第 十四話 出立(四)
「ここから都までは、歩いていくだけだと——」
緩やかな登りの山道を歩きながら、
四本目を折ったあたりで、手のひらを
「まあ、四日ってところかな」
突き出された手を見た明星が、一瞬混乱した顔をした。
「なんか、歩き以外でも行けるみたいな言い方ですね」
「お?」
望天が、少し関心したような声を出した。
「思ったより、いい勘してる?」
望天の言葉に、明星が目を合わせないまま少しだけ得意になった表情でついてきている。
隣で、
「思ったより、って言われてるんだからなお前は」
「うるさいな……」
望天が軽く咳ばらいをした。
「まあ、いうとおり、歩き以外でも行ける。例えば馬とか。特に今回みたいな急ぎだと、徒歩以外の手段のほうを優先してって話になる。ただ、実は今、都には陸路だと普通は入れないようになってる。じゃあどうやって入るかっていうと——」
緩やかな登り道を抜け、小高い丘の中腹に出た。
山道のわきに生えた、視界をふさぐ木々が消えた。
下りに変わった山道の下、砂色が広がる開けた平野に、わずかばかりの建物が点在するように立ち並んでいた。
望天が得意そうに振り返った。
「あの兵部から転送陣を使う、ってわけだ」
味気もない丸太でできた橋げたの前に、余裕で何人もの人間がつめこめるほどの巨大な空堀が、延々と続いていた。
突風が吹いた。空堀で巻き上げられた砂が、勢いよく顔面を叩きつけて去っていった。
「止まれ」
槍を手にした衛視だった。
丸太で組まれた門の前で、先頭を行く望天を槍の穂先で刺すように止めた。
「身分を名乗れ」
望天が、腰に付けた刀を鞘ごと抜き取った。体の前に掲げるよう、両の手でつかみ衛視に見せた。
「
望天の刀の鍔をしばらくにらんだ後、無言のまま衛視が槍と体を引いた。立ちふさがった門の前から一歩退き、足につけた鉄のかかとを叩き合わせる。乾いた金属音が鳴った。
刀を戻した望天が、無言で門をくぐった。
不審極まりない動きを明星がしていた。何一つ慣れない表情のまま、一切の遠慮をすることもなくあからさまに怪訝な顔であたりを見回しながら続くように門を抜けた。
相変わらずの味気のない空間だった。
縄で打ち付けられた天幕と、無骨な丸太でできた平屋が点在する、草一本生えない砂地だけが広がっていた。
「ここは、あんまり無関係の人間が入れるところじゃないんだぜ」
望天が、後ろをついてくる明星に笑いながら声をかけた。
手甲と脚絆をつけた人間がちらほらと歩いている。望天と同様のもののようだ。よくわからないが、望天と同じ人間の集まりなのだろうか。盗み見るように明星が見回していた。
明星が望天の後に近寄って口を開いた。
「兵部って、何なんですか?」
「何だと思う?」
何気なく質問を投げた明星が、逆に質問で返され困ったような表情で望天を見た。
しばらくした後、望天が歩く先を見たまま口を開いた。
「十年ぶりに仕事が戻ってきた、普段は役に立たない堅物な組織だよ」
丸太で作られた平屋の前で、先頭を歩いている望天の足が止まった。
手甲をつけ、短く髪を切り揃えた若い女が、建物の入口で直立不動のまま望天を見据えている。
女にしては低い声で、静かに口を開いた。
「お待ちしておりました」
望天が唖然とした声を出した。
「まさかお前、俺が来るまでここでずっと待ってたのか」
にやりと女が笑みを浮かべた。笑う目の下、明らかなくまができている。
「もちろんです」
「馬鹿かよ……」
女が、望天の後ろへちらと視線を寄せた。大柄な体躯の後ろで視線から逃げるように立っているものを見た後、すぐさま再び望天へ戻した。
「天狐殿が見当たらないようですが」
「ああ、それなら――」
望天が、後ろにつけた明星の方をちらと見た。
「あのでかい袋の中にいる」
明星の背中から、何かが小さくため息を漏らすのが聞こえた。
「袋の」
「中に」
抗議のように背中が強く揺れた。
営舎内に入るにあたり、いくらなんでも狐は入れないんではないか? そう望天が考えた結果、こうなった。理由を説明をする望天をただひたすらに無表情のまま見る昴宿に、なんとか頭を下げ背負い袋に入ってもらった結果がこうなった。
一同のなんとも言いようのない表情に、女が、軽く咳ばらいをした。
「
丸太で作られた平屋の中は、採光のための窓が一切ない独特の造りをしていた。深く入りこむにつれ、光を遮断するように周りの輪郭が消えていく。
入り口から差し込むわずかな自然光だけを頼りに、望天を先頭に奥へと進んだ。
目の前に垂れ下がる、ほとんど輪郭だけしか判別のつかない分厚い布をくぐると、薄明かりに包まれた小さな部屋に出た。
通常ではありえない光りだった。小部屋全体に、薄く、青白い光がぼんやりと灯っている。どういう仕組みで発光しているのか明星には見当がつかない。
それにもまして異様だったのは、部屋の中央だった。地面に描かれた大きな丸の中、二本の丸太が杭を打ち付けるように地面に刺さっている。その丸太の間、大人が手を広げたほどの幅の空間が、ところどころねじれるかのように歪み、まるで氷を通してみたかのように奥の景色が滲んでいた。
明星の表情が変わった。
「これ――」
明星が、吸い寄せられるかのように、二本の丸太に一歩近づいた。
「俺、これ見たことある気がする……」
「触れるなよ」
望天から、強い声が出た。
「触れたら飛ぶからな」
突き出した明星の手が、跳ねるかのように引っ込んだ。
部屋の隅、置かれた小さな台の上で、望天が筆をとり何かを書いていた。
「転送陣っていってな。これを使うと、遠くにある同じようなもんを設置した場所に一瞬で飛んでいけるっていう、まあすげえ便利な、兵部御用達の特殊装置ってわけよ」
しばらく青白く光る渦に視線を奪われた後、明星がゆっくりと口を開いた。
「これ、昨日あんたが出てきたあの丸い円の中と似てる気がする」
「お」
望天が、にやけるように笑った。
「いい勘してるねぇ」
小さな紙に筆を走らせた後、ちぎるように台から紙をはぎ取った望天が、にやけながら明星の隣に立った。
「あんとき、俺もこれを使って出てきたんだよ」
明星の手に、望天から一枚の紙が手渡された。
紙をまじまじと見た。八角形の図柄と、何やら流れるような文字が延々と書かれている。
またこの何やら理解しがたい紙か、と明星が思った。
「これ、なんなんだ?」
「術式を書き表したもの、らしい」
望天があっさりとした表情で笑った。
「まあ俺は詳しいことはわかんねえんだけどな」
「どこからどこへ飛ぶか、それの航路図です」
後ろから若い女の声がした。
平屋の前で待っていた、背の高い短髪の女だった。小さな部屋の入り口で、相変わらず直立不動のまま立っていた。
「無数にある転送陣の中から、出口を決める。そのための術式です。そうでなければ、入ったっきり出てこれません」
「そうそれ」
「どこぞの方は、毎回これを忘れて飛び込んでいく。そしてどこぞに漂流しては救援に行かざるを得ないという、ひどく迷惑なことをされる方もいます」
強烈ににらむ女の視線から、望天がゆっくりと目をそらしてつづけた。
「つまりまあ、これには出口が必要ってことになる。こいつの欠点だな。決められた場所にしか飛べない。今回で言うと、都。ここから入って、都に出る」
「出口」
あ、と明星が小さく声を出した。
昨日、この男が突然飛び出してきたあの状況――
桃色の法衣を着た化物、あれが作り出した空中に浮かぶ青白く発光する円。
目を見開いた明星が、にやけた望天と視線が合った。
「あいつが逃げようとした入口、あれを出口として使ったってことか」
「正解」
望天から小さな口笛が出た。
「普通、あんな空中に出口なんてあるわけないからなぁ。あんなところに行きようなんて本当は全くなかった。それなのにあの草木妖、いきなりぽっと転送陣を作ってくれるんだからよ。ありがたくて笑うしかないわな」
明星を見る望天から、思いのほか他意のない笑いが出た。
「お前らの粘り勝ちってやつだな」
「完全に、結果論ではある」
いつのまにか、昴宿が袋から飛び出していた。
地面に座ったまま、昴宿が静かに声を出した。
「貴様らが来るなんて一切の予想もなかったわ。貴様ら前から見張っていたのだろう?」
静かに、昴宿が強く口を開いた。
「どちらを見張っていたのだ?」
昴宿の言葉に、望天が小さく笑った。
「まあ、その辺はいいじゃないですか」
軽く笑い、望天が後ろを振り返った。
小さな部屋の入り口で、若い女が相変わらず直立不動のまま明星たちを見ていた。
「じゃあ、行ってくる。何かあったら都度連絡してくれ」
「わかりました」
望天が両の手を胸の前に出し、小さく印を切った。
「うわ」
明星から小さく声が出た。
明星の手の中に握られた小さな紙が、強く青白く発光しはじめた。
「その紙、しっかり握っておけよ」
望天が、明星の手に握られた紙ごと明星の腕をつかんだ。その後を予想するかのように、無言で昴宿が背負い袋に飛び乗った。
強引に腕を持っていかれる。
そう思った瞬間、望天ごと明星の体が歪んだ空間に吸い込まれて行った。
*
「おい!」
耳元で、がなるように叫ぶ昴宿の声が聞こえた。
ような気がした。
気がしたのは、下から吹きつける暴風で何を言っているのかほとんど聞き取れなかったからだ。
「望天! 貴様、座標の指定はどうなってるんだ!」
確実に昴宿の声だった。明星の背負い袋に食らいついた昴宿が、吹きつける風に負けじと大声をがなりたてている。
どっと出た明星の冷や汗が、吹きつける風で一瞬で乾いて吹っ飛んでいった。
望天に引っ張られ、丸太の間の空間に突っ込まされたと思ったやいなや、ぐにゃりと視界がゆがんだ。その後、立っていた足元がなくなったような感覚は間違っていなかった。
完全に、空のど真ん中だった。
突然、眼下に広がる無数の小さな建物の上、夕日が沈む橙色の空に放り出されていたのだった。
「いやぁ~」
目の前で自由落下する望天が、明星の腕をつかみながら何一つ悪びれる様子もなく大声で笑った。
「残念ながら、私にもさっぱりですな!」
「貴様、責任をもって自力で飛べよ……!!」
吐き捨てるように言葉を出した後、昴宿が宙を滑空するように落下速度を緩めた。落下していた明星の体が、一気に持ち上げられるような感覚に襲われた。
と同時に、明星の腕をつかんでいた望天が切り離されるかのように落ちていった。
「昴宿!」
眼下で望天が落下していくのを見た明星が、焦ったように叫んだ。
「気にするな。腐っても兵部の人間だ、どうせ死なん」
地面へ落下していく途中、望天の体が小さく光った。
かと思うと、周囲の粗末な平屋に土煙を巻き上げ、そのまま地面に落ちていくのが見えた。
唖然とした明星から小さく声が出た。
「本当に大丈夫なのかあれ……」
「昨日あれが宙に浮いていたのをお前も見ただろうが」
「いやそうだけどさ」
「そんなことより、周りを見たほうがいいぞ」
ゆっくりと、昴宿に吊るされるように宙を降下する中、昴宿の声を聞いた明星が、小さな声を上げ硬直した。
遠く、地平へ落ちる夕日の中、視界一帯に建ち並ぶ粗末な平屋の群れ。その奥に建つ、白く高い壁に囲まれた一角。朱色に塗り固められた、見るからに威容を放つ荘厳な建築物の一帯。
その中心で、一つの大きな、差し込む夕日をすべて飲み込むかのような真っ黒な塊が、背の高い建物を押しつぶすかのようにのしかかっていた。
「なんだあれ……」
明星が息をのんだ。
明らかに見たことがある黒い塊だった。真っ黒な、遠目にもわかるほどあまりにも巨大な一匹のナメクジのような何か。そのただ一つの黒い塊が、一帯すべてを飲み込むかのように覆いかぶさっていた。
「面白いものが見れたな」
唖然とする明星をよそに、昴宿から含み笑いのような声が聞こえた。
「どうやら都は、とっくに
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