第 十八話 狐と虚と草木妖(三)

「手斧を持った人間はこっちだ」


 木々の葉が寒々しく散った山の中、男たちが連なるように林の中へ入り込んでいた。


 各々が、手に何らかの武器を持っていた。弓、縄に鎌、それになた。何一つ統一感のない手荷物の中、初めて山に入る銀郎太ぎんろうたもまた、手斧を持って続いていた。


 葉の落ちた、日が差しこむ開けた場所へ出たのを確認し、先頭の男が足を止めた。


「それぞれここから散る。獣、人、何でもいい、危険だと思ったら迷わず笛を吹き鈴を鳴らせ」


 先頭の男が、紐のついた、首から下げた竹の笛を一瞬だけ強く吹いた。耳障りな、鳥の鳴き声をさらに高くしたような音が、一瞬乾いた林の中へ強く響いた。


「あとはこれだ」


 こぶしほどの、大きな黄銅でできた鈴を振った。鈍い、金物が転がるような音が、静まり返ったあたりに響いて消えた。


「鈴、笛の音を聞いた人間は、迷わず続いて笛をふけ。周りの人間へつなげろ。鈴は、問題があった場所を教える音だ。本人以外は鳴らすな。鈴の音の鳴る方へ、笛を吹きながら集まるんだ」


 説明をしていた男が、手斧の柄を振り上げた。

 隣に立つ葉の落ちかけた椎の木の幹へ、食らいつくように叩きつけた。


「いいか、絶対にはぐれるなよ。今年の山は山賊が出る。必ず群れになって行動しろ。俺たちは、ただ黙って食われるだけの連中じゃないってことをわからせてやれ」


 誰一人、声をあげないかった。

 緊迫感で息の詰まる中、静かに男たちが山へ散っていった。






「なあ。お前、初めて見る奴だな」


 山道を先頭する中年の男の後ろ、息を切らせて歩いていた銀郎太に、ふいに後ろから声がかけられた。


 若い男だった。自分と年はそう変わらないかもしれない。紅潮した顔は、まだ少年としか言いようのない顔をしていた。


「どっからか、別のところから来たのか?」


 裏表のない、他意を含まぬ笑いで銀郎太を見ていた。外界への興味が、わかりやすいほどに伝わる表情。最近は、あまり見る機会のなかった表情をしていた。


 息が切れていることを隠しながら、銀郎太が口を開いた。


「ああ。先月、叔父を頼って。妹と一緒に来たんだ」

「へぇ」


 道というものがない山中。落ち葉で覆われた中を、先頭を歩く男が容赦なく登っていく。


 息が上がっていた。吐く息が、日中になったにも関わらず白くなっている。外気が下がったのではない。自分の体温が上がっているのだ。山道を歩きなれていない自分にはついていくだけで精一杯だった。


「なんで、その叔父さんのところに来たんだ?」

「いや……」


 言葉に詰まった。

 若い男が、返事を待つように自分を見ていた。山道に杖をつくように、器用に手斧をあやつりながら登っていく。思わず自分も真似をしようかと迷ったがやめた。むき出しの手斧の刃が、下手をすれば自分に跳ね返ってきそうだった。


「都で働いていた父が、流行病で死んだんだ。それで、叔父がいるこの村にやってきた」

「それは――」


 若い男が気まずそうに口を濁した。


「なんか、聞いて悪かったな」

「いや、大丈夫だ」


 先頭を歩く男の足が止まった。

 後ろを振り向くことなく、腰の後ろで手を開いた。小さく、手を下におろすように振る。

 身をかがめろということだと察した。


 先頭を歩く男の先、遠く窪んだ崖の下、葉の落ちぬ針葉樹の根元に、小さく人影が見えた。


 よく見えたなと思った。目を凝らす。

 簡素な、古びた鎧を着た男と、髪の長い一人の女がもつれるように湿った枯れ葉の上に転がっていた。


「なんだ……?」


 銀郎太の横、身をかがめる若い男から声がした。


「人か?」


 視線の先、窪んだ崖下の湿地から、わずかに嬌声が聞こえた。女が、男に抱き着かれながら、追いかけられるように落ち葉の上を共に転がっている。


 奇妙な光景だった。村のどこかであれば、ただの男女の戯れだと思っていたかもしれない。だがこの場ではそうは思えなかった。山の中奥深く、誰一人こない異様な場。なおのこと目を引くように奇妙だったのは、女の髪色だった。


 全くの白だった。波打つようにうねる真っ白な髪が、足首まであるかという長さで、寝転がった湿地に広がっていた。白髪の老婆であればまだわかるその色が、表情、肌、声。すべてにおいて完全に若い女だった。


 誰も、一言も発することができなかった。

 異様な場に引き込まれていた。


 仰向けになった女の上に乗った男が、腰ひもをずり下げるのが見えた。

 落ち葉の上に寝転がった女の手が、男の首にかかる。


 瞬間、何かの折れる音が林に響いた。


 何の音か、誰もわからなかった。

 一瞬の間の後、隣の若い男から、震えるように声が漏れた。


「首が——」


 鳥の、飛び立つ羽音が一斉に響いた。


 崖下、女の上に乗っていた男の頭が、真後ろを向いていた。


 ゆっくりと起き上がった女が、男の首に食らいついた。身動き一つ取らなくなった男が、これほどの血が人の体にあるのかという量を噛みつかれた首から吹き出している。女の腕が、男の頭をねじ切るように胴から引きちぎった。男の下半身から、反射のように小便が漏れているのが見えた。


 隣の若い男が、悲鳴に似た声を出したと同時に、勢いよく叫びながら来た方向へ走り出した。目の前を先導していた中年の男が、追いかけるように若い男の後を走っていく。


 追いかけようとした銀郎太の体が、頭の中だけで終わり何一つ動かなかった。


 崖下、女と目が合った。引きちぎった男の首から絞り落ちる血を、あおるように口に含んでいる。


 目が離せなかった。

 目を合わせたまま、女が、ゆっくりと指を上げた。

 銀郎太の首の付け根。のどぼとけの下、鎖骨の真ん中――。


 甲高い、笛の音が響いた。後ろから、鈴の音も続いて鳴っている。

 我に返ったように銀郎太も走った。先に逃げたどちらかが鳴らしたのだろう。腰が、思ったように動かず前のめりに転げた。足に力が入らなかった。枯れ葉のうずたかく積もる中、転げるように斜面を滑り林を駆けた。


 追ってくるのではないか。背後を何度も振り返った。あの女、私の首を指さしていた。

 あれは何だったのだ。


 何も、追いかけてきていなかった。それでも走った。ただひたすらに逃げた。



 *



 二回目の、山中へ向かう男衆が組まれたのは、それから五日もたたないうちだった。


 山のふもとに集まった人数が、前回よりも減っていた。前回銀郎太を先導した中年の男は、別の班ではあったが変わらず来ていた。


 後ろから声をかけてきた若い男は、一通り探してみたが顔が見つからなかった。


 前回、あの首を引きちぎった白髪の女を見た後、銀郎太の班は誰一人使い物にならなかった。山に入ることを、皆拒否してしまったのだ。

 何かしらやらねばと、山で伐採された木材を集積場へ運ぶ役目を担ったが、心のどこかで気恥ずかしさと後ろめたさが残っていた。


 あれはいったい何だったのだろうか。作業が終わった後、すきま風の吹く自宅に戻った銀郎太は、夜眠ることができなかった。妹が隣で寝息を立てる中、あの血を飲み干そうとする女の顔がひたすらに頭の中に残り続けていた。


 考えても、答えは出るわけがなかった。


「おい」


 はっとした。前から、別の男に声を掛けられていた。目の前に来ているのに一切気が付かなかった。


 目の前の、筋骨に恵まれた坊主頭の男が、訝しそうに銀郎太を見ながら笛と鈴を渡した。


「お前は、今回はちゃんと山に入れんのか?」

「ああ……」


 渡されたものを受け取りながら、銀郎太が気の抜けた返事をした。


「頼むぜ……。ただでさえこの前の山入りよりも人が減ってんだからよ……」


 男の言葉に、銀郎太が再度見回した。


 やはり、人数は前回に比べ明らかに減っていた。


「なんかあったのか?」

「知らん。ただ、来れない連中は、軒並み熱を出しているらしい」

「熱……」

「変な流行病じゃないといいんだがな」


 一瞬、寒風が強く吹きぬけた。思わず体を縮こませる。落ち葉が地面で渦を巻くように回転し、道の隅へ集まっていく。

 大分、冬が近づいてきている気がする。空はもう、晴天の青よりも鈍色にびいろが近くなってきていた。


 強く、鈍重な鈴の音があたりに鳴り響いた。小高くなった土山の上で、前回と同じ先頭の男が鈴を手に鳴らしている。


「いいか。山賊はまだ出る。気を引き締めて行けよ」






 坊主頭の男が、山の斜面を容赦なく駆けあがっていった。


「ちょっと、少し待ってくれ」


 斜面の途中、枯れ葉のつもる地面に手をつきながら、銀郎太が苦しそうに声を出した。


 山肌の中、坊主頭の男が、見下すような顔で振り返りながら口を開いた。


「情けないな……。都から来た人間ってのは、みんなこんなもんなのか」


 無言のまま、銀郎太が荒く呼吸を繰り返していた。


 全く体力が続かなかった。前回はまだついていけている気がしていたが、あれは先頭の男が歩幅を合わせてくれていたのかもしれない。


「先に行くぞ」


 呼吸を整えている銀郎太を背に、坊主の男が山肌をさらに登っていく。


 顔から滝のように流れる汗をぬぐった。食らいつくように、銀郎太が斜面へ手足を踏み込む。


 瞬間、甲高い、鳥の鳴くような笛の音が一面に響いた。


 前方の坊主頭の男がすぐさま笛を吹いた。連動するように、いたるところで笛の音が響く。土にまみれた手のまま、銀郎太も首に下げていた笛を掴み強く吹いた。


 鈴の、鈍重な音が鳴り響いた。前方、坊主頭の男の先、小高くなり見通しのきかない奥の方から聞こえてくる。


 急に、現実感が体を襲った。


 鈴の音は、何かあった人間だけが鳴らすものだ。

 音の先で何かが起きているはずだ。


 一瞬で、体中が寒気を覚えるように震えた。この前の、首をくびり殺された男。そしてその血を飲む女。


 先を歩く坊主頭の男が、駆けあがる速度を上げた。鈴の音の鳴る方へ向かうのだろう、背にもった手斧を手に構えている。


 遅れてしまう。笛を口に咥えたまま銀郎太が斜面を登った。全く追いつくことができないまま、斜面の折り返しなのか、山肌の奥見えなくなった先へ坊主頭の男が姿を消した。呼吸する息に合わせて、頼りない笛の音が口元から小さく出ていた。


 なぜ、自分はここにいるのだろうか。つい先月までは都にいたはずなのに。父の星見ほしみとしての仕事を継ぐため、毎日ただひたすらに天文を修めていたはずなのに。なぜ自分は、こんな見も知らぬ山の中でこんな——。


 男の、絶叫のような悲鳴が聞こえた。何か、固い、金属がぶつかるような音がする。今までに聞いたことのない怒声が山の中へ響いた。


 山肌の折り返しまで走った。崖の上、すぐ下が見えるへりへ身を乗り出した。


 この前と同じ湿地だった。斬られたのか、流血したままぴくりとも動かない村の男が横たわっているのが見えた。濡れた枯れ葉の上で、簡素な鎧を着た男が三人。手斧を持った坊主頭の男に刀を向けにじり寄っていた。


「誰か来てくれ!」


 坊主頭の男が叫んだ。


 声に反応したのか、先に一人の山賊が切り込んだ。刃が落ちるよりも早く、坊主頭の男の手斧が叩きつけるように振られていた。振り下ろされた刀のつばに、まるで薪を両断するかのように叩きつけられた手斧が、振り下ろしたはずの山賊の刀を根元ごと弾き飛ばしたかと思うと、切り返す手斧の牙が山賊ののどぶえを抉るようにかき切っていった。


「早く!」


 血しぶきの中、坊主頭の男が再度叫んだ。正面から切り込まれ、手斧で受ける。後ろに回り込んだ別の男が、鈍く短い刃物を、体ごと坊主頭の男に突き刺した。

 正面からの刃を受けていた坊主頭の手斧が、力業で押し込まれるようにゆっくりと沈んだ。鈍く光る山賊の刃が、坊主頭の男の首に食い込んだまま、ゆっくりと体ごと地面へ倒れ込んでいった。


 何の音もしなくなった。


 銀郎太が無意識で叫んでいた。恐怖で何も考えられなくなっていた。目の前の視界が光がはじけるように砂嵐がかかり、黒いふちのようなもので狭まってくる。


 叫び声をあげた中、手をついていた地面が崩れた。湿りで弱まっていたのか、体重に耐えられずにその穴を開けた。何一つ受け身も取れないまま、崩れた地面と共に崖下へ枯れ葉の上を転がり落ちた。


 落ちた先、急ぎ体を起こした。


 目を開けると、山賊の一人がいた。血でぬれた刃を、逆手で振り上げていた。


 ああ。死ぬのだ。

 逆光で顔も見えない男が、突き刺すように刃を振り下ろした。


 目を、閉じる瞬間だった。

 目の前の男の首が、跳ねるように回転した。何かに打ち付けられるように、勢いよく真横へ吹っ飛んでいった。首のなくなった男の刃が、振り下ろした勢いのまま銀郎太の肩をかすめた。

 そのまま地面へ突き刺さり止まった。


 噴きこぼれた真っ赤な血が、浴びるように銀郎太の頭へ降り注いだ。

 首から上が無くなったものが、ゆっくりと力が抜けたように銀郎太の体に覆いかぶさってきた。


「なんだてめぇ!」


 声がした。覆いかぶさった体で何も見えない中、予想外の叫び声が聞こえた。


 何が起こっているのか、全く理解ができなかった。

 自分の、恐ろしく早い呼吸だけがただ聞こえていた。


 目の前に覆いかぶさっていた死体が、勢いよくはがされた。


 視界の先に、足元までもある白髪の若い女が、右手全体に血をまぶしたまま立っていた。


 気を失いそうになった。自分の心臓の音が、頭の中で打ち付けるように聞こえてくる。


「貴様」


 何一つ考えられない中、目の前の女が言葉を発した。


「その首につけた石は、どこで手に入れた」






「石?」


 ただ薄く笑う女が、血にまみれた指を、ゆっくりと銀郎太の首に伸ばしてきた。


 身動きが取れなかった。

 ただ震えるだけの銀郎太の首に、女が指をあてた。


「この石だよ。嘘をつけば殺す。つまらん答えでも殺す」


 目をそらしても、死ぬ。


 銀郎太が、女の視線から目を外せないまま、自身の首に下げた小さな石にゆっくりと手を伸ばした。


「この石は、両親の形見だ。妹が、成人した際に渡せと言われている」

「ほう」


 女が、崖下で怯えうずくまる銀郎太を、面白いものを見るかのように眺めていた。


「その石が何なのか、お前は知っているのか」

「……知らない」

「その石は、我々天狐てんこの魂を宿す骨だ」

「天狐の……骨?」


 目の前に立っていた女が、静かに笑いながらぐにゃりと形を変えた。


 唖然とした。

 目を見開いたまま、微動だにできなかった。


 銀郎太の目の前で、女が、真っ白な狐の姿に変わっていた。


 真っ白な狐が、静かに笑うように口を開いた。


「その骨に選ばれた人間は、望みの願いがかなえられる。その者の願う力に応じてな。その骨が、何十、何百というお前たち願いで満ち足りたとき、その骨に封じられた我々の魂は、再度肉を得てこの世に戻るのだ」


 狐が、ひとしきり言葉を発した後、一転してひどくつまらなそうな顔に変わった。


「だがその石はお前を選んではいない。そしてお前にはおのれの命以外たいした願いもない。無用の長物だな」


 うずくまる銀郎太を一瞥した後、音もなく狐が山の中へ駆けて消えていった。



 *



 手元にある刀を、鞘から抜いた。

 刀身を見る。


 傷一つない。


 間抜けな話だ。抜身ぬきみの刀を見ながら男が思った。切るためにあるはずのものが、その切る相手はもう存在しない。刃こぼれ一つ起きる機会がないのだ。


 雑然とした小屋だった。今にも折れそうなはしごの下で、酒に酔った男がサイコロを椀に投げ込んでいる。その隣では、理由はわからないが小競り合いになっていた。一方が胸倉をつかまれ、もう片方は鼻血を出している。どうせいつもの適当な、やることのなさによるじゃれ合いだろう。ほっとけばそのうち収まる。


 十人を超える男たちが、行く当てもなく寝付いていた。


 去年まで、虚狩りで飯を食っていた人間しかいなかった。

 突然、どこからか沸いてくる黒いあの生き物。あの化け物から、金を出す雇い主を守る。狩りとはいうが、実際はただの護衛だ。自分たちからわざわざ出かけていくこともない。だからといって、戦う準備は怠らなかった。逆を言えば、それしかできない。

 虚が出なくなった今、この刀は役目を変えるしかない。


 小屋の入り口、建付けの悪い木戸が、壊れそうな勢いで開けられた。


 小屋の中の空気が変わった。

 無言で男たちが見る中、一人の男が息を切らせながら入り口に立っていた。


「なんだぁお前、静かに入れねえのか」


 刀を持った男が、のんびりした口調で声を出した。


 入り口に立つ男が、息の切らしながら、目を吊り上げて口を開いた。


「山に出てた連中が殺された……! 今度は三人いっぺんにだ!」

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