第 十三話 出立(三)

 思ったよりも、袋に余裕ができてしまった。


 床に広げた背負い袋の余白を見ながら、明星めいせいがじっと考えていた。


 都に行くということになったものの、何をどう用意すればいいのか全くわからなかった。とりあえず、この先着るであろう服を詰め込んでみたものの、他に何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。何が必要で何が不要なのか、あらかじめ聞いておけばよかった。


「まだやってるのか」


 縁側の下から、うんざりした口調の昴宿ぼうしゅくが、何一つ物音を立てずに跳び入ってきた。


「何をそんなに悩むのかね」

「なあ」


 明星が、隙間だらけの袋を広げ、昴宿に向けて見せた。


「都に行く準備って、何をしたらいいと思う?」

「食うものと着るものがあれば困らんだろ」


 そんな単純なものでいいのか? と明星が思った。


「それよりも、この家をどうするつもりなんだ?」


 昴宿が、太白たいはくの部屋へ向かいながら声を出した。


「どのくらい都に行くのかわからんが、一生戻らんわけでもないだろう。開けっ放しでいくことになるなら、戻ってきた時には何も残らんぞ。残したいものは別に集めて、隠しておくなりしておいたほうがいいと思うが」


 昴宿の言葉の後、立ち上がった明星が、狭い家の中を見回した。


 思ったよりも広く感じた。特別、昨日から何かが変わったわけではない。いつも通りの、小屋を改築しただけの粗末な家だ。


 そうだな、と思った。

 家主がいないのだ。


「どうしたらいいかな」

「箱にでも詰めて、穴にでも埋めてしまうのが一番だと思うが」

「大がかりな作業だな……」


 明星が、昴宿の後をつけるように太白の部屋に入った。


 五年前、太白と共にこの村に来た当時は、ここは言葉通りにただの小屋だった。雨風凌げる場所を貸してほしいという太白の言に、当時狩りに使う小屋として余らせていた村人が、手元にあるぎりぎりの金で売ってくれたのだ。

 この、土台もないただの掘っ立て小屋を、五年の歳月の間、手入れを繰り返しいつのまにか家と呼べるものにまで組み立てていたのだった。


 打ち捨てるには、心苦しかった。


「おい」


 入り口から声がした。


「準備はどうだ?」


 望天ぼうてんだった。

 頭を低く押さえながら、玄関の軒をくぐるように入ってきていた。身長の高さからして、どこでも頭をぶつけるらしい。


 明星が、太白の部屋から小さく顔を出した。


 目の合った望天が、にやりと笑って口を開いた。


宇航うこうが目を覚ましたぞ」






 平べったいせんべい布団の上で、右足に薬布を巻いた宇航がゆっくりと上半身だけを起こしてきた。


「まだ寝てろよ」

「病人じゃねえよ」


 枕元でうろたえる明星に、蒼白で汗のひかない宇航が、引きつった苦笑いをしながら答えた。


「全然、現実味がねえんだよな、これ」


 宇航が、自身の右太ももを見ながら言葉を出した。


 ひざから下が、切り落とされていた。あるべきはずの足はなく、腫れあがった太ももを縛るよう、薬をしみ込ませた布が強く巻かれている。


 昨日の夜、がれきの下から引きずり出した宇航は、意識を失っていた。

 つぶれた足を残して。


 宇航の目が覚めないうちに、望天がもう元には戻らない個所を切り落としていたのだった。


 沈黙が続いた。


 布団の奥、湯を張ったかまどの前で、宇航の祖母が薪を投げ入れる音がした。小さく、弾けるような火の爆ぜる音が、しんとした家にパチパチと響いた。


 明星が、視線を泳がせていた。


 何を話すべきなのか。会話が見つからなかった。

 都に行く、師匠が死んだ、宇航の調子はどうなのか。何か口に出そうと思いながら、何も出てこなかった。どうしても、目に入る宇航の傷跡を直視することができない。望天から宇航の家に連れてこられたが、正直どうすればいいのか、自分でもわかっていなかった。


「なあ」


 汗を拭きながら、宇航が口を開いた。


「お前、都に行くんだろ?」


 宇航から切り出された言葉に、明星が驚いた表情をして目を合わせた。


「知ってたのかよ」

「さっき、でかい人から聞いた」


 軽く笑った後、宇航の表情から笑いが消えた。


「薬師殿のことも聞いた」


 明星が、宇航から視線を外した。

 絞るように声を出した。


「俺一人、ここから逃げるみたいで悪いと思ってる」

「バカかよ」


 思いのほか、宇航から笑いが出た。


「そんなこと気にしてんのかよ。お前も大変だなって言おうと思ったら、意味わかんねえな。俺の足がこんなんなったからか」


 明星が、宇航を見たまま静かにうなずいた。


 宇航が困ったように笑った。


「俺だって、さっき薬師殿のこと聞いてよ。お前に何て言えばいいのか全然わかんねえのによ」


 宇航の言葉が、途切れた。

 しばらく無言の後、明星が覗くように宇航の顔を見た。


 頭がおかしかった。

 宇航がバカにするような笑顔で待ち構えていた。


「むちゃくちゃだな……」

「お前が暗すぎるんだよ」


 宇航の言葉に、ゆっくりと、引きずられるように明星が笑い始めた。


 宇航が手元にあった布をとった。にじみ出てくる顔の汗を、ゆっくりと自身でぬぐう。


 空元気なのだと明星が思った。体力が回復していないのだろう。上半身を起こすだけでもきついのかもしれない。笑ってはいるが、顔色は蒼白なままだった。

 どうみても笑って話せる状況には思えなかった。


「なあ。お前本当に足、大丈夫——」

「明星」


 宇航が、明星の言葉を遮るように、強く口を開いた。


「お前もう、今日にも都に行くんだろ?」


 明星が、静かにうなずいた。


「そしたらもう、しんみりした話なんか、最後くらいなしにしようぜ」


 宇航が、静かに強く笑った。


 一瞬、明星が気おされたように感じた。

 蒼白で汗のひかない宇航の笑顔、その意図するものに貫かれるように、明星の表情がきつく真剣なものになっていた。


 おそらくもう、気を保っているのもきついのかもしれない。


 ゆっくりと、明星が口を開いた。


「なあ」

「なんだ?」

「俺また、ここ戻ってくるよ。いつになるかまだわかんないけど、また戻ってくる」

「じゃあ、この前のイノシシ代はそんときでいいな」


 宇航の軽口に、明星が軽く笑った。


「俺の家、宇航が使えよ。たまに見て、きれいにしてくれたら助かる」


 無言のまま、宇航が笑ってうなずいた。


「せいぜい燃やさないように使ってやるよ」

「やめろ」

「なあ明星」


 宇航が、こぶしを突き出した。

 笑っていた。蒼白な宇航のこぶしに、明星が、軽くこぶしで突き返した。


「行ってこいよ」

「ああ。またな」






「でかい荷物だな……」


 明星の背を見ながら、望天が唖然とした声を出した。


 強烈な背負い袋だった。小さな子供なら入ってしまうのではないかというほどのものが、小さな明星の背に負われていた。

 何をどう詰め込めばいいのかわからなかった明星がとった最後の行動は、丸ごと持っていくという選択で終わった。


「中身は大して何も入ってないんだがな」


 明星の後ろからついてきた昴宿が、あきれたようにつぶやいた。


「本当に、お前の脳みそのようだなぁ」

「うるさいな……。これから何か必要になるかもしれないだろ」


 昴宿へかみつく明星を無視し、望天が腰に下げた袋に手を突っ込んだ。

 一枚の、折りたたまれた小さな巻物を取り出した。


「これが、今俺たちがいるところだ」


 明星が、望天の取り出した巻物を覗き込もうと背を伸ばした。察した望天が巻物を持った腕を少しだけ下にさげた。


 明星の全く見たことのないものが、巻物に描かれていた。


「ここな。ここ」


 巻物の上で、小さな海岸沿いの村を望天が指さしている。


「で、午後までには、ここ。この兵部につくようにする」


 無言で明星が差された地点を見ている。


 昴宿が割り込むように口をはさんだ。


「お前は地図の見かたがわかるのか?」

「わからん」

「よし」


 望天が地図を巻き、腰の袋に再度しまった。


「いくか」

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