第20話 言い訳が……
その週の大半を、文則は悶々とした気分で過ごすことになった。
アメリアが雄星と遊園地デートをする。しかもキスまですると言っている。そのことが、ひどく――彼の心をざわつかせていたから。
そしてついに、金曜日の夜を文則は迎えていた。なかなか眠る気になれずに、ベッドの上に座ってぼんやりと過ごしていると、部屋の扉が遠慮がちに外から叩かれた。
「……? 誰だ?」
首を傾げつつ、文則は読むともなしに眺めていた漫画を閉じて立ち上がる。
この『ハイツ柿ノ木』に、ノックという上品な文化は存在しない。そもそも文則の部屋の合鍵はなぜか全員が持ち合わせていて、用事があるときには鍵がかかっていようがお構いなしに踏み込んでくるような住人ばかりだからだ。
尊重されなくなって久しい己のプライバシーを嘆きつつ、玄関の扉を開くと、そこにいたのはしょんぼりとした様子の絵麻だった。泣き腫らしたのか、目元が赤くなっている。
「……せ、センパイ? どうしたんですか、ノックなんかして」
驚いて変なことを口走ってしまう。住人の中でも、絵麻は特に勝手に部屋に踏み込んでくる人種だからだ。部屋を荒らされた回数を数え上げればキリがない。
驚きを隠せない文則の胸元に、絵麻がぎゅっとしがみついてくる。
「センパイ!?」
「や、やだよぅ……」
見下ろせばぽろぽろと彼女は涙をこぼしている。文則の着ているシャツに顔を押し付けるようにして、ときどき鼻まですすっていた。
「ちょ、どうしたんですか! 落ち着いてくださいって!」
「で、でも、だって、ノリフミ君……」
胸元にしがみついたまま、上目遣いに絵麻が文則を見上げてきた。普段の絵麻と比べるとあまりにギャップの激しいその態度に、文則はくらりと来てしまいそうになる。
「と、とにかく! 立ち話もなんですから、いったん中に入ってくださいって!」
「……うん」
絵麻を自分から引きはがしつつそう言うと、彼女はおとなしく靴を脱いで部屋に上がってくる。
とりあえずクッションを勧めると、絵麻はそれを自分の尻の下に敷いて床に座った。それと
「あー……その」
彼女の用件を聞きだした方がいいとは思いつつも、目を赤くしたまま黙り込む絵麻になんと言うべきか分からない。自然と、文則の口調も曖昧なものになる。
結局、口火を切ったのは絵麻だった。
「……わたし、今週ずっとモヤモヤしてる」
「それは……俺もですよ」
絵麻の気持ちが文則にも分かった。アメリアと雄星がデートをする姿を思い描くと、なんだかわけの分からん感情で胸が搔き乱される気がするのだ。
その不安定な状態が嫌で、なにも考えないようにしようとするけれど、だけど気づいた時にはふと考えてしまっていたりする。アメリアの顔を見るたびに、雄星と言葉を交わすたびに、その光景が前触れなく脳裏に浮かび上がる。そして決まって、最後には惨めな気持ちを抱えている自分に気づかされるのだ。
「わたし、アメりんと雄星がデートするなんてやっぱり嫌だ」
それをはっきりと言葉にできる絵麻はやっぱり強いと、文則は思う。
「アメりんのことも、雄星のことも、わたし好きだもん。二人のことわたし好きなのに、それなのに、二人のことでこんな嫌な気持ちになんてなりたくない」
強くて真っ直ぐな瞳を、絵麻が文則に向けてきた。
そして、彼女ははっきりとその想いを口にする。
「お願い、ノリフミ君。アメりんとのデート、今からでも雄星と代われないかな?」
「そんな……俺は、でも、一回は断ったんですよ?」
「じゃあノリフミ君は、アメりんが雄星と一緒にデートしていいの?」
「それは……っ」
「アメりんと一緒にアトラクションで遊んで、観覧車に乗って、噴水の前でキスをしている相手が雄星でもいいってノリフミ君は思うの?」
「……」
「……わたしは、嫌。嫌だもん。雄星とそういうことする女の子がわたし以外なのは、嫌なんだよ……」
その物言いは、自分に素直で正直な絵麻らしい。文則では、そんな風にはっきりと自分の気持ちを口にすることはできないから。
「俺は……俺は、別に」
それなのに、この期に及んで文則は自分の気持ちをそんな風にごまかそうとしてしまう。
心のどこかで、アメリアには自分がいなければダメだと思っていた。以前、雄星から、アメリアは家政婦や使用人でも雇えば事足りると言われた時だって、それでも自分の代役は誰にも務まらないはずなのだと信じたい気持ちが間違いなくあった。
だけど、そんな風に思っていたものが木っ端みじんに砕かれたような気がした。文則の代役は別に雄星が相手でも務まるもので、むしろ並んで立っている姿だけ見ればどちらの方が釣り合っているのか客観的にもはっきりしている。目鼻立ちだけを切り取ってみれば、アメリアの隣にふさわしいのは文則ではなく雄星の方だから。
その事実だけを見ると、じくじくと胸が痛んで仕方がない。アメリアに懐かれているのは自分だけだと思い込んでいたくせに、あっさりと役割を取って代わられたのだって情けない。
そんな自分の愚かさを披露したくせに、今さら「やっぱり代わってくれ」なんて言えるわけがない。あの時、アメリアの頼みを断った時点で、もう文則の出番など終わっている。
「ノリフミ君!」
絵麻に肩を掴まれたことで、文則はいつの間にか項垂れていたことに気づく。
絵麻が向けてくる瞳はあまりにも真剣で、それはいつもの奔放な姿をよく知っている文則からしてみれば、まるで他人みたいだった。
必死さの滲む声で、絵麻は文則に向かって言葉を続ける。
「お願いだよ! わたしのためだと思って!」
「絵麻センパイのため……」
「そうだよ!」
――言い訳が、できてしまった。
これは自分の意志ではなく、絵麻に頼まれたからそうするのだという、言い訳が。
「……分かりましたよ。雄星さんに言うだけ言ってみます」
「ほんと? ありがとうノリフミ君!」
「言ってみるだけですからね? 期待しないでくださいね!?」
「大丈夫大丈夫! ノリフミ君ならやってくれる男だと信じてるぜ!」
ぎゅっと首筋にかじりつくようにして絵麻が抱き着いてくる。それを突き放しながら、文則は自分の部屋を後にした。
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