第25話 あなたは一体なんなんですか?

『ハイツ柿ノ木』の敷地に入ると、ジュージューと鉄板の上でソースが焦げる香ばしいにおいが漂ってきた。見れば、建物の前にある庭にバーベキュー用のグリルと鉄板を広げて、お好み焼きを焼いている真っ最中だった。


「おう。先に始めてるぞ」


 皿にお好み焼きを乗せた雄星が、そう言って出迎えてくれる。


 雄星はアメリアに視線を向けると口を開いた。


「オーディション、受かったんだってな。おめでとう」

「ええ。ありがとう」

「いやいやいやいや!」


 その会話にはツッコまざるを得ない。


「結果、まだ出てないだろ!」


 まだ実際に受かったと決まったわけではない。あくまでアメリアの自己申告だ。


 常識的なツッコみを入れたにも関わらず、雄星が白けた視線を向けてくる。


「お前、そういうこと言うか~? 祝いの席だぞ、仮にも」

「俺、なんもおかしなこと言ってないはずですよね!?」


 正当性を主張しようとしたが、するりとアメリアがソースのにおいに惹かれてその場から離れていく。彼女の目は、今や絵麻が手際よく鉄板の上で焼いているお好み焼きにくぎ付けだ。いつの間にかアメリアの両手にはソースとマヨネーズまで握られている。


「はいよっ! おらおらおらおらっ、秘奥義・天地返し!」

「それ、ジャンル違いの大技ですから! ジロリアンから苦情来るんでやめてください、そういうの!」


 律儀にも入れたツッコみは、しかし華麗にスルーされてしまう。


 肩を落としたところに、「ほらよ」と半分に切ったお好み焼きの乗った皿を雄星が手渡してくる。焼いてからそれほど時間が経っていないのか、まだほんのりと熱を持っていた。


「あ、ありがとうございます」

「座って食おうぜ」


 と、雄星が指差したのは、アパートの外壁沿いに二台置かれているベンチだ。片方のベンチにはノンアルのビールとノートパソコン片手に沙苗がすでに座っていたが、もう片方は空いている。


「沙苗ちゃん。お隣、失礼しますよっと」


 しかし雄星は、わざわざ沙苗の隣を選んで座った。ただでさえ悪い沙苗の目つきが、さらに凶悪なものとなる。


「寄るな種馬。バカが感染うつる」

「相変わらずキツいなー、沙苗ちゃん。オレとしては、もうちょっと打ち解けたいところなんだけど」

「仲真にはもう、いい感じの仲になった相手が何人もいるだろう。よろしくやりたいならそちらとどうぞ」


 冷淡な言葉を言い放ちながら、カフェイン錠とブドウ糖の錠剤を彼女はビールで流し込む。


 それからなにかに耐えるように、ぎゅっと両目をきつく瞑った。


「……叔母さん、大丈夫ですか?」


 少し心配になって、文則が問いかける。


「問題ないわ。ちょっと最近、胃の調子が悪いだけ」

「いや、そりゃ……叔母さんみたいな生活してたらそうもなりますって」


 カフェイン錠とブドウ糖で意識を無理やり覚醒しながら、何徹もしながら漫画を描く。普通の神経なら、ちょっとできることじゃない。体よりも先に、精神の方がむしろ参ってしまいそうだ。


「さすがに寿命縮めますって。ほんと、そのままだと早死にしかねないですよ」

「なに、文則? あんた、長生きでもしたいわけ?」

「そりゃ、まあ、人並みには」

「下らない人生ね」


 沙苗がそう言って冷笑を浮かべる。幼い顔立ちには似つかわしくない、残酷にも見える冷たい表情。


「でも――」

「文則。私は二十歳になったばかりの頃に一つの誓いを立てたわ」


 そう言って沙苗は文則を鋭い視線で見据えてきた。


「百年の薄っぺらい人生を生きるぐらいなら、四十年の濃密な人生を生きる。それが私の決めたこと」


 だから、とビールをぐいっと煽って空にすると、最後の言葉をぽつりと呟いた。


「だから……体なんていくら壊れたって構わない。私が決めたことだから」

「……」

「――少し、話しすぎたわね」


 そう言って沙苗が、ノートパソコンを畳んで立ち上がる。


 その場を立ち去ろうとする背中に、文則は声をかけた。


「叔母さん。お好み焼き、いらないんですか?」

「重くて脂っこい食べ物は、私の胃には、ちょっとしんどいのよ」


 肩越しに振り返ってきた沙苗は、目元だけでちょっと笑うと、そう言ってそのまま去っていった。


 沙苗の背中を呆然と見送る。叔母の生き急ぐような在り方は、見ているこちらがなんだか心配を覚えてしまう。沙苗からしてみれば、余計なお世話なのだろうが……。


「ま、沙苗ちゃんは修羅の世界の人だからな。あんま、気にしすぎんなよ、文則」


 そう言って雄星が肩を叩いてくる。


「それより、食おうぜ。旨いぞ」

「あ、はい」


 促されて、文則はお好み焼きを口に運ぶ。ふんわりとした食感で、焦げたソースとかつおぶしと青のりの香ばしさが鼻と舌を喜ばせてくれる。店で出してお金を取ってもいいぐらいの旨さだった。


「旨いっすね……」

「絵麻、実家がお好み焼き屋さんだからな」

「それは意外過ぎる情報です」

「コテ持たせたらちょっとしたもんだぞ。まあ、あいつの店、外も中も壁から天井まで落書きでびっしり、なんだけどさ」

「そこは絵麻センパイっぽいです」

「だろ。しかも絵が無駄に上手いもんだから、消すより残しといた方が客の食いつきもいいんだよ。おかげさまで、今やプロの漫画家様だ」


 おどけた口調で雄星は言うが、その言い方にはどこかコンプレックスが滲んでいるのが文則には分かった。


「雄星さん……」

「――悪かったな」


 だしぬけに、雄星がそう謝ってくる。


 謝罪の理由が分からず、文則は雄星へと目を向けた。隣に座っている雄星は、いつの間にか遠い目つきで空を眺めている。


「代役が務まるやつなんていくらでもいるって言って、田舎に帰れって追い詰めたことだよ」


 空から文則へと視線を逸らし、気まずげな笑みを雄星が浮かべる。


「あれは……正直、だいぶキました」

「だよな」

「否定とか、できたらもっと楽だったんですけど。雄星さんの言ったことは事実でもあったんで、なおさら」


 でも、と文則は言葉を続ける。


「おかげで自覚してなかったことや、自分でも目を逸らしていたことに気づくことができたので、結果的には言われて良かったことなんだと思います」

「そう言ってくれると、憎まれ役をやった甲斐もあるってもんだ」

「雄星さんのことは、今でも思い切りぶん殴ってやりたくはありますけどね」

「暴力は、より大きな暴力を産みだすことしかできないって、歴史が証明してくれてるぜ?」


 そう言って雄星がちょっと笑う。文則も、「ぷっ」と吹き出した。


「……あの日な。なんか、すげえ、苛々してたんだよ」

「なんとなく、いつもと様子が違うなとは感じてました」

「オレは、絵麻と一緒に漫画動画をネットに上げたりとかしてるわけじゃん。でも、やっぱ悔しくてな。沙苗ちゃんやアメリアちゃんが、ずっと一緒にいたオレよりもあいつと通じ合ってるとこ見ちゃうと」


 あの日、絵麻が新しく作ってきたアニメーションの映像を見て、三人は次の創作に向けてモチベーションを高めていた。文則も雄星も、それを蚊帳の外から眺めていることしかできなかった。


「あのあと、一人になった時にな。オレのSNSに、まだデビューしたばかりの漫画家から連絡が入ってたんだよ。自分の脚本で、絵麻に漫画を描いてもらいたいってさ。気合の入ったことに、ネームとプロットまで添えて」

「……」

「ま、絵麻の名前利用して売名したいって魂胆なんだろうな。そういうやつはこれまでもいたし、これからもきっとたくさん出てくる。だからそういう時は、オレ、一律で『オレは彼女のマネージャーではないので話を請け負いかねます』って返してるんだわ。ただ、まあ、その時は向こうから返ってきた言葉がやたら胸に刺さった」

「なんて、返ってきたんですか?」

「『じゃあ、あなたは一体なんなんですか?』だとさ」

「……」

「オレってマジでなんなんだろうな、って考えたら、やたらとむしゃくしゃしてきたんだよ。ほんとはただの張りぼてで、中身なんてなんもないんじゃないかって思ったら、無性に誰かに八つ当たりしたい気持ちになっちまったんだ」

「そこにやってきたのが、俺だったと」

「そういうわけだ。しかもあの時のお前は、一発殴ればあっさり沈む、実に都合のいいサンドバッグ。だからほとんど、条件反射でぶん殴った」

「鬼畜の所業じゃないですか」

「正直、返す言葉もねえよ。自分より傷ついてるやつ見て自分の傷を癒そうなんて、大人げないマネして悪かった」

「だから、謝罪は別にいらないですって。それよりも……」


 そこで文則は庭の方へと目を向ける。そこにはアメリアがいて、そして絵麻がいる。絵麻は今

も楽しげに、コテを操ってお好み焼きを焼いていた。いつの間にか集まっていた近所の子どもたちが、口の周りにソースをくっつけながら絵麻の焼いたお好み焼きを頬張っている。


「俺、絵麻センパイが雄星さんをたまたま好きになっただけとか、そういう風には思わないんですよ」

「お前……」


 それは、以前雄星と話したことの続きだった。絵麻の近くにいたのがたまたま自分で、だから彼女は自分を好きになっただけに過ぎないと、そう雄星は言ったのだ。


「絵麻センパイ見てれば、そういうのけっこう分かると思うんです。雄星さんだって、本気でそう思ってるわけじゃないでしょ」

「……オレとあいつの間にある問題は、ただそれだけのことじゃないんだよ」


 ため息。息を吐き出した雄星が、すっとその場で立ち上がる。


「才能とか、天才とか、そういう言葉がどうしたって絵麻にはついて回ってる。その言葉にコンプレックスを抱かなくて済むぐらいにならないと……オレは結局、あいつの隣になんて立てない」

「……それは、そうかもしれませんけど」

「時々、オレは思うんだ。絵麻がただの凡人で、朗らかで明るいだけのやつなら、オレ達はもっと当たり前にくっつくことができたんじゃないかって」


 それは雄星の本心なのだろう。その目元には、どこか哀愁が滲んでいた。


「それは……考えても仕方のないことですよ」

「……」

「だって、雄星さんが好きになったのは、天才で、才能があって、きらきら輝いている絵麻センパイなんですから」


 呟くようにしてそう言った文則を、雄星が見下ろす。


 そして口元に、「そうだな」とふっと笑みを浮かべると――固く握った拳骨を彼は文則の頭へと下ろした。


「いてぇ!? 今、なんで俺、殴られたんですか!?」

「余計なこと言うからだ」

「いやいや、むしろ良いこと言った雰囲気でしたよ! 暴力は、より大きな暴力しか産みださないって歴史が証明してるって言ったの、雄星さんじゃないですか」

「その言葉の続きを教えてやろうか?」

「とりあえず聞きます」

「さらに大きな暴力で鎮圧すればそれは正義だと、人の歴史は語ってる」

「やっぱあんた、人でなしだよ!」

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