第21話 キスと取材と
結論から言うと、文則の頼みはすんなりと通った。「やっぱり明日、俺がアメリアとデートに行ってもいいですか?」と雄星に聞いてみれば、「おう、頑張れ」と笑顔すら浮かべて雄星は文則の肩を叩いてきた。
だけど去り際、雄星は文則に向かってこんなことを言ってきた。
「で、言い出したのはお前の意志か? それとも絵麻に頼まれてか?」
「それは……」
絶句。本当に、雄星は人の図星を突くのが上手い。
文則の反応を、雄星が鼻先でせせら笑った。
「そういうところだぞ、お前」
「俺は……」
「いいっていいって。なにも言うな。明日はお守り、頑張れや」
それだけ言って、雄星は文則の鼻先で扉をぴしゃりと閉めた。
「なんで……」
しばらくその場に立ち尽くしたまま、文則は力なく呟く。
「なんで、そんなに分かっちゃうんですか、雄星さんは……」
***
翌日、昼前ぐらいの時間に部屋まで迎えに行くと、アメリアはすでに起きて、なんと着替えまで済ませていた。
「……お、お前、いったいなにがあったんだ?」
パジャマでもTシャツ一枚でもなく、普通の外出用の服を着ているアメリアを前にして、文則は絶句する。
そんな文則に、アメリアはきょとんとした顔で言葉を返した。
「なにを驚いているの?」
「だ、だって、お前服……それ、自分で?」
「そうよ」
「なら、なんでいつも俺に着替えさせるんだよ!」
思わず突っ込むと、アメリアは今度は反対側に首を傾げて「変な文則」と呟く。
「当たり前じゃない。だって自分で着替えるのは面倒だもの」
「俺だって人の着替えの面倒まで見るのは面倒くさいわ!」
「でも、今日はデートだから」
話の流れを無視したアメリアがそんな言葉を挟んでくる。
「様々な文献によると、デートの日は、女の子は自分で選んだ服を着て、一緒にデートする相手にその格好を褒めてもらうために一生懸命頑張るそうよ」
「そういうものなのか」
「文則こそ、なぜ?」
「なぜって……なにが」
「今日来るのは雄星だったはずよ」
その言葉に、思わず言葉を詰まらせそうになる。しかしそれでも、唇はどうにか動いてくれた。
「き、今日は、その……俺がやっぱり雄星さんと代わることになって」
「そう。なら今日はよろしく」
「あ、ああ……よろしく」
あっさりとしたアメリアの態度に、文則は思わず拍子抜けする。非難なりなんなり、言われるものかと覚悟していたが、そんなこともない。あくまでいつも通りのアメリアだ。
「じゃあ、文則。手を」
そう言ってアメリアが文則の前に右手を差し出してきた。
「え?」
「繋いで」
「繋いでって……」
「デートだもの」
透明な瞳が、「早くしろ」と促してくる。
「取材はもう始まっているわ」
「あ、ああ……」
言われるがままに手を繋ぐと、ひんやりとした柔らかい感触が伝わってきた。だけど、それを堪能するような余裕は文則にはない。心臓がバクバクと主張をし始めたから。
「じゃあ、行くわ」
「ああ、うん」
「ついてきてね」
そう言って、アメリアが先に立って歩き出した。そのあとを文則はついていく。
そのまま道に出て、そして……。
「おい、アメリア」
「なに?」
「ファンタジアランドに行くつもりなら、駅に向かう道の方向が違うからな?」
「知ってるわ」
そう言ってアメリアは、今度は反対側へ向かって歩き始めた。
「だから、おい!」
「なに?」
「そっちも道、違うから! 本当は分かってないだろ、お前!」
「分かってるわよ」
少しムキになった口調でアメリアがそう言い返してきた。
しかしそのあと、ちょっとだけ文則から目を逸らして、小さく呟く。
「方角は、分かってるわ」
「ほう、なら、どの方向に駅があるのか指差してみろ」
「こっちよ」
そう言いながらアメリアが指差したのは、行くはずだった駅とはちょうど反対側だった。
「やっぱり分かってないじゃねえか! もういい、こっちについてこい!」
「漫画だと、日向が男の子を引っ張っていったのに」
「そこにこだわって、いつまでも遊園地に辿り着けないなら、それこそなんの意味もないだろ!」
「辿り着けるわ。きっと」
「それ、辿り着けないやつのセリフだからな!?」
そのあとは、これといった問題も特になく、文則とアメリアはテーマパークに到着した。
いや、問題はひとつだけあった。移動の最中、駅の改札を抜ける時以外は、ずっとアメリアと手を繋いでいた。そのせいで人の目がずっと恥ずかしかったし、なによりもやたらドキドキして、手汗までかいてしまったほどだ。アメリアにもそのことはきっとバレていたと思うと、恥ずかしさはさらに倍。秒単位で増幅していく羞恥心のおかげで、精神的にはそれはもう大変なことになっていた。
「な、なあ。手、ずっと繋いでいないとダメなのか?」
と途中で文則が問いかけても、アメリアは無情にも「ダメよ」ときっぱり言ってくるのだ。
「漫画では、ずっと繋いでいた。こんな風に」
「……っ、ちょ!?」
ごそごそと、指と指とを組み合わせた、いわゆる恋人繋ぎにアメリアが手の繋ぎ方を変化させる。そのことにうろたえている文則に向けられる周囲の視線が生温かいものだから、恥ずかしさのあまり、いっそ消えてなくなってしまいたいとすら思った。
テーマパークのゲート前は、花壇の植え込みになっていた。そこにあるベンチに文則を座らせると、アメリアは「少し待ってて」と言ってちょっと離れたところにある自販機へと小走りに駆けていく。
そこで飲み物を買って戻ってきたアメリアの手には、二本の缶飲料が握られていた。一つは微糖の缶コーヒー。もう一つは缶のコーンクリームスープ。
「あげるわ」
「あ、ああ。サンキュな」
「文則はこっち」
微糖に伸ばしかけた手に、コーンクリームスープの方が押し付けられる。
「え? 俺、こっちなの?」
「そうよ」
「なんで?」
「漫画ではそうなってたから」
「だから俺にもこっちを飲めと?」
「そうよ。今日はなるべく、漫画のシチュエーションに寄せていこうと思っているわ」
それもまた、取材だから、なのだろう。もともとその目的で今日はここを訪れているのだから、文則の側にも否やはない。今日、この場で文則が求められているのは、アメリアの要望に合わせること。それだけだ。
そこでふと思って、文則は口を開いた。
「漫画のシチュエーションに寄せるなら、俺も相手役のセリフとかを言った方がいいのか?」
「その必要はないわ」
「どうして?」
「文則にはもう、別のことを頼んであるもの」
「別のことって?」
その問いには答えずに、アメリアは文則の隣に座って、静かに缶コーヒーを傾ける。
やがて中身を飲み干すと、彼女は文則と再び手を繋いでこう告げた。
「じゃあ、行くわ」
「あ、ああ……」
促されて立ち上がる。
受付で優待券を渡してゲートをくぐると、そのあとはびっくりするぐらい普通に遊園地のアトラクションを楽しんだ。
めぐる順番や、時折立ち寄る出店にはアメリアの指示が入ることもあるけれど、それ以外ではごく普通の遊園地デートに見えると思う。学生の恋人らしい、可愛らしい青春の一幕。
だけど文則は、どこかいまいち楽しめていない自分がいることに気づいていた。ジェットコースターに乗っても、年甲斐もなくコーヒーカップなんてものに乗っても、なんだか盛り上がらない。遊んでいる、という気分になかなかならない。
隣で手を繋ぐアメリアが淡々としているからかもしれない。オーディションに向けた取材だという意識があるからかもしれない。けど、心のどこかで、今自分がいるポジションは誰が相手でも務まるものだったのだろうと感じているのも事実だった。だから、心から楽しめない。ここに自分がいなければならない理由がないことに、もう気づかされてしまっているから。
夕方まで一通りアトラクションを見て回って、チュロスやホットドッグなんかでお腹を満たして、最後に乗ったのは観覧車だった。本来の恋人同士なら、きっとかごの中を甘酸っぱい空気で満たしたりもするのだろう。
だけど、アメリアと文則の二人では、そんな空気になったりしない。二人の間に流れているのは、どこか淡々とした雰囲気だけだ。冷めている、ともまた違う。冷めるとか冷めないとか、それ以前の問題として、そこには恋とか愛とかそういう類の感情が存在していない。二人は恋人同士なんかではないのだから、当然だ。
「これが終わったら、取材はそれで終了か?」
アメリアの反対側に座った文則は、窓の外の景色を見下ろしながらそう問いかける。時間は午後五時を少し回ったところで、ライトアップされた園内からは家族連れの客が帰り始めていた。
「まだよ」
文則の問いを、端的にアメリアは否定する。
「まだキスが残っているわ」
「……おい」
「デートの最後に、遊園地の中央にある噴水の前でキスをする。漫画のシチュエーションではそうなっているわ」
その言葉に、文則はまさかと思いつつアメリアの表情を窺った。
「……それも本気でやるつもりなのか?」
「ええ」
ためらいなくうなずくアメリアに、文則は思わず言葉を失う。
「シチュエーションの再現は演技に必要よ。解釈を固める上で活きてくるから」
そう言われてしまえば、文則に返せる言葉はない。心にモヤモヤとした感情を残しながらも、黙り込むことしかできない。
やがて地上が近づいてきた。アメリアの指示に従って、文則が先にかごを降り、アメリアが降りるのを手伝った。これも漫画のシチュエーションとやらに寄せたものなのだろう。
そこから噴水前までは互いに無言のまま歩いた。途中、たまにすれ違う家族連れやカップルたちを横目に見る。みんな、楽しい時間を過ごした後に浮かべる、晴れやかで幸せそうな笑顔を浮かべていた。けれども、今の自分は、あんな風に笑えるだろうか。無理だ。できない。そう笑える時間を、今日、文則は過ごしていないから当たり前だ。
やがて噴水前に辿り着いた。
「ここで日向は、
文則と向かい合うようにして立つと、アメリアはそう口を開いた。
「ここまでの日向はデート相手としての日向。だけどこの瞬間の日向は、月の代理人。メッセンジャー」
「……」
「日向はどんな想いで、自分が恋したわけではない男の子と唇を重ねたのかしらね」
そう言いながら、アメリアが一歩分の距離を詰めてくる。もう、彼女はすぐそこだ。
「じゃあ、文則……」
吐息のような呟きを漏らして、アメリアが首に腕を絡ませてくる。
それに従って、文則もまた身を屈めた。
そして。
「――ッ」
唇と唇が、まさに触れようとしたその時。
文則は、反射的にアメリアの肩を掴み、自分の体から引き離す。そのまま二、三歩、たたらを踏むようにして彼はアメリアから距離を取った。
突然のことに、アメリアはきょとんとした様子で文則を見ている。中途半端につま先立ちした格好で、「文則?」と戸惑うようにして呟いた。
でも。
だけど。
惑わされているのはむしろこっちの方だと文則は思っていた。
だって、キスをするその瞬間――アメリアの瞳には文則の姿など、一ミリたりとも入ってはいなかったのだから。
あるのは、ガラス玉のような透明な瞳。無機質で無感情な――研究者にも似たものだけだったのだ。
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