第二章 天子おわす地
第 十一話 出立(一)
容赦なく日は落ちるのだと知った。
粉砕された本堂の跡地となった広場では、がれきの下に埋まっているであろう家族を探す人の怨嗟で満ちていた。日が暮れる前に何としてでも見つけださなければならない。だが人間の都合は何も関係もなかった。ただ日は昇り、そしてすでに落ちた。
遠く、夜の闇に塗りつぶされたような海岸に、火花のような小さな点がいくつも灯っていた。
かがり火だった。急ごしらえの火をくべる鉄柵に、大量にできてしまった薪がくべられていた。つい朝方までは本堂の一部であった木材が、真っ黒な
崖下から、強く海風が吹いていた。
海岸遠く、里山の上にある自宅から、
あの人の形をした何か。あれを切り伏せた後、明星はほかの何にも目もくれず
本行事が行われる予定だった本堂広場は、完全にがれきと死体の山となっていた。粉砕された本堂は、ろうそくの火でも燃え移ったのか、くすぶった煙を上げ消し炭になっていた。生きている人間がいることなど一切期待ができなかった中、
数人がかりで引きずり出した宇航は、右ひざから下が完全につぶれていた。海岸の避難所へ青ざめた宇航を運んだ際、宇航の祖母が見せた表情は安堵だけではなかった。
あれ以来、村へは立ち入っていない。
「食わないのか」
後ろから声がした。
手甲をつけた、背の高い男だった。
うっすらとした月明りの下、化物を切り伏せた男が、湯気の立つ椀を二つ手に持ち、口元をあげながら声をかけてきた。
ちらと見た後、無言のまま、明星がすぐにまた海岸へ視線を戻した。
「何か、見えるのか」
片方の椀をすすりながら、問い詰めるわけでもなくただ聞いてきた。
「別に何も」
「そうか」
明星の横で、しばらく汁をすする音だけが続いた。
横にいるこの男は、自分のことを
あの虚の塊が飛び去った後、一直線に広場へ向かった明星に、この男は何も聞かずについてきた。何一つこの男に説明をしないまま、明星はただ宇航を探した。それにもかかわらず、この男は、ただただ理不尽ながれきの山での捜索にも、何も言わず手伝い続けた。
気を失ったままの宇航を家族の元へ運び終わったのち、折を見て自分にこういった。
都に一緒に来い。
「思ったより、冷えるな」
男から声が出た。
「この季節の海沿いの山ってのは、やっぱり冷えるもんなんだなぁ」
男が腰に付けた布をはいだ。まとうように体に羽織った。
二人して、崖の下視線の先、ぽつと光る海岸のかがり火を見ていた。
遠く、小さな灯りを囲むように、照らされた人影がいくつもあった。かがり火よりもさらに小さく、ここからでは誰が誰だか判別もつかない。ただ、どこまでも深く暗い海のそば、かがり火に照らされた人々が、ただひたすらに集まり、長時間ずっと炊き出しを行っていた。
誰かといる理由が欲しいのかもしれない。
そうでなければもう、こんな夜は耐えられないのかもしれない。
男が、寒さのために羽織った布を脱ぎ、くるくると丸めた。ちらと見る明星を横目に、適当にたたみ石垣の上に無造作に置いた。
「飯、おいとくからな。足りなかったら鍋にまだ結構残ってる。冷える前に食っといたほうがうまいぞ」
たたんだ布の上に椀を置き、男が腰に付けた松明を手にとった。指を松明の先端にあて、小さく印を切る。
一瞬で、松明全体に火が広がった。
「な。今日はもう、早く寝たほうがいいぞ。何も考えずに、ゆっくりと寝たほうがいい」
海岸を見たまま動きもしない明星の頭に軽く手を置いた後、ふもとへ続く真っ暗な山道へと男が消えていった。今からまた、本堂跡へ手助けに行くのだろう。
男の姿が見えなくなった後、隣に置かれた、湯気の立つ椀を手に取った。
匙を手に取り、掻っ込む。
今日の朝、師匠と食ったものも同じ汁物だった。
匙を口にしたまま、涙が止まらなくなった。口に含んだ粥が、のりのようにただただべたついた。味も何もなかった。
なぜ、半日でこうなってしまった。
言葉を噛み殺すように、強く匙を噛んだ。噛んだ匙に歯が食い込むよりも、かみしめた歯肉の痛みが勝った。それでもなお強く噛んだ。
師匠は死んだ。
どうして、こうなってしまった。
「お前は本当に、すぐに泣く」
にじみぼやけた視界に、不意に白い獣が割り込んできた。
昴宿だった。
石垣の上を渡るように歩いてきた昴宿が、あきれたような声を出した後、明星のあぐらに強引に体をねじ込みどかと座った。
「何かあるたびに毎回泣くな。一体いつになったら泣かなくなるんだ」
昴宿のぶっきらぼうな言葉に、明星が思い出したように袖で目を拭った。
「泣いてねえよ。第一、なんでお前がそんなこと知ってんだよ」
ははと昴宿が笑った。
「お前のことは寝小便垂れてた頃から見てきてるからな。そんなすぐにわかる見栄なんぞ張ったところでクソほどにも意味はないぞ」
「お前むちゃくちゃ口悪いな……」
あぐらの上に乗った昴宿の耳を、仕返しでもするかのように前後左右に引っ張った。どれだけこねくり回されようと一切気にならないと言わんばかり顔で、昴宿が明星のあぐらに座り続けている。
明星が、口にくわえていた匙を椀に置いた。
「なあ。俺、思うんだけどさ。山の中でお前を何度も見てた気がする。ああ、あの真っ白いやつ、またいるって」
明星が、昴宿の耳をぴんとつまんだ。
「お前、俺のことを前から見てたんだな」
「ああ」
「師匠も、お前のことを知ってたんだな」
「そうだ」
昴宿が頭を振り、明星の手を耳から外した。
「お前よりもずっと、長い付き合いだったよ。もっと早く終わるはずだったのが、こんな長い付き合いになってしまった。そんな人間だったよ」
崖下、遠い海岸で、小さなかがり火が揺れる点のように見えた。
この離れた距離からだと、まるで星の瞬きのようにすら見えた。
一瞬、下から強く風が吹いた。
晩秋の夜、薄い上着だけを羽織っていた明星が、吹き抜ける風に小さく身震いした。
「なあ」
明星が、小さく笑いながら口を開いた。
「俺、明日、あの望天ってのと一緒に都に行くよ」
「そうか」
昴宿が、ただ静かに頷いた。
「師匠の昔からの知り合いだっていうしさ。それに、あの黒いのをぶちのめす方法も教えてくれるらしいし」
「そうか」
「意外と、見た目よりも怖い人間じゃ無さそうだしさ。それに、あんな術使うやつ相手なら、俺のこの手から生える木のことも気にしなくて済むだろうし。あと、都ならほら。きっと、多分だけど、もっと面白いこともいっぱいあるだろうしさ。それに――」
小さく、笑いながら話していた明星の口が、小さく震えながら、ゆっくりと角度を下げていった。
「もう、この家にいるのも、つらいしさ」
絞り出すような声だった。
あぐらの上で丸まっている昴宿の首に、明星が腕を絡ませた。小さな嗚咽と共に、崩れるようにうずくまった。
「俺が、祭りなんて見に行ったりしなかったら師匠は——」
「明星」
昴宿が、一言だけを口にした。
突然の、今までの昴宿とは違う雰囲気に、明星の次の言葉が止められた。
「お前が、お前の物差しで
明星から、絞り出すような嗚咽が出た。
「それに、お前が祭りに行っていなかったら、あの小僧は生きていなかったろう?」
「……小僧?」
「おや?」
昴宿が不思議そうに声を出した。
「あの、昼間掘り起こしたお前の友人だよ。あいつの腰に護符を結びつけたのは、お前だろう」
明星が、何かに気づくように顔を上げた。
「護符――」
「お前が今日、祭りを見に行かずに、あの太白の護符を持っていなかったなら。そしてお前があの虚を、お前自身が射抜きぶち殺さなかったなら。あの小僧はとっくに死んでしまっていただろう?」
明星の表情が、固まっていた。
昴宿が、ゆっくりと言葉を吐いた。
「お前が、あの小僧を助けたんだよ」
石垣の下、強く、風が吹いた。
明星の隣に置かれていた布が、風に舞い地面へ流れるように落ちていった。
「なあ、明星」
昴宿から、思いのほか柔らかな声が出た。座っていた明星のあぐらからするりと抜け、石垣の上で軽く伸びをした。
「私も、お前についていくことにするよ。太白のことは、今度また話そう。それに——」
昴宿から、一転してあっけらかんとした声が出た。
「あの太白……。最後の最後になぁ。あの状況でお前を頼むとか、とんでもない呪いを残していきよったわ。やっとお前のお守りから解放されると思ったのに、いまだに信じられん」
そういって、昴宿が無音で地面へ降り立った。
栗色の髪の奥で、明星が鼻をすすり笑った。
「なんだよお前、素直に一緒に行くって言えよ」
「うるさいな。いいからもうお前はさっさと寝ろこの寝小便太郎」
「いつの話だよ……。お前本当に口が悪いな……」
あきれたような声を無視し、昴宿が山の中へ消えていった。
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