はさっきと同じように回避しようとするが、さきほどよりも距離が近いこと、さらにはイノシシが学習していたのか、突進の軌跡は直線ではなく、若干の曲線を描いていた。


 くっ!まずい!!


 俺はなんとか左に避けようとするが、想定外の動きに避けきれず、右半身の一部が接触する。

 正面からの衝撃ではなかった為、不自然な体制で、突進してきたイノシシの右側に投げ出される。


 ぐっ!痛い!!


 強く体を地面に打ち付け、痛みで顔を顰めつつも、なんとかイノシシと距離を取ろうと、反射的に立ち上がって後ずさる。

 イノシシはまたも大樹に突っ込んでいたが、学習したのかあまり強い衝撃ではなかった。

 そしてまたゆっくりとした動作でこちらに振り向こうとする。


 早く!間に合え!!


 俺は急いで先ほどイノシシが突っ込んだ大樹の根の奥まで、移動する。

 そして、地面に置いてあったガザンの実を掴み取り、左手に持つ。

 イノシシの顔はもうこちらに向いてる。


 体は痛い、体力はあまり残っていない、だがやるしかない。

 ここで諦めたら死ぬだけだ、やってやる!


 そう覚悟を決め、右手を前に突き出して集中する。

 魔力の流れが右腕を伝って右手のひらに集まるのが感じ取れる。

 そのまま静かに詠唱する。


 集中しろ...。


「彼の者の敵を焼き滅ぼさんが為、我が魔力を炎の神に捧げる...」


 イノシシは、今度は声を上げずに突進する。まっすぐと俺に狙いを定めて突っ込んでくる。イノシシとの距離が3メートル程となったところで、左手に持ったガザンの実を、イノシシの眉間目がけて投げつける。ガザンの実は割れ、中の液体がイノシシの顔に降りかかる。

 イノシシは勢いを落とさずに突進してくる。俺は実を投げた体制のまま、右手をイノシシの顔に向け、詠唱していた魔法をキャストする。


「ブレイズ!」


 ボッ!


 と、ライター程度の火が右手から前方に発射される。目前にいるイノシシとの距離は、1メートル程になっている。

 極めて威力が低い火炎魔法の発動、それを見届けながら、努めて体を右側に逸らそうとする。

 キャストされた火が、イノシシの顔面に直撃する。そしてすぐに、


 ドガッ!!


 またもイノシシの突進を半身に受ける。

 今回は左半身に受けた為、イノシシの左側に飛ばされる。

 強い衝撃を受けて、転がりながらも視界に入ったのは、顔面が炎上するイノシシの姿だった。


 右半身に重い衝撃を受けていたことに加え、今度は左半身にもイノシシの突進を受けた。さらには、疲労があった体を酷使して、魔法を使用したことによる、さらなる疲労。


 さすがに動けない...。

 今向かって来られたら終わりだな。


 全身が痛みを訴え、体はほとんど動かない。しかし意識は飛んでいない。

 転がりながら地面に打ち付けられたが、幸い勢いが止まった時に、顔はイノシシの方を向いていた。


 顔の向きも変えられそうに無いな。

 アイツを見ているのは、転がりながらも無意識に顔を向けたのかな。


 顔が燃えているイノシシが見える。イノシシは狂ったように取り乱しているようだ。


 まあ誰だって顔が燃えたらパニックになるよな。

 それにしても、ガザンの実が燃えてよかった。油だけ抽出する前の果汁は、引火点は低くないと思ったが、着火させるとうまく燃えてくれた。ガザンの実から採れる油は万能だな。


 しばらくイノシシを視界に入れながら、ぼんやりと考えていた。イノシシは取り乱していたが、最初にイノシシが女の子に向かって突進した方角、その逆の方角に逃げて行った。


 よかった、やっと追い払えた。

 体が痛い。だるい。しんどい。眠い。


 体を強く打ったことと、疲労がある中で魔法を使用したことによる極度の疲労で、もう意識を繋げておくのは限界だった。


 一旦休もう、眠い...。


 瞼を閉じながら最後に見たのは、涙を浮かべ神妙な顔をして、こちらに向かってくる女の子の姿だった。


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