第26話 才能なんて関係ない

 オーディションを終えたアメリアからは、それまでが嘘だったかのように、覇気ややる気の欠片もなくなっていた。六月も半ばも過ぎ、中間テストも近いというのに、ラウンジでぼんやりと過ごしたりすることも増え、まるで日向で丸くなっている猫のようにだらだらとしている有様だった。


 放っておくと本当にそのまま床やソファの染みになりそうな有様だったので、面倒を見るのは大変だった。特にお風呂が大変だった。シャワーすら面倒くさがって浴びようとしないので、文則が頭やら体を洗う羽目になったのだ。しばらくは、柔らかでもちもちとしたあの感触を忘れることはできないだろう。心臓に悪いので、本当にああいうのはやめてほしい。


 それでも三日が過ぎる頃には、再びやる気を取り戻し始めた。声優としてアメリアが請け負っている仕事は他にもまだまだたくさんある。それらの仕事をこなすため、台本のチェックや役の勉強に没頭する、それまで通りのアメリア・エーデルワイスに戻るのはすぐのことだった。


 そんなアメリアを見ていると、意識しないわけにはいかない。アメリアに意識されるような何者かになりたいと、そう思った心の奥底で、沸々と湧き上がってくる気持ちがあった。


 ――その日、文則は、部屋に襲撃をしかけてきた絵麻とゲームで雌雄を決している最中であった。


 部屋のモニターに映されているのは、無印が発売されて以来、愛され続けている対戦型のぶっ飛ばしアクションゲームだ。もちろん、文則だってそれなりにやり込んでいる。全キャラのデータは一通り頭の中に入っているし、バグ技の修得にも余念がない。なんなら地元ではほとんど負け知らずといってもいいぐらいの腕前だ。


 しかし、そんな文則の腕も、絵麻には遠く及ばない。


 フレーム単位で見切られるこちらの攻撃はほとんど当たらない上に、向こうの反撃は面白いぐらいよく通る。難しいコンボだって連続で決められて、一度もストックを落とせないままに負けることだって珍しくなかった。


「うおー、また負けた。強すぎっすよ絵麻センパイ」


 もう何度目になるか分からない敗北に、コントローラーを投げ出して文則が仰向けに寝転がる。そんな文則に向かって絵麻が勝利のVポーズ。


「甘々ちゃんだよノリフミ君! とりあえずオンライン対戦でVIPルームに入れるぐらいにならないと」

「それ、世界人口の上位三パーセントしか入れないやつじゃないですか。無茶言わないでくださいよ」

「わたしはVIP入りしてるも~ん!」


 オタクが高じてゲームも好きな絵麻は、当たり前のようにアクションゲームの腕も高い。ストリートでファイトする方の格ゲーも、前にやったがまるで歯が立たなかったのを覚えている。


「っていうか即死コンボは卑怯っすよ。もうちょっと手心加えてくださいよ」

「ゲームは遊びじゃないんだぞ! 手加減なんて、できるわけないじゃ~ん」

「いや、ゲームは遊びでは……」


 そんな文則の正論もまるで絵麻は聞いてない。それどころか、ネットに繋いでオンライン対戦を始めている。選ぶキャラはピンクの悪魔。エグい勢いで、敵相手にコンボを決めまくっている。


 画面に集中している絵麻の横顔を眺めながら、ふと、その質問を文則は口にしていた。


「……絵麻センパイは、なんで漫画描こうと思ったんですか」


 何気ない問い。だが、文則の方は、わずかばかりの緊張を感じていた。


 そんな文則の方を振り返り、絵麻はパァっと表情を輝かせる。もう、自分の対戦なんて目に入っていない様子だ。画面の中で、絵麻の操作していたキャラが、鬱憤を晴らすかのようにボコスカやられまくっていた。


「ノリフミ君、漫画描くの!?」

「え、いや、そういうわけじゃないっすけど……」

「なんでだよ~、描こうよ~!」


 襟首を掴んできた絵麻ががっくんがっくん首を揺すってくる。その衝撃になんとか耐えながら、文則は絵麻を必死で引きはがす。


「ちょ、ちょっと! そんなに揺らさないでくださいよ!」

「細かいことはいいんだよ~! っていうか、漫画いいじゃーん楽しいよー! ノリフミ君がどんな漫画描くのか、わたし興味あるんだも~ん!」

「興味って……いや、でも俺、才能なんてないですし」

「え~?」


 文則の言葉に、絵麻がハテナマークを頭の上に浮かべて首を傾げていた。


「なにか新しいこと始めるのに、才能なんて関係なくない?」

「それは……」


 絵麻だから言える言葉のような気がする。多分、才能がないということを、絵麻はあまりよく分かっていないから。


「そ、それより。俺のことなんかより、今は絵麻センパイの話ですよ。なんで漫画描き始めたのかって」

「??? え、なんでって?」

「だって、理由とか、あるんでしょ。普通、そうでもなかったら漫画なんて描けないじゃないですか」

「理由……理由か~」


 う~ん、と腕を組んで考え込んだ絵麻は、やがて「うん」と首を縦に振る。


「理由はね……楽しそうだったから!」

「はあ……」

「で、描いてみたら楽しかったからかな!」


 すごいシンプルだった。漫画について語る表情は溌剌としている。


「どうやったら、俺もセンパイみたいに考えられるようになるんですかね……」


 ため息がこぼれ出る。そんな文則に、絵麻が「ねえねえ」とすり寄ってくる。


「で、ノリフミ君はどんな漫画描いたの?」

「あ、いや、それは」


 つい、机の二番目の引き出しに視線が吸い寄せられる。そんな文則の反応を敏感に察知した絵麻が、「そこだな!」と机に飛びついていた。


「あ、ちょ、プライバシーの侵害ですよ!」

「そんなもんはなーい!」

「ありますって!」


 素早く引き出しを開いた絵麻が、目ざとく原稿を見つけて引っ張り出す。


 それに目を通されるより前に、文則は神業的な手さばきで絵麻から原稿を奪い返した。


「こ、これはまだ未完成なんで! 途中までしかできてないんで!」

「そーなんだ! じゃ、完成したら読ませてね! 約束だよ!」

「え、ええ、はい、その時は……」


 流れで約束までさせられてしまった。これはいつか本当に、見せないといけない日が来るかもしれない。たらりと冷や汗が額を垂れる。


「あ、そうそうノリフミ君。アニメのオープニングだけちょっと作ってみたんだ~。見て見て~」

「え、もうできたんですか、あれ」

「うん! わたしのアカウントで映像だけもう流してみた!」


 絵麻のつぶやきアプリのアカウントを開いてみると、一番上にそのオープニングは置いてあった。『自主制作にてアニメ化計画、始動!』の文章と共に、画面の中で、滑らかに動き回る悪役たち。そのクオリティはテレビで普段流れているものと比べても遜色がない。


 その証拠に、リツイートもいいねもドン引きレベルでされている。リツイートは投稿から二日で五百万、いいねに関しては千三百万を超えていた。


「やっば……」


 映像だけで、声も音楽も入っていない。それでも見ごたえは十分すぎた。


「なんかモチベ上がってきたな~。ちょっと作業の続きしてこよ~っと」


 そう言って、コントローラーを放り出した絵麻がドタバタと部屋を駆けて出ていった。


 だが、すぐに部屋に戻ってきたかと思うと、


「あ、漫画できたらちゃんと言ってね!」


 と、文則に声をかけていく。


「うーっす……」


 力なく手を上げて諒解を示すと、にんまり笑って絵麻が再び外へ出ていく。


 その背中を眺める文則の頭の中では、彼女の言った、『なにか新しいことを始めるのに才能なんて関係ない』という言葉がずっと流れていた。そうだといい、と文則は思った。

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