第23話 出ていきません
『ハイツ柿ノ木』に着くと、アメリアはオーディションの準備をすると言って自分の部屋へと入っていく。
文則もまた、自室に向かった。
ベッドの上に仰向けに寝転がる。アパートに残ると決めたおかげか、少しすっきりとした気分だった。
「都会に来れば、なにかがある……か」
思い返してみれば、確かに色々なことがあったのだ。
アメリアと出会い、絵麻や雄星とも交流を深め、漫画に向き合う叔母の背中も知った。彼らとの日常は苦労することも困らされることも多かったけど、それ以上に刺激的だった。
だから実は、とっくに『何か』になんて出会っていた。今まで文則がちゃんと見ようとしてこなかっただけだ。
今は多分、ようやくその入り口に立ったところ。本当の意味で『何か』を得るには、きっとまだまだこの先の道は長いのだろう。でも、そうやって道を突き進んだ先に、アメリアも、絵麻も、沙苗も暮らしている。
彼女たちの見ている地平は、いったいどれだけ頑張れば自分も眺めることができるのだろうか。それはきっと、途方もない努力が必要となることだろう。
「そのことも、ちゃんと考えないとな……」
そう呟いたところで、部屋の扉が外から開かれる。
「邪魔するぜ」と言って入ってきたのは雄星だった。
「よう、おかえり。デートはどうだったよ」
「なんていうか、すげえ、さんざんでした」
「そうかよ。ま、それも大人の階段の入り口ってやつだ」
爽やかに笑って、雄星が適当にクッションを拾って尻の下に敷く。
ベッドの上で身を起こすと、文則は雄星に向かって口を開いた。
「ほんと、さんざんだったんすよ。アメリアにはボコボコにされるし」
「マジでなにがあったんだよ」
「平凡で、臆病者で、小心者って罵られました」
「へえ。よく分かってんじゃん、アメリアちゃん」
「そうなんすよ。分かられちゃってたんですよ」
ぽつりと呟く。
「……アメリアは普通じゃないから、どうせそういうのは分からないんだろうって、どっかで思ってたんすよね」
「超然としていて、不思議ちゃんなもんだから、人の心の弱さってやつには疎いだろうと、そうたかをくくってたわけか」
「逆に雄星さんは、なんでそんなに分かっちゃうんですか」
仏頂面でそう返すと、雄星はフッと鼻で笑った。
「そこは、企業秘密ってことにしようぜ、後輩よ」
そう言いながら雄星が左手で耳のピアスに触れた。
「ごまかさないでくださいよ。……絵麻センパイが関係してるんですよね?」
「あー……」
「雄星さん?」
「それ、分かってても触れないのが人情じゃね?」
「俺、雄星さんに対して発揮したい人情、今ちょっと残ってないんですよ」
「ま、オレもお前にはさんざん言ったしな。おあいこってやつか」
苦笑交じりに雄星はそう言う。
そして。
「……絵麻がオレのことを好きだってのは分かってる。でも、ここまであいつに先を行かれてるってのに、あいつのことを好きとか言えるわけがねえんだよ」
と、心の内を吐露した。
「……先とか後とか、肝心の絵麻センパイはそんなの気にしないって分かってるじゃないですか」
「オレが気にしちまうんだよ。どんな顔して、絵麻の隣に立てばいい? どんなツラで、あいつの恋人を名乗ればいい?」
「そんなの……」
「たまたま幼馴染で、絵麻にはオレ以外にろくに友達もいなかったから、絵麻は近くにたまたまいたオレを好きになっただけだ」
「……」
「絵麻はきっと……いや、絶対、この先もっと成功する。なのにその隣で足踏みし続けたまま、のうのうと彼氏面なんてできるわけがねえんだよ。……少なくとも、オレにはな」
「だからって、本当は隣にいたいのにそこにいると苦しくなるから、他の女の子で寂しさを紛らわせてるんですか?」
「そういう情けないことは分かってても言うなよ」
そう言って雄星が「ハッ」と笑う。しかしその笑顔は明るいものじゃない。むしろ翳りのある、暗い表情ですらあった。
「……ま、だからつまりはそういうこった。
しかしその翳りも一瞬のことで、次の瞬間には雄星は明るい口調を作って言葉を続ける。それが、暗い雰囲気を引きずらないようにという彼の気配りだということが文則にも分かった。
「雄星さん。聞いてくれますか?」
「どうせ話すんだろ。言えよ」
「俺……『ハイツ柿ノ木』、出ていきません」
「……」
「やりたいこととか、そういうのはまだ分かんないですけど……どうなりたいのか、見えたような気がするんです」
それは、アメリアの視界に割り込んでいけるようになること。
彼女を振り返らせることのできる、そんな自分になるということ。
それを語ると、雄星は少し目を丸くして驚いていたけれど、最後には笑って「頑張れよ」と言ってくれた。
文則は、そんな雄星に言葉を返す。
「雄星さんも、頑張ってください」
「……」
「さっきの雄星さんの話って、つまりそういうことですよね?」
「ちょ、文則、お前、おい」
「あれって、雄星さんも絵麻センパイのことが……」
そこまで言ったところで、顔を赤くした雄星が飛び掛かってくる。
そのままヘッドロックを決められて、無理やり言葉を中断させられた。
「いだだだだだ!? い、痛い痛いですって!」
「人の本心に無断で踏み入った罰だ、罰!」
「本心ってことは、やっぱり絵麻センパイのこと好きなんじゃ……あだ、あ痛い痛い痛い!」
「言いやがったなてめぇ~~~~~!」
ベッドの上でそんな風に取っ組み合いをしていると、部屋の扉が再び『バーン!』と開かれる。
「なにかな~なにかな~。なんだか二人ばっかり楽しそうにしてる気配がする! わたしも混ぜてほしいな~♪」
「「絵麻(センパイ)は来るなー!」」
こうして今日も、『ハイツ柿ノ木』のドタバタと騒がしい日常風景が始まる。
それが愉快で楽しくて幸せな時間だということを、今の文則はもう、分かっていた。
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