第10話 魔女の真価


 牢屋を脱獄したカレンは馬に乗り、魔導船団がある港町へと向かっていた。

 ちなみに負傷したディアンのことは、道中で農村で薬師をやっているオババに頼んでおいてある。

 採れた薬草をいつも卸していている関係で仲良くなったオババは、「まかしときな!」と二つ返事で受けてくれた。

 また後でしっかりお礼をしなければ、と心の中で思いながら馬を走らせる。



 目的地はカレンが船でこの国へと最初に足を踏み入れた、あの場所だ。

 このリグド皇国の人間となり、平和の為に国とジェイドに尽くそうと決めた港町。


 ――だけど、あの時とはもう何もかも違う。

 自分を犠牲にして何かを失うなんて、絶対に嫌。

 あのバカたちを退しりぞけ、ディアンと二人でこの国を良くすると決めたのだから。



「やっと見えてきたわね……」


 二日ほど馬を走らせると、段々と磯の香りがしてきた。

 視界の先には見渡す限りのオーシャンブルーが広がっている。

 海と陸の狭間には、自分が一度だけ訪れたあの港町もある。

 相変わらず石造りの堅牢なたたずまいだが、前回とは大きく違う部分もある。

 遠瀬には、大きな木造船が数え切れないほどの大船団となって浮かんでいた。

 あれがきっとジェイドの言っていた、魔導船だろう。


 ウェステリアに向けて出港する前に止めなければ。

 カレンはここまで付き合ってくれた馬をひと撫ですると、港に向けてラストスパートを掛けるのであった。




「ククク……どうだ、ラズリー。この景色は」

「素晴らしいわ……これが全部、魔法の力で動くだなんて……」


 二人は船団の中でも戦艦のような頑強さを持つ巨大魔導船に乗っていた。

 豪華な装飾がされたブリッジから、海に浮かぶ兵団をウットリとした表情で眺めているラズリー。


 海の景色ではなく、これら全てが敵を叩き潰すための軍である点が、戦闘狂であるラズリーのツボにまったらしい。

 きっと彼女にとって、宝石のついた指輪よりもこの眺めの方がよっぽど嬉しかったのだろう。

 そう言う点では、カレンよりラズリーの方がジェイドの妻に相応ふさわしかったのかもしれない。


「この魔導船は魔法を動力に利用しているだけではない。甲板や船体には魔法を放出する砲やバリアを張る兵器も積んである」

「まぁ、それは素敵だわ」

「ウェステリアのクズ共が絶望する姿が、容易に想像出来るな。ククッ、お前も今から楽しみにしておけ」


 技術先進国であるウェステリアにさえ無い、この大量の殺人魔導兵器を使われてしまったら。

 国民たちは無慈悲に虐殺され、国は何も残らない焦土に変えられてしまうだろう。

 蛇が絡み合うようなキスをしながら、恐ろしい笑みを浮かべる二人。


「ラズリー」

「えぇ、行きましょう。私たちの世界を創造する為に」


 死神たちを乗せた船はカレンの祖国、ウェステリアへと向かうためいかりを上げた。




「――そうはさせないわよ」

「その声……まさか」


 護衛を含め、十数人の精鋭たちが甲板に控えているこの戦艦に侵入してきた無謀な人物。

 そんなことが出来る人間は……。


「――この、出来損ないの魔女めっ!!」

「目障りなメスネズミが、いつまでもチョロチョロと……!!」


 声の主であるカレンは潮風にオレンジ色の髪をたなびかせながら、二人が乗る戦艦の船首に悠々と立っていた。

 二人の恋路を阻むかのように突然現れた侵入者を、苛立いらだたし気に睨むジェイドとラズリー。

 ドッキリが見事に成功して、カレンもご満悦の様子だ。


「ふふっ。随分と豪勢なハネムーンね? 私、嫉妬しちゃうわ」


 船の上は大きく揺れているにもかかわらず、随分と余裕そうだ。

 だがしかし、彼女はすでにジェイドの部下たちに囲まれてしまっている。

 


「あのまま、牢屋に入っていれば良かったものを。むざむざ殺されに来たのか? それとも、お前の国が俺の手で消されるところを見に来たのか?」


 ジェイドの安い挑発にも、カレンはふふんと不敵な態度で返す。

 もう彼女には何の枷も無いし、彼らに配慮する必要もない。


「そんなわけないじゃない。言ったでしょう? 燦爛さんらんの魔女の意味を分からせてあげるって」

「ふん、お前程度の魔力で一体何ができると言うのだ」

「そうよ。弱い奴が吠えたって、ホンモノの強者には無意味だわ。お前たち、何をしているの!? さっさとコイツを捕らえなさい!」



 出逢った頃の弱々しいカレンとは違う雰囲気に違和感を感じつつも、その程度では自分たちを止める理由にはならない。

 本来ジェイドの部下を指揮できる権限は無いラズリーだが、実力を散々見せつけた彼女に逆らう馬鹿は居ない。

 兵たちはカレンを排除するべく、抜刀や魔法の発動を始めた。


「これが最後よ。貴方たち、侵略を止めるつもりは無いのね?」

「ふん、戯言たわごとを!! もういい、この女をこの場で殺せ!!」

「キャハハ!! バラバラにして魚の餌にでもなりなさい!」



 (残念だけど……もう、ここまでね)


 こうなってしまったのは不本意だが、致し方ない。

 先に約束を破ったのはそっちだし、警告もした。

 ここまで来てしまったら、さっさと追放しなかった自分自身を恨んでもらおう。



「他者をおとしめ、おごり高ぶる者たちよ。我が灼熱の太陽によって、身も心も焼き尽くされるがよい。――平伏せよフォールダウン


 カレンは呪文のような何かを呟くと、目を閉じた。

 そして右手を掲げると、人差し指を天へとく。

 指の先には、海と同じように蒼が広がっている。

 雲一つない晴天には、燦々さんさんと輝く太陽しかない。


「いったい何を……!!」


 特に魔法を放つ様子もなく、ただ立ち尽しているカレン。

 意図が分からず、ジェイドの兵たちもこのまま攻撃をしていいのか戸惑っている。

 と、そこで何かに気付いた甲板に居た兵たちが、にわかに騒ぎ始めた。


「お、おい! 太陽が落ちて来るぞ!!」

「そんなバカなことが……な、なんだと!?」

「ちょっと、嘘でしょう……?」


 空に浮かんでいるはずの太陽。

 この星に、恵みと温もりを与えてくれている星。

 神と比喩されることもある、絶対不変の存在だ。


 それが、猛烈な勢いでこちらに落ちてきているのである。

 否、それは太陽と見紛うほどの熱量を持った、巨大な炎の隕石だった。




 たった一度の攻撃。

 カレンが放った一撃で、ジェイドの夢が儚くとも一瞬で潰えた。


 さすがに本物の隕石程の速度も威力も無かったが、海上に浮かぶ船団を壊滅させるには十分すぎるほどの破壊を見せた。

 余りの惨状に、ジェイドは我を忘れてわめき散らす。


「貴様、何をしたのか分かっているのか……!? こんなこと……絶対に許さんぞ!!」


 今にも八つ裂きにしてやるとばかりに、目を血走らせる。

 先ほどの隕石で、妻であるラズリーが甲板で倒れてしまっているのも気付いていないようだ。


「あら? その言葉、そのままお返しするわ。これは貴方が始めた戦争よ? 皇子様オウジサマは戦争ってモノを知らなかったんでちゅか?」

「殺す……!! 貴様をなぶり殺し、貴様の国の住人も一人残らず殺す!! 女も子どもからババアまで犯し尽くしてやる!!」



 辛うじてジェイドの居た戦艦は直撃を免れて無事だったものの、彼の自慢の魔導船はもう半分も残っていない。


 だが彼の眼は諦めてなどいなかった。

 自分さえ生きていれば、軍を再編してウェステリアを攻め滅ぼせると思っているのだろう。

 ジェイドが始めた戦争は、まだ終わっていない。




「へぇ? それは既にウェステリアの民である、アタシのことも殺すと言う事かしら。ねぇ、お兄様?」



 いつの間にか船の欄干らんかんの上に、真っ赤な髪をしたソバカスの少女が足をブラブラさせながら座っていた。


 新たな闖入者ちんにゅうしゃに、船上の全員が驚愕の表情を浮かべている。

 なぜなら彼女は本来、この国には居るはずの無い人物なのだから。


 魔女協定の日。

 この港町で一度だけ会った、あの少女。

 そう……彼女はカレンと引き換えにウェステリアへ嫁いで行ったリグド皇国の姫、ルビィだった。


「……は? な、なぜお前がここに居るんだ……ルビィ!!」

「どうしていったい、貴女が……?」


 カレンも何故ここにルビィが居るのかが分からない。

 辺りを見渡すと、遠くの海にはウェステリアの国旗を掲げた船団が見えた。

 彼女はあの一団と一緒にやって来たとでも言うのだろうか。


「言ったでしょう? 『ウェステリアをアタシのモノにしてやる』って。リグドで生まれた女は、自分のモノを奪う奴は決して許さないの」


 確かに去り際にそんなことを言っていた。

 だけど本来あれはそういう意味では無く、彼女なりの皮肉だったはず。


「おい、ルビィ。この際細かいことは良い。お前もリグドの人間なら、この不敬なクソ女を今すぐに殺せ……!!」


 いつもの余裕綽々よゆうしゃくしゃくな涼しい顔はどこへやら。

 擦り傷と土埃つちぼこり塗れで、貴公子っぷりは微塵も見られない。

 そんな兄を見て、ルビィはフッと笑った。


「いやよ。お兄様がその女を雑に扱ったせいで、その女が持っていた宝玉の封印が解けちゃったのよ?」

「は……? 封印?」


 封印とはカレンが身に着けていた太陽石シトリンのネックレスのことだ。

 自らの強大な魔力によって周りを不幸にしないために、魔力を封印する魔法が施されていた。それも、カレン本人では解けない強固な封印。

 

 ルビィの口ぶりから察するに、すでにウェステリアの王妃となっていた彼女は封印のことを知っていたようだ。


「はぁ、本当にお兄様ったら。その封印が解けたせいで、それを察知したウェステリアの軍が慌ててリグドに向かったの。お兄様はあの国の本当の強さを知らないから、そんなことを言えるのよ」


 何かを思い出したのか、急に腕を抱いてカタカタと震え始めるルビィ。

 あの後、ウェステリアでいったい何があったのか。


「ともかく、今のアタシはもうウェステリアの王妃。アタシはアタシの国を護る為に動くわ」


 ルビィは自身の紅い瞳をキラリときらめかせると、腰のベルトからL字をした筒状の何かを取り出した。


「なんだ? それは?」

「これがアタシがウェステリアで手に入れた武器。魔導銃よ」


 「見せてあげるわ」と言って魔導銃を構えると、親指大の炎をジェイドに向かって撃ち出す。


「ちっ! 小癪な真似を」


 パンパン、という破裂音と共に、次々と飛翔する超高速の攻撃。

 もともと彼女の魔法は直接触れなければ発動できなかったものだが、どうやらウェステリアの技術で飛ばせるようになったらしい。


 ルビィの魔法は、ジェイドにとっても意外だったようだ。

 攻撃の早さもさることながら、撃ち出す弾の数が非常に多い。

 しかしジェイドも負けじと高速で移動し、ルビィの方へとジワジワと近付いてきた。


 ――ドォオオオン


「ぐううっ!?」


「悪いけど、私のことを忘れて貰っちゃ困るわよ?」


 兄妹の殺し合いの喧嘩をかき回すかのごとく、カレンが小さめの隕石を船の近くの海面に落とした。

 その衝撃で体勢を崩したジェイドがたたらを踏み、前へと倒れた。


「チャンス!!」


 その隙を狙い、ルビィが容赦なく弾を撃ち出した。

 脚が使えなければ、流石に高速移動で避けることもできない。


 ようやくジェイドに当たるかと思った瞬間。

 なんと彼は、床でうずくまっていたラズリーを掴み、弾を防ぐ盾にした。


「ぎゃあああっ、熱いっあついあついあつい!! ど、どうして消えないの! 私の氷魔法が、効かないっ!」


 胸に付いた小さな灯火ともしびを自慢の氷魔法で消そうとするが、何度やっても上手くいかない。

 どれだけ温度を下げても、触れた瞬間に氷の方が溶かされるだけで、一向に炎が消えないのだ。


「すまんな、ラズリー。ルビィの炎は氷じゃ消せないんだ」

「なんですって!? そ、そんな……あ、熱い……あひっあひひひひ……」



 絶叫を上げながら狂った笑いを上げ、炭へと変わっていく常笑じょうしょうの魔女。

 あれだけ仲睦なかむつまじかったのに、この男はあっさりと捨て駒にしてしまった。

 あまりに冷たい待遇に、カレンだけでなくルビィまで引き攣った顔をしている。

 ジェイドは悲しむことも無く、殺気を溢れ出させていた。


「いいだろう……貴様ら二人とも、この俺が直々に殺してやる……」


 皇帝の命をも奪った宝剣を片手に、ゆらりと幽鬼のように立ち上がるジェイド。


 彼が本気を出したら、戦況がどうなるかは分からない。

 ゴクリ、と誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。


 ジェイドが宝剣を握りしめ、魔法を発動させようとしたその時――。


「そうはさせないよ、兄さん」

「ディアン!!」

「ディアン兄様……?」


 そこに現れたのは、包帯で全身をグルグル巻きにした状態のディアンだった。

 彼の後ろには、仲間である農民や町の職人たちも居る。

 その手にはカレンも共に作った魔道具の鎌やクワを持っていた。

 農村のアイドルの危機とあって、みんなが駆けつけてきてくれたようだ。



 海からはウェステリアの海軍が。

 陸からは自国の志願兵の大軍が。


 遂にジェイドは八方を敵に囲まれてしまった。


 「こんな所で……終わってたまるかぁあああ!!!!」


 逃げる道を失ったジェイドは悪足掻わるあがきとばかりに剣を振り上げ、大声を出しながらカレンに向かって走り出した。

 もはや修羅の形相。

 普通であれば、誰も彼を止められないだろう。

 しかし、大事なモノを守ると覚悟を決めた今のディアンは一味違う。


「クソがああ!! お前らあああ!! 兄の言う事を聞けぇええええ!!!!」

「残念だけど、弟扱いもしてこなかった人をこれ以上兄と慕うのは無理だ」


 一斉に放たれた風のやいばがジェイドを襲う。

 彼の身体はあっという間にズタズタに引き裂かれ、宝剣は手から弾き飛ばされる。

 全身を切り刻まれながら、リグドの若き皇帝はドサリと音を立てて甲板に倒れ伏した。



 こうして、ジェイドの世界を統一する夢は大海原へと沈んだのであった。



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ルビー(紅玉):勇気を授け、勝利を呼び込む。内に秘めた想いを燃やし、努力を惜しまない。その結果、逆転をもたらしてくれることも。自信の象徴。石言葉「勝利」

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